月別: 2月 2014 (1ページ / 2ページ)

わかりやすさが必要

 似たような見え方をしているブランドでも一方は売れて一方はそうでもない場合がある。

これが大手アパレル企業同士が繰り出したブランドなら、企業体力のある方がだいたい勝つからわかりやすい。
ところが、小規模ブランド同士だとどういう優劣があってそうなるのかがいまいちわからない。

単純に物だけを比較するならほぼ同等の売れ行きとなるはずだが、世の中はだいたいそうではない。
きっとそれ以外の要素で格差ができるのだろう。

販促とかプロモーションとかそういう部分も大きい。

たとえば、ベーシックでオーソドックスで玄人受けするようなブランドがあったとしよう。
小規模ブランドなので当然、商品の価格は安くない。
このブランドは専門店への卸売りをメインとしている。

このブランドが売上高を拡大するためには、取引先数を増やすか、既存の取引先への販売量を増やすかである。
既存の取引先への販売量を増やすことは、店頭での衣料品の売れ行きが鈍っている現状ではあまり望めない。
となると、取引先数を増やす必要がある。

専門店はバイヤーと呼ばれる人が仕入れを担当している。
小規模な専門店なら店長がバイヤーを兼ねている。

新しいバイヤーが飛びつくような説明や見せ方が必要なのだが、その際に

「○○という雰囲気を重視しています。全体から良い雰囲気が出ていると思います」

というような説明ではきっと新規バイヤーはあまり注目しない。

たぶん、わかりにくいのだと思う。

今、消費者に受け入れらるブランドはどこかにわかりやすさがあると感じる。
それは価格だったり色柄だったり、シルエットだったり型紙だったり、デザイナー自身のキャラクターだったり生地だったりである。

そういう要素がなくても「○○するときには必ず着てもらいたいブランド」というような生活スタイル提案でも構わない。

なにか「わかりやすさ」が必要だと思う。

しかし、作り手側からすれば、そんな素人に向けたような「わかりやすさ」がバイヤーに必要なのだろうかと疑問に感じることだろう。
ここでよく思い返してもらいたいのだが、昔に比べて現在はバイヤーも素人化が進んでいる。
素人に向けたわかりやすさを打ち出すくらいでちょうど良いのだろう。

ひどく極端な言い方をするなら「ぼくのブランドはこれが得意です」「ここに特徴があります」と言い切ってしまうくらいの「わかりやすさ」を打ち出す必要がある。

それにしてもブランドというのは面白いもので、デザイナーやプロデューサーの知名度が高いからといって、長続きするわけではない。
それで長続きするなら今頃巷はタレントブランドであふれている。

たしかにタレントがデザインやプロデュースを行うブランドは知名度が高い分、好発進する場合が多い。
けれども長続きしない。せいぜい持って3年である。5年も続けば大記録達成である。

タレントがデザイン、プロデュースするブランドはあまり商品自体のクオリティは高くない。
だから知名度抜群でも3年目くらいからほとんどは失速してしまう。
やはり商品のクオリティは重要なのである。

反対に商品のクオリティが一定水準を超えているなら、販促を工夫するだけで売上高を伸ばすことができる。

一口に販促と言っても様々な手法がある。

その中でもブランドの「わかりやすさ」を作るというのも効果的な手段の一つである。

子供服とデニム

 売り上げ規模はまだまだ小さいけれど3年くらい前から「リー」の子供服が好調な伸びを見せている。
好調の要因は複数あるが、その中の一つとして「商品の追加補充がスムーズ」ということが挙げられている。

「リー」を展開するリー・ジャパンはエドウインの子会社である。
エドウインは東北地方に自家縫製工場を抱えているし、中国製品もあるが、大手ジーンズメーカーならではの量産体制がある。

昨今のメーカーは、在庫が残ることを極端に嫌うため、「売り切れ御免」の生産スタイルが増えてきた。
そうすると、店頭で売り切れても追加補充ができず、新型に切り替わることになる。

たとえば、品番3102が店頭で売り切れたので、補充発注する。
しかしメーカー側も初回出荷のみで追加生産しておらず、似たような商品だが素材やディテールや付属が異なる品番3103の生産に切り替わっている。
かくして店頭は3102品番を補充することができなかった。

