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変化を嫌う企業は衰退する

 旧大手アパレル、その他アパレル、百貨店と苦戦が続いているわけだが、経済環境や消費者心理の変化などの要因はさておき、「変化」を嫌っていることも大きな要因ではないかと思う。

百貨店が過度にファッションに特化した現在の形はどうかと疑問を抱くが、ファッションなんて時代に応じて変化するわけだから、経済環境や消費者心理に合わせて変化する必要があるのではないかと思う。

現在のラグジュアリーブランドだってかつては低迷した時期があり、そこから新しい取り組みで復活した。現在の姿が良かったか悪かったかは、判断のわかれるところだが、変化しなければ低迷し続ける古ぼけたブランドになっていたのではないかと思う。

百貨店は、かつて屋上に遊園地があった。
また大食堂があって、今の年配世代は、そこへ家族で行くのが楽しみだったという。

昔存在した北浜の三越には、映画館があった。
当方も小学生のころ、何度か親に連れられて映画館に行った。
今のシネコンに比べるともちろん小さい映画館だった(当時、シネコンは存在していない)が、母親からすると、単体の映画館に連れて行くよりも三越に連れて行った方が、アニメや特撮映画が上映されている間、ウインドウショッピングが楽しめるというメリットがあった。

梅田の単品の映画館だと近隣の商業施設と行き来するにはかなりの距離がある。

それらは採算が取れなくなって廃止されたのだが、今の百貨店はどうか。
集客ができないといいながら、ファッション然とした売り場づくりやイベントにこだわりすぎていないか?

昔は、もっとなりふり構わず集客していたのではないか。
いつから、お公家さんのような姿勢に変わったのか。

そもそも電鉄系以外の百貨店は、呉服屋から変化して生き延びたのではないのか。
変化しないことが美徳なら、百貨店になる前に呉服屋のままで死滅していたはずだ。

大手アパレルや老舗アパレルも同じだ。
意味の分からない名門意識とプライドだけを強烈に保持していて、商品づくりも売り方も変わろうとしていない。
ときどき、付け焼刃のように「業界のブーム」に飛びつくが、しょせんは後追いの付け焼刃なので失敗して撤退して傷口を広げるということをこの10何年間かくりかえしてきただけではないか。

97年ごろは猫も杓子もSPA
その次は猫も杓子も低価格
その次は猫も杓子もライフスタイル提案
今は、猫も杓子もEC・オムニチャネル

とまあ、こんなところで、すべて後追いの付け焼刃である。

例えば、現在苦境に陥っている三陽商会だが、創業当時は、

電気関係各種工業用品及び繊維製品の製造販売を目的として、東京都板橋区にて工作機械工具の修理加工、販売をおこなうべく同社を設立

と伝えられている。
繊維製品は扱っていたものの、電気関係工具がメインだったわけで、当初から名門アパレルではなかった。電気関係工具の会社が時代に合わせてアパレルメーカーへと変化したということになる。

老舗といえば、岡山、広島地区ののジーンズ専業アパレルも同じで、ほんの10年前までは名門意識が高かった大手が軒並み衰退凋落して、売上高を激減させている。

2005年には売上高が約130億円だった某ジーンズメーカーの現在の売上高は12億円にまで縮小している。
ほかの旧大手も似たり寄ったりである。

ジーンズ専業アパレルというのは、はるか悠久の昔から存在した名門・老舗だったのかというとそうではなくて、ほとんどが60年代後半以降に転身した企業ばかりで、その前はワーキングユニフォームや学生服メーカーだった。

ビジネスチャンスを目にして業態転換したわけである。

そうした企業がなぜか、変化することを拒んでいる。
変化を拒んで売上縮小、経営破綻、廃業などが相次いでいるが、それに対しての同情は感じない。変化を拒んでの自滅だとしか思えないからだ。

ダーウィンの進化論ではないが、変化に対応できないものは滅ぶしかない。

例えば、猫も杓子もSPA時代にあって、ジーンズ専業メーカー各社は最後まで直営店出店に抵抗した。
また近年だと、ジーンズメーカーに限らず、有名アパレルの多くは2010年ごろまではインターネット通販に抵抗し続けた。

その結果が、後追いの付け焼刃での取り組みである。

ランチェスターの法則によると、後追いで勝てるのは、「圧倒的物量のある大手」しかない。
しかし、「圧倒的物量のある大手」ですら、投資額が不十分なら局地戦で小戦力に負ける。
兵力を小分けにしての逐次投入は、各個撃破されるだけである。

これら企業の苦戦、衰退、凋落は「他山の石」の見本ではないか。


百貨店とは
飛田 健彦
国書刊行会
2016-12-28



百貨店は「殺される」のではなく「自死」しているだけ

 誰が百貨店を殺すのか
閉店続き、市場規模36年ぶり6兆円割れ
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/NBD/15/depth/072400684/

この記事が日経ビジネスオンラインに掲載された。
オンラインはダイジェスト版で、こちらは誌面に掲載されたそのままである。

タイトルのつけ方は何とかの一つ覚えとしか言いようがなく実態を反映していないといえる。アパレルは「殺された」側面があるが、百貨店は記事中にもあるように、小売りの王様だった60年代・70年代にその優越性から、納入メーカーにリスクを押し付け、今に至るわけだから「殺された」というのは当てはまらず、「自死した」というべきであろう。

この記事は全般的によく考察されていると思うが、百貨店の売上高低下についての根本的な部分を見逃しているように感じる。
貧富の格差が拡大して、高額な百貨店衣料品を買えなくなった人が増えたということは前提にあるにしても、ファッション衣料と日常衣料が限りなく近接したことによって、「百貨店で服を買う」ことの意味が薄れていることを認識した書き方ではないと感じる。

例えば、記事中では

60年代は「百貨店で既製服を買う、という行為が時代の最先端だった」と、アパレルの歴史に詳しいウィメンズ・エンパワメント・イン・ファッションの尾原蓉子会長は指摘する。ファッションも今とは全く異質の輝きを放っていたのだが、百貨店はアパレル業界との「なれ合い」の中で、いつしかその輝きを失ったのだ。

とあるが、この認識は書き手も尾原氏も甘いのではないか。

60年代までは既製服そのものがほとんどなかった時代で、多くの場合は家庭で縫われていた。
当方の母親も70年代はまだ洋裁というものをやっていて、自分で洋服を縫っていた。
当時の雑誌には型紙が付録として付けられていた。

存在しなかった商品が供給されたのだから、消費者がそれに飛びつくのは当たり前で、初期のビデオデッキや初期の液晶テレビ、初期のiPhoneなどが飛ぶように売れたのと同じ理由だ。

また、初期商品が高額だということも家電製品や自動車と変わらない。
当然、60年代の既製服はそれなりに高額で、低価格衣料品は生まれていなかった。どうしても節約したい人は70年代が終わるころまでは、当方の母親のように自宅で縫っていた。

「百貨店で買うことが時代の最先端だった」のではなく、これまでに存在しなかった商品が百貨店に大量供給されたから、百貨店へ買いに行っただけのことである。
たしかに最先端だった部分はあるだろう。それ以外の商業施設がほとんどなかったのだから。
ここを記者も尾原氏も事実誤認しているのではないか。

一方、かつての百貨店は「大衆に受けそう」なものなら何でも飛びついて、導入するのが早かった。
昔、にぎわった大食堂も屋上の遊園地もその一例だろう。
これは記事が指摘する通りである。
それがいつの間にか過度な名門意識を持ち始め、プライドだけが高いガチガチの保守組織に変貌してしまった。

実際に百貨店での催事で売り場に立っていると、意味のない名門意識を持ち、プライドだけがやたら高く、保守意識で固まった社員が数多くいることを身をもって体験できる。
あんな社員ばかりなら、そりゃ業績が低迷しても仕方がない。

マスコミの多くは百貨店について割合に同情的な報道が多い。
例えば、この記事の「殺された」という表現にしてもそうだ。
逆に百貨店で買い物をしない(できない)人は年々増えており、今の20代・10代の多くは百貨店に行ったことさえない。
30代・40代にしても百貨店に行かなくなった人は多いのではないか。

当方は47歳にしてカネなしなので、百貨店で買い物をすることは10年位前からなくなった。
2007年ごろから百貨店で洋服は買っていない。

しかし、大手メディアにいる社員の多くは、いまだに百貨店で服を買っている。
彼らの収入の良さがうかがいしれるが、この格差が、百貨店報道のピントをズレさせているのではないかと思う。
大手メディアは二言目には「民意」とか「国民の声」とか「庶民感覚」いうが、それらからもっとも乖離した場所にいるのが大手メディアの社員である。

当方がやり取りしている経済誌の30代・20代の記者だっていまだに百貨店で洋服を買っている。
また、当方が様々なことを教えていただいた業界の先輩が付き合っておられる経済各誌の30代記者も百貨店で洋服を買っているという。
大手新聞社・大手テレビ局の社員も同様だろう。

彼らにとっては百貨店は「親しみのある場所」なのであり、今の40代以下の消費者の多くが百貨店離れしているのとは正反対といえる。

それにしても、百貨店が「ファッション」にこだわっているうちは、百貨店の売上高が回復することなんてありえないだろう。
先ほどの話に戻るが、既製服そのものがなかった60年代とは時代が異なる。70年代・80年代もまだその延長線上で服は売れた。
それぞれが洋服を持っていなかったからだ。しかし、今の消費者はそれぞれが膨大なタンス在庫を抱えている。
よほどの「何か」がなければ洋服なんて買う必要がないのである。

また、洋服の歴史がなかったころと、さまざまなテイスト別・ジャンル別・スタイル別でのすみわけが出来上がった現在とでは、洋服の売れ行きが異なるのは当然で、以前のような活況ぶりが戻る可能性があると考えるのはアホとしか言いようがない。

セクシー系、アメカジ系、ナチュラル系、原宿系などさまざまなスタイル別に住みわけがなされており、2000年までのように、全員がビッグトレンドに飛びつくような事態は今後絶対に起きない。

そこを理解しない限り、売れる洋服は作れないだろうし、百貨店の凋落の原因は報道できないだろう。

あと、横道にそれるが、相変わらずルミネの社長はピントのズレたことを言っていると思う。

バーゲンの前倒し傾向について

「売るプロが努力を放棄して、商品を作ってくれる人たちに申し訳ないと思わないのか」。駅のファッションビルを運営するルミネの新井良亮会長は憤る。

と記事中にあるが、そういうルミネそのものが、ウェブで先行値引き販売を行っている。定価で売る努力をいち早く放棄しているのはルミネ自身ではないか。何を言っているのか。

それに「作ってくれる人たちに申し訳ない」という人情論もまったく賛同も共感もできない。
作っている人はあくまでも「仕事」として作っているのであってボランティアでも人道的活動でも奉仕でもない。経済活動の一環である。
だったら、販売員だって「売ってくれる人」である。

「売ってくれる人に対して、こんな売れなさそうな商品を作って申し訳ないと思わないのか?」と言わねばならない。

当方が大好きな韓非子にはこうある。

王良が馬を愛し、越王勾践が民を愛したのは、民を戦に駆り立てたり馬を速く駆けさせるためである。医者が人の傷口を吸い、血を口に含むのは肉親の情愛ではなく、利益が得られるからである。

車作りの職人が車を作ると、人々が富貴になることを望み、棺桶職人が棺桶を作ると、人々が早く死ぬことを望む。これは車を作る職人が善人で、棺桶職人が悪人だということではない。

人々が富貴にならなければ車は売れないし、人々が死ななければ棺桶が買われることはない。人が憎いわけではない。人の死によって利益が得られるからである。

単なる経済活動、仕事である作り手に対して、「作ってくれる人」と言っている時点で、ルミネ社長の認識は2000年前の韓非子に遠く及ばないということがわかる。

庶民感覚から大きく乖離したメディアが同情的に報道しているうちは、百貨店が回復することもないだろうし、百貨店の委託販売体質が改革されることもないだろう。

百貨店は「殺される」のではなく、「自死している」としか言いようがない。

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限界点に達しつつある、しまむらのビジネスモデル

 しまむらの第1四半期決算が2ケタ減益と大幅に悪化し始めた。

その兆候は今年の初めから見えており、既存店売上高が連続して前年割れを起こし始めていた。

しまむらは2016年2月期、2017年2月期で大幅増益して、メディアから持ち上げられたが、2014年2月期・2015年2月期と連続減益しており、当時のメディアの持ち上げ方には疑問を感じていた。

もっとも企業としての売上高自体は増収し続けていたから、強い企業であることは間違いないが、「勝ち組」と持ち上げるのはちょっとやりすぎではないかと思っていた。

しまむらの業績が急減速、「しまラー」惹きつけるネット通販やフリマアプリの脅威
http://www.sbbit.jp/article/cont1/33839

この記事は比較的良く書けていると思う。

2016年2月期の増益に転じた際、長らく量販店やユニクロ、しまむらなど低価格ブランドのカジュアルパンツのOEMを手掛けたことがある友人がこう指摘した。

「今回の増益の起爆剤は、裏地あったかパンツを100万本売ったこと。しかし、これまで売り切れ御免でやってきた企業が、ユニクロと同じ100万本という大量生産・大量販売システムに転換するのはいかがなものか?いずれ反動が来る」