こういう状況が増えてきた。

ジーンズメーカーの大量生産システムは「現在の店頭のスピード感に合っていない」と評されることが増えたが、逆に評価される側面もあるということになる。

ただ、売り上げ規模が拡大すると今度は在庫過剰に悩まされることになるので、そのあたりはバランスを見ながら修正することになっていくだろう。

ところで、最近すっかり忘れ去っていたが、各ジーンズナショナルブランドにも以前は子供服があった。

ボブソン、ビッグジョン、リーバイスには子供ブランドがあった。

ボブソンはそのままの名前で、ビッグジョンは男児が「Uボート」、女児が「ブラッパーズ」だった。
この2社は自社企画で生産販売を行っていたが、今はもうない。

「リーバイス」の子供服「リーバイス・キッズ」はフーセンウサギの子会社ファティエがライセンスで企画生産販売を行っていたが、ファティエが親会社のフーセンウサギに吸収されてからはフーセンウサギが展開していたが、フーセンウサギも倒産してしまった。

ジーンズナショナルブランドでは「リー」の子供服だけが残ったことになる。

こうなると残存者利益がある。

今になると信じられないことだが、ほんの12,13年前までは子供服でジーンズはタブーだった。
専門店向けブランドはそうでもなかったが、とくに百貨店向けブランドでは導入に及び腰だった。
理由は「色落ちするから」「洗濯したときにほかの洗濯物に移染するから」「(作業着出身である)デニム生地は百貨店の上品な顧客に受け入れられない(と思う)から」などなどである。

ミキハウスがデニムを取り入れたブランド「ミキハウス ダブルB」を開始するのも一大決心だったし、ファミリアはデニムの導入には及び腰だった。ベベの専門店向けブランドはノリノリで企画していた。
これが2000年ごろの子供服大手メーカーの姿勢だった。

話が横道に逸れつつあるが、そのまま逸れてしまう。

物事にはセオリー(定説)がある。
一つの業種や業態を長く営んでいるとそこにおけるセオリーは自然と身に付く。
しかし、このセオリーが身に付くことが一概に良いことばかりとは言えないと最近思い始めている。

というのは、先ほど挙げたように百貨店の子供服売り場や百貨店向けの子供服ブランドがデニム生地の導入をためらったような事例があるからだ。

「百貨店の顧客はデニムなんて買わない」「移染したらクレームが来る」

これが2000年ごろまでの子供服業界、百貨店業界のセオリーである。
しかし、それが正しかったかどうか。今では百貨店の子供服売り場にもデニム製品は多数ある。
もちろん、そういう志向の顧客も一定数は存在しただろう。

けれどもそうではなかった顧客も一定数いたし、その次の世代はそうではなかった。
だから今の百貨店向け子供服ブランドはデニムを販売している。

こういう事例はほかのジャンルではもっとある。
メンズ服にもレディース服にもスポーツウェアにも生地メーカーにも流通業にもジーンズメーカーにも。

各業界の定説は疑ってかかる必要がある。
それを疑って打破するには相当の軋轢が生じるがそれを踏み越えた先にしかイノベーションはないのではないか。

ひどく精神論に偏った言い回しなのであまり好きではないけれど、筆者の拙い筆力ではこの程度の表現が限界である。

2年で終了

 ライトオンの新業態「ソルト&ペッパー」が終了した。開始からわずかに2年だった。

http://ryutsuu.biz/commodity/g022421.html

2月の中旬に、1号店としてオープンした「ソルト&ペッパーヨドバシ梅田店」を閉店し、フラッシュリポートに業態転換した。

2号店の「ソルト&ペッパーららぽーとTOKYO-BAY店」も1月末にフラッシュリポートに業態転換をした。ZOZOTOWNに展開するオンラインストアは3月いっぱいで営業を終了する予定だ。

とのことであり、2店舗とも現時点では閉鎖されいてる。
スタート当初は3年くらいかけて「10店舗体制を目指す」と発表されていたが、2年経過した時点でも2店舗しか展開できていなかった。

店内全景

(オープン当初の店内)