と。

この指摘は早くも的中しつつあるといえるのではないか。

当時のメディアはどこも指摘していなかったが、100万本を売ったということは、100万本を調達したということになり、それはこれまでしまむらが得意としていた仕入れでは実現しにくく、自主企画商品を生産したということになる。
そのビジネスモデルはユニクロと同一のものであり、しまむらとしては異なるシステムを取り込み始めたということになるが、そんなことが簡単にできるはずがないというのが、友人の指摘である。

記事では、しまむらの強みを端的にまとめている。

その基本は「サプライヤーとよい関係を築くこと」。しまむらは「『4つの悪』の追放」という“仕入れの憲法”を打ち出した。4つの悪とは、「返品」「赤黒伝票(伝票の書き換えで見かけの売上を計上する手法)」「(納品後の)追加値引」「(発注した商品を納品させない)未引取」だ。

 しまむらの、全面的にリスクを負い、値下げしても売り切る“仕入れの憲法”を、サプライヤーは「しまむらはフェアな商売をする」と歓迎した。そして売れ残りにならないような、高品質の商品、売れ筋商品、流行遅れになりにくい商品、とっておきの新企画商品を、しまむらに優先的に供給した。店舗の商品の回転が早くなり、在庫が少なくなり、コストは抑えられ、しまむらにも利益になった。

 そうやって、取引先との間で「しまむらファミリー」と呼べそうな関係を構築すると、取引数量が拡大したサプライヤーは「他ならぬしまむらさんのご提案なら、多少の無理はききましょう」と値引き要請にも応じるようになる。そうやって適正な利益を確保しつつ他店より安い価格をつけることができ、それが業容拡大のエンジンになった。

これは事実で、しまむらの取引は綺麗なことで有名だ。
しかし、この「仕入れ」スタイルで運営するには、しまむらは企業規模が大きく成りすぎたといえる。
大手セレクトショップが軒並み「疑似SPA化」したことを見てもそれはわかるだろう。

主力の「ファッションセンターしまむら」だけで1378店舗もある。
これだけ店舗数が増えれば「仕入れ」だけで商品を賄うのは不可能で、実際、あまり報道されないが、しまむらも自主企画商品を製造しているし、OEM/ODM生産も利用している。

店舗数がこれだけ増えれば、スケールメリットがあるから自主生産が増えるのは当然だが、これまでとは異なるビジネスモデルへとすんなり移行できるとは思えない。

また、個人的意見でいえば、しまむらの売り上げ規模、店舗数ともに国内では限界点に達しつつあるのではないかと思う。

売上高は5654億円もある。

いくら、安くて買いやすいとはいえ、国内でこれ以上大幅に売上高を伸ばすことは難しい。

じゃあ、流行りの海外進出はどうか?というと、ユニクロや無印良品とは異なり、しまむらは品揃えの雑多さが魅力で、その雑多さは「日本のローカルチェーンならでは」という部分があり、海外では嗜好が違うのでその魅力は理解されにくいのではないかと思う。

また、都心部に店が少ないこともそろそろ弱点になりつつある。

郊外では店舗数は飽和しつつあるといえるが、1店舗あたりの売上高の低さを考えると家賃の高い都心には出店できにくい。

よしんば都心に出店したとしても現在のしまむらグループの店作りでは、他の低価格ファッションブランドと比べて大きく見劣りしてしまう。
店の見た目については、しまむらグループはかなりダサい。

国内市場ではそろそろ飽和点に達しつつある、しまむらグループは次はどのような取り組みをするのだろうか?

ユニクロのような大量生産・大量販売方式にするのか?それとも店作りや陳列方法を洗練させるのか?はたまた、グローバルSPA方式に切り替えて海外進出するのか?

いずれにせよ、これまでの「しまむら」モデルのままでさらなる企業規模の拡大というのは、かなり難しくなっていることは間違いない。

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ユニクロ vs しまむら(日経ビジネス人文庫)
月泉 博
日本経済新聞出版社
2009-11-03


しまむらとヤオコー
小川 孔輔
小学館
2011-01-26



「青い芝生」は存在しない

 隣の芝生は青く見えるというが、本当にその通りだと思う。

基本的に自分も含めて我々は自分の体験したことしか理解できないことが多い。

例えば、昨年、ちょっと話題となったユナイテッドアローズの

「商品の品質を向上させ、原価を引き下げる」

という発言に対して衣料品業界からは疑問の声が出された。
衣料品という商品において、原価を引き下げながら商品の品質を向上させるというのは、かなり実現するのが難しい矛盾した要素なのである。

ところが、一方、他業界ではできないこともないらしい。
ニュースピックスというSNS?があるが、そこでは、他業界の人々が「可能だ」「UAの英断だ」と褒めちぎっていて違和感があった。
ニュースピックスはなんだかイシキタカイ系のビジネスオッサンが多くて、雰囲気が嫌いなのだが、この現象は面白いなあと思った。

当方も含めた衣料品業界の人間は経験的・業界のシステム的にそれは不可能に近いことが分かっている一方、他業界の人間もまた経験的・他業界のシステム的にそれは不可能ではないと考えていたということである。どちらも結局のところ自分の経験したことしか理解できないということになる。

これはひとえに業界だけのことではなく、他国との比較についてもいえることで、実際に他国に深く馴染んでいないとその国の実態はわからない。もっとも深く馴染んでももともとの大脳の構造がおかしければ、実態をゆがめて把握してしまうのだが。

日本では、他国を理想郷のように思っている人が多い。
ここに当てはめる他国は個人によって違う。
アメリカ、欧州諸国、中国、韓国などなど個人によってマチマチだが、「日本がダメだ」という認識では一致している。

他国デワーが常套句になるので、そういう自虐的な人々を「出羽守(でわのかみ)」と呼ぶ。

前置きが長くなったが、今、我が国では旧大手アパレルの不振によってブランド廃止・大規模閉店が相次いでいる。
アメリカも同様であり、その規模は我が国よりも大きい。

我が国の場合、その理由としてネット通販の隆盛やアパレル業界の構造自体の問題、不景気、などがあげられる。
一方、アメリカのアパレル不振を分析する場合、ネット通販の隆盛は語られることはあってもそれ以外の要因はあまり指摘されない。

とくに「不景気」は語られることがない。
アメリカのGDPは年々伸び続けているので、日本人からすると不景気は当たらないということだろうか。

ところが、このアメリカの記事によると、アメリカのアパレル不振はネット通販の隆盛だけが原因ではなく、不景気やオーバーストア、アメリカ人の消費行動の変化も大きな原因であると指摘している。

アマゾンではなかった…… アメリカの小売業を低迷させた2つの元凶
https://www.businessinsider.jp/post-100448

小売業者の過剰出店とアメリカ人の消費習慣の変化だ。

しかし、需要が追いつく前にアメリカは不況に突入、消費者が自由に使える支出は急激に減少した。こう話すのは、コネチカット大学不動産センター(Center for Real Estate)のジョン・クラップ(John Clapp)教授だ。

小売業者の多くは、不況が去れば売り上げも回復するだろうと期待していた。ところが、モールに出店する大半の小売店で、売上高が回復することはなかった。消費者の買い物習慣が変化したからだ。

特筆すべきは、消費者が「モノ」よりも「体験」を購入している点だ。

また、いざ「モノ」を買うとなっても、消費者の大半は正規の価格を支払うことはない。不況時に学び、それ以来身に付いた消費習慣だ。シアーズやメイシーズといった正規の価格で販売する百貨店が苦しみもがく一方、TJマックス(TJ Maxx)やマーシャルズ(Marshals)、ロス・ストアーズ(Ross Stores)などのディスカウントストアは盛況だ。

とある。

こうして見ると、日米は業界構造については多くの差異があるものの、アパレル不況に陥っている原因はほぼ同じだということになる。

日本のアパレル不況も、オーバーストアに不景気時に染みついた低価格志向、それに「服」という「物」ではなく、服を触媒とした「コト」消費によるものだというのは、みなさんが日々痛感されていることである。

こうして見ると、アメリカ市場という隣の芝生も決して青くなく、むしろ、日本と同じような芝生だということになる。

現実世界のどこにも絵に描いたような「理想郷」は存在しない。
「青い芝生」なんてものはこの世の中には存在しない。

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夏服をかっこよく着こなすには体型を整えるほかない

 当方は夏が嫌いである。
まず高気温が嫌いだし、高湿度も嫌いだ。
汗をかきやすいので、汗が大量に出るのも嫌だ。

個人的な理想の夏は、25度に温度設定した冷房のきいた部屋から外に出ずに一日中過ごすことである。

ちなみに35度を越える高気温、70%以上の高湿度の環境でありながら、冷房温度28度設定なんていう取り組みをやっているのは日本くらいで、アメリカは華氏70度(摂氏21~22度)くらいの温度設定が標準的だといわれており、ヨーロッパでもだいたい24度くらいだといわれている。

日本よりも高温高湿度な東アジア・東南アジアではもちろん欧米並みに冷房温度設定は低い。

着る物についても夏は嫌いで、メンズのカジュアルだとTシャツ、ポロシャツ、半袖シャツくらいしかない。春秋冬だと、重ね着でいろいろと楽しめるし、体型なども誤魔化せるが、夏服は誤魔化しが効かない。
それでも誤魔化す方法はあるが、春秋冬の重ね着に比べると、誤魔化し効果は些少であり、せいぜい3%~5%上乗せできれば良いところだろう。

そんなわけで、今夏はバーゲンでもほとんど服を買っていない。
靴とか時計とかバッグとか肌着とかそういう物の方に目が行く。

先日、今夏初めてアウター用のTシャツをバーゲンで買った。

無印良品で、太番手ボーダー柄のTシャツを買った。
定価で1990円だったのが、先週、やっと30%オフの1393円に値下がりした。

IMG_3206

無印良品は変な部分があり、店舗によって商品の値段が異なることがある。
ネットの書き込みではさらに10%オフで買った人もいるらしい。

細いボーダー柄もあったが、個人的には細いボーダー柄はあまり似合わないので、太いボーダー柄を選んだ。
黒×白と、薄グレー×白があったが、汗をかくとグレー部分が濡れて色が濃くなるので、汗かきとしてはグレー系のTシャツは夏は敬遠する必要がある。そのため、黒×白を選んだ。

2005年ごろからハリウッドセレブブームだか何だかしらないが、細番手(細い綿糸)で編んだ薄手生地Tシャツが主流となったが、汗かきのオッサンにとって、真夏の着用は適さない。
なるべく厚手生地の商品を選んで買うようにしているが、商品自体があまり存在しなくなってきた。

単に綿花の使用量をケチっているだけではないかと邪推すらしたくなるほどである。

一般に広く流通している薄手生地Tシャツはだいたい4オンスか5オンスくらいが多い。
触感だけだと最近の薄手Tシャツは4オンスくらいではないかと感じる。

汗かきのオッサンに好ましいのは、6オンス以上の商品でこれがなかなかない。
2005年以前だとけっこう厚手のTシャツは流通していたのだが、いつの間にやら消え去ってしまった。

話は逸れるが、ある生産業者によると、2005年以降、衣料品に使われている素材は随分と劣化しているそうだ。
原因はさまざまある。

1、製造の低コスト化が求められるようになったこと(業界の都合)
2、すべての原料が高値になった

が個人的には最大の要因ではないかと見ている。

1は低価格対応、もしくは価格は据え置きで利益確保のための製造コストの削減が多く求められるようになり、使用素材ももちろん低価格化しているということである。

これは洋服の販売が不振になったことから、それに対応するための業界の都合であることは言うまでもない。

2は中国、東南アジア、インド、中東などの経済成長によって、衣料品需要が拡大していることが原因である。
アパレルの世界市場規模は300兆円にまで拡大したという報道があるが、その多くは中国、東南アジア、インドなどの市場が拡大したためで、需要の増加に対して供給量が追いつかなければ価格は上がる。衣料品の原料が高騰したのも同じ理由である。

綿花や麻の栽培量は需要に比例するほど増えていないし、羊毛はさらに増やしにくい。
動物の方が植物よりも増やすことが難しいからだ。

必然的に原料価格は上がらざるを得ない。

そんな状況から2005年以降、衣料品に使われている素材のクオリティは劣化が著しいのだが、たしかにその指摘にはそう思う。

同じ価格帯で2005年までに買った衣料品と、2005年以降買った衣料品を比べてみると、明らかに生地のクオリティが違う。
2005年以降の方が合繊の配合率が高まっていたり、低密度だったり、安物くさい表面感だったりする。

だから、その業者に言わせると、2005年以降の商品しか知らない若い世代は良い素材に触れる機会が減って気の毒だという。

閑話休題。

今回の太番手ボーダー柄は太い糸が使われているため、がっしりした触感がある。
生地は期待したよりも薄い感じがするが、定価1990円という低価格を考えると仕方がない。

それにしても夏服を着ている人を見ていると、自分も含めて体型の誤魔化しようがないと感じる。

春秋冬は重ね着で体型は随分と3割増しくらいで誤魔化せるが、夏服はモロに体型が出る。

「夏服をかっこよく着こなすコツ」なんていう特集がファッションメディアに掲載されるが、実際のところ夏服をかっこよく着こなすコツは、体型を整える以外にない。

肥満や極端なガリはどうにも誤魔化しは効かない。ボディビルダーのようなゴリマッチョが良いかどうかは別として、ある程度の筋肉は必要である。
さらにいうなら顔面も整っていなくてはならない。

結局、男女ともに夏服は、顔立ちが良くて体型の整っている奴がもっともかっこよく見える。

だから、夏服は嫌いなのである。

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なぜ昔はファッション業界に入る若い人が多かったのか?を考えてみた

 そういえば、先日、「ファッション業界に若い人が入ってこないのが問題だというが、それよりも昔はどうして若い人が入ってきたのかを考えてみてはどうか?」という意見を目にした。

昔はどうしてファッション業界に若い人が大勢入ってきたのか?
これはいろいろな要因があって、当方一人で考え付くのは限界があるが、思いつくままに挙げてみる。
あとは各人で補足してもらうとありがたい。

1、成長産業、もしくはカッコイイ産業だと社会がみなしていた
2、今に比べて若い人の人口が多かった
3、ドンブリ勘定の横行する緩い業界で入り込みやすかった

ざっとこんなところではないかと思う。

1についてだが、戦後直後のガチャマン(ガッチャマンではない)時代、高度経済成長期、バブル期と繊維・ファッション産業は金回りの良い業界だった。

金回りの良い業界に人が集まるのは今も昔も、どこの国でも変わらない。
金回りが良いということ自体が人を集める装置となる。

ガチャマンというのは、紡績や合繊メーカー、織布工場などの素材メーカーが活況だったころで、ガチャと織機が動けば、万のカネが生まれるからガチャマンと呼ばれた。
1950年代のことである。

その後、大量生産・大量消費による既製服ビジネスが生まれ、アパレルメーカーが花形成長産業となった。何しろ、敗戦によってみんなが物を持ってない時代だから、作れば売れた。
とくにカジュアル洋服はこれまで戦前・戦中を通して日本には存在していない商品だったから、作れば売れたのは当たり前だ。
初期のiPhoneが高値でも飛ぶように売れたのと同じである。

70年代の高度経済成長によって国全体が経済成長し、人々の暮らしが上向き、80年代にはバブル景気を迎える。

このころまでは、各人のタンス在庫は少なかったし、経済成長で国全体のムードが明るかったから、少々高い服でも売れた。今の中国や東南アジアと同じである。

バブル崩壊直後も不況感はそれほど強くなかった。
世間のムードが変わったのは97年の山一証券・北海道拓殖銀行の倒産からである。
大手金融が倒産する日が来るとはそれまでは多くの人は思っていなかった。

今の我が国に70年代・80年代のような洋服の売れ方を期待するのは間違っている。みんなかなりのタンス在庫を抱えているので、今後、我が国の景気がどれほど回復しようとあんな買い方は二度と戻ってこない。

まあ、バブル崩壊までは、アパレルというのは成長産業・花形産業だとみなされていた。

この「みなされる」という非常に大きな要因で、時代によって同じ職業でも「みなされ方」が異なる。

先程の提起をした方は、35歳くらいなのだが、その年代になるとかつて横行した「デモシカ教師」をご存知なかった。

現在だと、教師や地方公務員は手堅い職業として人気が高いが、かつて、高度経済成長期やバブル期は、優秀な学生は給料がうなぎ上りの民間企業に就職してしまい、地方公務員や教師は、落ちこぼれや変わり者が「教師(地方公務員)にシカなれない」「教師(地方公務員)にデモなろうか」という感じで職に就いたので、デモシカと呼ばれた。

今とは「みなされ方」が180度、いや540度違っている。

繊維・アパレル産業もその当時と今では全く「みなされ方」が逆転してしまっている。

2についてだが、年代別の人口の多寡もあるのではないかと思う。

当方は1970年生まれだが、その年には193万人が生まれている。
73年生まれは210万人弱もいる。

http://shouwashi.com/transition-numberofbirths.html

一方で、就職を控えた96年生まれは120万人しかいない。

73年生まれと比べると約半分である。
ということは、単純に人口だけで考えても各業界へ就職する新卒は大きく減って当然といえる。

ちなみに47年生まれ・48年生まれはそれぞれ270万人弱ずつもいるし、52年までは毎年200万人をはるかに越える人口が生まれている。これがいわゆる団塊の世代である。

新卒の人口は年々減っているが、人気の職種・業界への競争率は高いままである。
例えば地方公務員なんて逆に競争率は年々上がっている。

となると、その割を食って志望者が減る業界が出てくるのは当然で、その一つがアパレル業界だといえる。

また、これは大先輩のご指摘だが、高度経済成長期からバブル期にかけて、我が国は重厚長大産業や金融業が発達した。そのため、優秀な学生はそちらに就職するようになり、その傾向は今も続いているともいえる。
産業間の人材獲得に繊維・アパレル業界は敗れ去ったということである。

それでもバブル崩壊までは就職者数が多かったというのは、新卒人口が多かったからだろう。
また、97年ごろから始まる就職氷河期には、優秀な学生でも企業には就職できなかったので、不承不承アパレルへ流れてくることもあった。
非正規でやるよりは、不承不承ながらアパレルでも正社員になった方が良いという判断で、その判断自体は間違ってはいないと思うが。

3については、本当にかつてはドンブリ勘定な業界で、その分、独特の緩い雰囲気があって、低学力の学生でも入り込みやすいということがあった。

しかし、今はかなり厳格に数値管理されるようになり始めており、「私、数字嫌いやねん」とか「俺、分数と小数の計算ができないっすよ」というような学生が入り込みやすい雰囲気ではなくなっている。分数と小数の計算は必須である。

企業側もよほどの事情がなければ、そんな低学力の学生を採用しようとは思わない。

これらの要因が重なりあって、アパレルには若い人が入ってこなくなっている。
じゃあどうすれば良いのかというと、各社が自助努力するしかあるまい。
決算実績を伸ばして、待遇を良くする。それしかない。

逆にいうと、ファッション業界に若い人が入ってこなくなったというのは、果たして問題なのかという疑問もある。

不人気産業に人が集まらないのはアパレルに限らず、当然であり、そういう産業はいずれ消えている。そうでなければ、いまだに江戸時代や明治時代の職種が今でもすべて残っているということになる。

人間は裸で生活するわけにはいかないので、今後も衣料品業界がゼロになることはない。しかし、不要な企業やブランドはさらに淘汰されることになる。それを回避したいなら、各社が自助努力するほかない。

若者が業界に集まらないのは若者に問題があるのではなく、業界の方に問題があるからだ。

今のアパレル業界は、低学力者にとっては入りづらく、高学歴者にとっては入る魅力が少ない業界ということなのだろう。

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業界人ですら衣料品への知識が浅いのだから、消費者の知識はさらに浅くて当然

 断続的に売り場に立っていると、毎日必ず着用しているものなのに、一般消費者は衣料品に関する知識は驚くほど持ち合わせていないことがわかる。

いわゆるファッソニスタがいうようなテイストやらデザインやらシェイプやらに関してではなく、生地に関することだったり洗濯に関することだったりで、こちらの方はファッソニスタの御託とは異なり、生活とは密接にリンクしているはずなのだが。

先日、50代後半と思われる黒で統一したモードっぽい服装をしたご婦人が商品を買った。
非常に言葉遣いも丁寧な方だった。
買ったのは、いわゆる真っ黒のストレッチパンツである。

話は逸れるが、真っ黒のストレッチパンツとストレッチのブラックデニムパンツは、厳密にいえば生地が異なる。

生地の知識を持ち合わせている方は読み飛ばしてもらいたい。

通常の真っ黒のストレッチパンツもストレッチブラックデニムパンツも「綾織り」という織り方で織られた生地である。
織り方としては同じである。

しかし、真っ黒のストレッチパンツは経糸(たていと)・緯糸(よこいと)ともに黒い糸で織られているが、ブラックデニムは、経糸が黒・緯糸が白である。

真っ黒のストレッチパンツに使われる生地は、ツイルとかカツラギとか呼ばれる綾織りの生地が多い。

通常のストレッチパンツは綿が主体でそこにストレッチ素材が交織されている場合が多い。
表示としては綿98%・ポリウレタン(正確にはポリウレタン弾性繊維)2%くらいのものが主流だ。

そのご婦人が買ったのは、まさに綿98%・ポリウレタン2%という組成の黒いカツラギパンツだった。

そのとき、ご婦人がこう質問された。
「このズボンは洗濯すると色落ちしますか?」と。

恐らくブルーデニムのように、他の洗濯物に色移りするかという意味だったと思うのだが、カツラギの多くは移染しにくいので、そのように答えた。

しかし、質問にはもう一つの意味もあったようで、「洗濯をすると、ブラックが薄くなりますか?」との意味も含んでいた。

こちらにはちょっと驚かざるを得なかった。

なぜなら、50代後半ということはこれまで何度も様々な衣服を洗濯してこられたはずだ。
(もしかしたら超金持ちで、「アテクシは洗濯なんてしないわ、毎日全部クリーング屋に任せています」という人なのかもしれないが)

綿主体の衣服は洗濯を繰り返せば徐々に色落ちするのは、少し洗濯をしたことがある人ならそれは常識として持ち合わせているはずである。
にもかかわらず、それを質問してくるということは、それを認識せずにその御年まで生きてこられたということになる。

これも自分の経験からだが、綿素材で洗濯を繰り返せば徐々に色落ちすることは避けられない。
ポリエステル素材なら家庭洗濯を繰り返しても色落ちはほとんどない。

洗濯層の中で他の衣類と擦れて摩擦することがさらに色落ちに拍車をかけているといえる。
だから、ネットに入れて洗濯をすれば、色落ちは幾分かは緩和できる。

だから、黒や紺などの濃色の綿素材衣服は必ず洗濯ネットに入れて洗濯をするようにしている。

そのように伝えた。

それにしても、一般消費者の生地・洗濯に関する知識のなさには驚かされる。
一般消費者が悪いのではなく、それを伝えてこなかった・上手く伝えられなかった業界に責任があるのではないかと思う。

家事を得意とする方は、そういう法則を自分で発見されているようだが、それはどちらかというと少数派だ。
多くの人は、綿素材で洗濯を繰り返せば色落ちするかどうかすら知らない。

そこらあたりを啓蒙するような活動を業界がしてみてはどうだろうか?
モンスタークレーマー対策としては、すべての衣服は洗濯できないという表示にするに越したことはないのだが。

家庭での手入れのやり方がわかると、もしかしたら衣料品の購入も多少は増えるかもしれない。

自分も含めて業界にいる人の知識のあやふやさも業界の衰退を早めているのではないかとも思う。

先日も有名なファッションブロガーが、織物(布帛)と編み物(ジャージ)を間違うということがあった。昨今では、洋服づくりに直接携わっているデザイナーや企画担当者までがこの手の知識を持ち合わせなくなっている。

スポーツウェアメーカーの若手社員が、業界紙記者に対して「ポリエステルって何ですか?」と質問してきたこともあるくらいだ。

自動車やらパソコンやらの業界でそういうことはあるのだろうか?
傍から見ていると、衣料品業界よりは随分と各人がしっかりした商品知識を持ち合わせているように見えるのだが。

オムニチャネルが云々とか、サステナビリティがどうのこうのとかエシカルがナンタラとか、そんな宙に浮いたようなことよりも、崩れかけた足元を固め直す方が先決ではないのか?
発射する土台が崩れかけているのに、空中戦ばかり志向していても飛び立つことすらできないのではないか。

業界が衰退しているのは、土台となる商品知識が崩れかけているからではないのか?

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やっぱり、インターネット通販では服と靴は買いにくいと思う

 Amazonをはじめとするインターネット通販市場の拡大によって、配送サービスがパンク状態であることは、各社から報道されている。
それもそのはずで、10年前まで5兆円だった通販市場規模は、現在16兆円くらいにまで膨れ上がっている。ということはそれだけ多くの荷物が配送されているということになる。

Amazonは年会費3900円を払ってプレミア会員になると、送料無料で当日配送してくれるが、これがさらに配送サービスを圧迫している。
このあおりを受けたのか、ZOZOTOWNは当日配送から撤退している。

まあ、今すぐにどうしても欲しいというような品物はそこまでないと思うが、そんなに当日配送って必要なんだろうかと思ってしまう。

2~3週間も経過すればすっかり注文したことを忘れてしまいそうだが、4~5日くらいかかっても構わないと思うのだがどうだろうか。

当方はインターネット通販に本格デビューをしてまだ3年ほどである。
5年ほど前に子供へのプレゼント用で、国内の書店では手に入りにくい本をAmazonで注文したことがあったきりである。
それ以外はインターネット通販を利用することに抵抗があった。

当方の買い物は服や靴が多いから、実際に試着できない通販にはけっこう抵抗があり、これは今でも変わらない。
今でも通販で服や靴はあまり買わない。
サイズ感・素材感がわからないからだ。

ユニクロのネット通販はたまに利用する。
なぜなら、店頭で試着してサイズ感・素材感が分かっているからである。

とはいえ、先日、Yahoo!でスニーカーを買った。(Amazonよりも安かった)
試着したことがなくサイズ感がわからないので、かなり迷った。

アディダスのクライマクールクロベという水陸両用のスニーカーである。

何故買ったのかというと、今年は結局、関西は比較的雨の少ない梅雨だったが、いつも雨の日に履く靴を迷う。
防水靴以外の通常の靴は、雨がしみ込んで靴下が濡れてしまう。
すぐに帰宅できればそれでもかまわないが、濡れたままで一日過ごさねばならないことになるとなかなか不快感はマックスである。

そこで、3年前にこれもインターネット通販で防水スニーカー、コンバースエヴォブーツを買った。
聞いたことのない新潟の靴屋のサイトで、1足4600円と破格に安かったので、白と黒の2足を買った。

3年が経過すると、ちょっと劣化気味で、ときどき雨がうっすらとしみ込むことがある。
また、防水靴は気密性が高いため、夏場はかなり足先が暖かいことになる。
頭寒足熱とはいうが、夏場に足熱することは暑さが倍増するので、できれば履きたくない。

そこで、梅雨に備えて買おうと思った。
このクライマクールクロベは逆に濡れることが前提になっている。
これを素足に履けば、濡れても構わないのではないかと考えた。

秋冬にこれを履くとおそらく寒すぎて足先がしもやけになるが、夏場はこちらの方が快適ではないかと考えた。

そこで、6月の初めにインターネットで最安値を探した。
同じ物を買うならできるだけ安く買うのが当然である。

結果、消費税込み・送料込み・貯まったポイント(100ポイントくらい)使用で3990円というところを見つけて購入した。

IMG_3012

迷ったのはサイズ感である。
サイズ表を見ると、27センチの次は28センチになっている。

通常、筆者はアディダスやナイキ、プーマのスニーカーはほとんどの場合、27・5センチを買っている。

しかし、27・5センチがない。

27センチと28センチのどちらを買うべきだろうか。
そこで今度は商品の消費者レビューを読み始めた。

サイズ感は小さめと書かれているレビューが多く、それなら「28センチだ」と思いきや、何割かの割合で「ちょうど良い大きさ」とか「ちょっと大きめでした」というレビューもある。

足の形は人それぞれ個人差が大きいがここまで意見が割れると、決めかねてしまう。

悩みに悩んで、結局27センチを買った。

もし小さかったら交換してもらうのがめんどくせえなあと思いながら。

送られてきて試着してみると、27センチは素足に本当にピッタリで、靴下を着用すると履けないくらいのフィット感だった。

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(クライマクールクロベの着用感)

言ってみれば、ゴム底が付いた靴下を履いているようなフィット感と言えば通じるだろうか?

アッパーは合繊のニット地なので、おそらく着用を繰り返すうちに幾分かは伸びると考えられるので、気長に使っていこうと思う。

7月になってから、昨年からトレンドになっているロングシャツを買おうとネットで検索した。
Amazonで安値の商品をいくつか見つけたが、結局は買わなかった。
素材感や生地の厚さが皆目わからなかったからだ。
そのほとんどが生地の組成を書いていなかったり、生地の厚さに言及していなかったりした。

なるほど、着用写真だけはかっこいいが、そんなもんだけでは買う決め手にはならない。
そんな小手先の手練で売れると思ったら大間違いである。
この手のアホな業者には腹立たしささえ感じる。

結局、Amazonをはじめとするインターネット通販で買うのは、着用感を必要としないガンダムのプラモデル、本、それから雑貨、日用品消耗品ばかりで、まれに服や靴があるという感じで、靴は今回が2度目しかない。

逆にガンダムのプラモデルなら、安値になっていればインターネット通販で買う。
6月には2600円に値下がりしたマスターグレード「ジムスナイパーカスタムⅡ」を買った。

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(ジムスナイパーカスタムⅡの勇姿)

昨今は、返品無料だとか交換しやすいサービスだとか、そういうのがインターネット通販各社から新たに提案されている。

これで「消費者利便性がさらに高まる」と賞賛する声は多いが、こんなことを過剰にやっていれば、配送サービスはさらに危機的状況になる。
みんながコンビニなどの店舗受け取りを活用すると幾分緩和できそうだが、利用者が増えすぎると、今度はコンビニや店舗がストックルームを圧迫されることになりかねない。

インターネット通販こそ不況解消の切り札かのように、吹聴するダメコンサルやアホな業者も多いが、インターネット通販が増えれば増えるほど配送や店舗受け取りシステムは危機感を増す。

個人的には、配送にも店舗にもなるべく迷惑が掛からないように

1、当日配送や翌日配送は求めない
2、返品・交換を前提として気軽に注文しない


という今の自分の活用スタイルを維持することだけが、緩和策ではないかと思っている。

それにしても、ネットをやっていない年寄りに限ってどうしてインターネット通販を過剰に礼賛するのだろうか?

隣の芝生は青く見えるとはいうが、そんな感覚で世論形成がなされれば、ますますミスリードされる情弱が増えるだけではないかと思う。

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洋服の供給量は減らない

 洋服の値崩れを防ぐことについて、その防衛策として「供給量を減らす」ことが業界から提案されるが、実現は難しいのではないかと思う。

まず、これを提案している人々が、どちらかというと小資本だったり、負け組に属していたり、する場合が多い。

小資本や負け組の論理では、大資本の論理を止められないから、グローバルブランドや国内の勝ち組大手企業の供給量が今後、激減することは考えにくい。
良くて微減、少なくとも現状維持だろう。

じゃあ、そういう小資本組や負け組が示し合わせて、供給量を削減したらどうか?ということになるが、これは恐らく独占禁止法に引っかかるのではないかと思われる。
当方は法律にはあまり詳しくないから、詳しい人がおられたらご教授いただきたい。
多分、カルテルだとかトラストに当たるのではないかと思う。

だからこれも現実的ではない。

また、業界内の事情に目を向けると、近年、アパレル企業の倒産、衣料小売り店の倒産・廃業が相次いでいる。企業数が減るということは供給量も減ると一般的に考えられがちだが、業界内の特性として、倒産企業からは何社も独立ブランドが生まれる。

例えば、業界にはVAN倒産後に独立したブランド、企業がいくつあるのか?

それと同じように、アパレルや小売店が倒産・廃業すると、そのメンバーがそれぞれ独立してまたアパレル企業や小売店を始める。
最近だとOEM/ODM事務所を始める人も多い。
それぞれ個々の企業規模は小さいが、業界内のブランド総数は逆に増えるくらいだ。

1社が倒産すれば、そこから5~10社くらいは零細アパレルや零細ブランドが生まれる。

となると、業界全体の供給量はあまり減らない。逆に増えるくらいではないかと思われる。

それに、実際のところ、国内の流通総数は一時期(たぶん2014年ごろ)41億点だったのが、最近では39億点に減少している。
2億点くらいは3年間で減少しており、そういう意味では不振各社の生産調整・在庫調整が進んだのではないかと思う。

以前、日経MJの紙面でイシキタカイ系wの某ファッション専門学校生が、「一枚から服を作ればよいのに」と語ったことがあるが、既存の製造システムでは不可能である。
これに類した「イシキタカイ系のクリエイターw」も業界には多く、彼らの共通特徴として国内の製造加工業の保護・重視を訴えるが、「一枚から作る」と「国内の製造加工業の保護・重視」は矛盾する事柄で両立は不可能である。

中国や東南アジアの最新設備の工場と比べると、国内各工場の生産能力は少ないが、それでも国内各工場とて大量生産システムで運用されている。

織布ならたくさんのメートル数を織れば織るほど、1メートルあたりの生地値は安くなる。
染色も同じ。たくさんの数量を一気に染めれば染めるほど個々の染色加工賃は安くなる。
縫製も同じ。たくさんの枚数を縫えば縫うほど1枚当たりの縫製工賃は安くなる。

近年は国内工場への注文が減っているのでミニマムロットは下がっているとはいえ、1枚から縫います、1メートルから織ります、なんていう工場はサンプル工場以外存在しない。

となると、イシキタカイ系wがいうように「1枚で作る」システム確立を標榜しつつ、「国内の製造加工業を保護しろ・活性化しろ」というのは二律背反で、両立できないことがわかる。

国内の製造加工業を保護・活性化したいのなら、ある程度の数量を継続的に作らせ続けなくてはならない。

たまたま2017年7月だけ100枚の製造を注文してめでたしめでたしとはならない。

何年間も毎月100枚ずつの製造を注文しなくては工場を救ったことにはならない。
2017年7月だけの注文は単なる「スポット」でしかない。
スポットで「国内の製造加工業に貢献した」と思うのは単なる自己満足にすぎない。

洋服の値崩れを食い止めたいなら、個々の企業・ブランドが厳密に希望的観測を排除して「売り切れる」製造枚数をはじき出し、定価か少しの値下げだけで「売り切れる」販売施策をとるほかない。

各社・各ブランドは、製造枚数の設定が甘くないかを再度確認すべきだし、販売方法が本当にそれでよいのかどうかを再度確認すべきだろう。
それができなければ、洋服の供給量は減らないし、値崩れは永遠に止まらない。

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ユニクロ対ZARA
齊藤 孝浩
日本経済新聞出版社
2014-11-20



衣料品の国産比率は金額ベースで26%

 衣料品の国産比率は3%というのは、よく言われることだが、最近これが独り歩きしすぎていると感じる。
この数字が事実であることは間違いないが、この数字は「数量ベース」なのである。

国内で流通している総量に対して3%ということである。

しかし、店頭を見てみると、「日本製」と書かれた衣料品は結構ある。
低価格カジュアル店は別として、3000円台の日本製衣料品も珍しくない。
みなさんの体感的には恐らく3%よりも多いと感じているのではないだろうか。

別の数字を示すと、「国産比率は約26%」ともいえる。
これは「金額ベース」である。
販売された金額をベースとすると国産比率は26%前後ということになる。

なぜなら、日本製衣料品は比較的高額だからである。
日本製で「Tシャツ590円」なんていう商品は、バッタ屋以外の正規店では存在していない。

となると、自動的に金額ベースでの日本製衣料品比率は高くなる。

経産省が2015年に作成した資料にもそれは明記されている。

http://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/seizou/apparel_supply/pdf/001_03_00.pdf#search=%27%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A3%BD%E8%A1%A3%E6%96%99%E5%93%81%E6%A7%8B%E6%88%90%E6%AF%94%E9%87%91%E9%A1%8D%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%27

ついでにスクリーンショットも貼っておく。

経産省キャプチャ

輸入品浸透比率が2012年の段階で、金額ベースでは73%になっている。
ということは国産比率は2012年の時点では27%あったということになる。

そこから5年が経過して、国内の縫製加工業者はさらに減っているだろうから、順当に考えると25~26%というのが現在の状況だろう。

金額ベースに比べて、数量ベースが急落した理由は何だろうか?

様々な要因が考えられるが、最大の要因は、衣料品の供給数量が増えたことだろう。
そしてその増えた分量はほぼ中国をはじめとするアジア製だった。

例えば、ユニクロの台頭。

衣料品の供給枚数は20億枚から39億枚に倍増している。
正確には一時期41億枚まで拡大したが、やや減少して39億枚になった。
このあたりの2億枚の減少は、市場の悪さを鑑みて各社が少しずつ生産調整・在庫調整を行った結果だといえるのではないだろうか。

この増えた20億枚のほとんどが中国をはじめとするアジア製だったといえる。

これによって、数量ベースでの国産比率は急落した。
もちろん、国内の製造加工業者が減少し続けているのは言うまでもないが、もし、供給数量がここまで激増しなければ、数量ベースの落ち込みはもう少し緩やかだったのではないかと思う。

要するに、分母が激増した結果、数量ベースの国産比率が急落したのである。

ちょうど、食料自給率の議論と似ている。
我が国の自給率が低いといわれ続けているが、それは「カロリーベース」での議論であって、カロリーベースなる不思議な指標を採用しているのは我が国と韓国くらいだ。

オウベイガーのみなさんが大好きな欧米諸国は「生産額ベース」で食料自給率を論じている。

だから、「欧米に比べて我が国の食料自給率が低すぎる」というのは、基準が異なるので議論としてはおかしい。
生産額ベースでの我が国の食料自給率はだいたい65%前後もある。

本来は、欧米と比較するならこの生産額ベースで論じるべきで、もしカロリーベースで論じたいなら欧米の自給率もカロリーベースで換算し直さないと意味が無い。

なんだか、カロリーベースで大騒ぎしている自給率と、数量ベースで大騒ぎしている国内衣料品比率はちょっと似た構図ではないだろうか。

金額ベースでの26%というのもかなり厳しい状態であることは間違いないが。

とはいえ、国内の衣料品製造業者は減少の一途をたどっており、今後ますます減少することは間違いない。
一部の強い国内業者を残して、最終的には経営が悪化していたり、後継者がいない業者は消滅してしまうだろう。

最近では、ファクトリエやトウキョウベースといった国産品を扱う新興企業が登場しており、それらが発展することで国産業者の減少が食い止められるのではないかという期待が寄せられているように見えるが、それは糠喜びというものではないかと思っている。

なぜなら、ファクトリエやトウキョウベースという企業が扱っている国産業者は、いわば「強者」に分類されるものがほとんどで、弱小零細業者は扱っていない。
極端な言い方をすれば、強者はファクトリエやトウキョウベースが無くても存続し続けるだろうし、弱小零細は取り扱われないのだから、いくらファクトリエやトウキョウベースが巨大化しようと、経営環境は好転しない。
だから弱小零細業者はこれからもどんどんと姿を消し続けていくだろう。

弱小零細業者がもしも、生き残りたいと思うなら、自助努力しかない。

新進著名企業は助けてはくれないし、アパレル業界にキュウレンジャーみたいな究極の救世主は永遠に登場しないからだ。
最近、キュウレンジャーには12人目の新メンバーとして「伝説の救世主」も登場したが、そんな伝説の救世主も業界には永遠に登場しない。

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