2店舗の展開ではオリジナル商品を製造しづらい。
なぜなら、1型30枚程度のロットにしかならないからだ。
物にもよるが、ベーシックなシャツでも2店舗で販売できる分量は数十枚だろう。
コートのように値の張る物なんかだと20枚程度だろう。

これが10店舗体制なら話が変わる。
1店舗あたり1型10枚を販売すれば良いので、1型100枚という生産ロットになる。
1型100枚くらいのロットになると製造コストを引き下げることができる。

おそらく2店舗体制では製造コストが高止まりしたままで、収益性が高まらなかったのではないか。

ソルト&ペッパーは

アイビー、トラディッショナルをベースに、ミリタリーやワークを融合したアメカジトラッドスタイルを提案するメンズショップ。

30~45歳(中心年齢層は33~38歳)までの大人をターゲットとし、内外観、ファザード、ロゴ、店内VPなどを統一し、まるで1976年にタイムスリップをしたような既視感を覚える演出をしていた。

というコンセプトで開始されたが、後半はもう少しベーシックカジュアル路線に振れていた。
何よりも開始からわずか半年程度で、ライトオンの生え抜きプロデューサーだったN氏が退職してしまったことは痛かった。
ブランドの活動が定まらない時点でプロデューサーが交代してしまうと、方向転換を余儀なくされてしまう。
そういう意味ではブランドは担当する「人」によって左右されてしまう。

個人的に見るならライトオンの本体はベーシックアメカジのカテゴリーとなっており、多ブランド化するためには、本体と異なるテイストの新業態が必要であり、ソルト&ペッパーの狙いは決して悪くなかった。
反対にフラッシュリポートは本体とテイストが近すぎてちょっと区別がしづらいので、今後、拡大させるのは困難な作業になるのではないだろうか。

何とも残念である。

ライトオンの売上高は2013年8月期で834億円である。
一業態のみではこれ以上の売上拡大は難しいだろう。
そのためにフラッシュリポートが開発されたのだろうが、本体との区別が難しい。
拡大を目指すという前提ならガラっと異なる見え方の新業態の育成が望まれる。

一業態のみで縮小均衡していくのか、新業態を育成して売上拡大を目指すのか、その辺りは経営者判断なのでどちらが正しいとも言えない。

企業として思案のしどころに差し掛かっており、同社の経営陣の決断に注目しつつ見守りたいと思う。

夜明け前がもっとも暗い

 昨年あたりから中国の縫製工場の人件費高騰と円安によって「国内で製造するのとコストが変わらない」という状況になってきた。

現在、多くの国内縫製工場や加工場は活況を呈している。
縫製工場や加工場の数は倒産・廃業のため以前より減っている。
工場が減ったところへ受注が増えているのだから、活況になるのもある意味で当然である。

個別の問題は置いておいて、概論だけでいうと、国内工場はコスト面では中国とのハンデがほぼなくなったといえる。

藤本隆宏さんの「現場主義の競争戦略」を読んだ。
この中では、現在の国内製造業の状況を指して「夜明け前」と表現されている。

現在残っている製造業はハンデが最大だった過去20年間に比べれば、今後は国際競争に生き残れる可能性がより高くなる。

とある。
この本は「製造業」すべてを指しているが、これは繊維製造業にも当てはまる部分が多いのではないかと感じている。

ただし、生き残れるのは今後も能力構築と生産性向上を続ける意思と能力を持つ「良い現場」に限られる

ともある。

そして続けて、

マスコミや言論界が根拠の怪しい製造業悲観論を煽ることも必要以上の工場閉鎖を助長します。
(中略)
「夜明け前」の闇の中では、それを「永久に続く闇」と見誤る人が出てきやすい。「本社よ覚醒せよ」と言いたいのはまさに今なのです。

と続く。

使い古された表現だが「夜明け前の闇がもっとも暗い」に通じる言い回しである。

より詳しく知りたい方はこちらもお読みになると良いだろう。

日本の現場に「失われた20年」はない
http://toyokeizai.net/articles/-/27666

一方、最近はむやみやたらと「日本製なら何でも優れている」論も巻き起こりつつあるように感じる。
衣料品・繊維製品・雑貨類でも同じような風潮がある。
本書の中でもこの風潮に対して懸念が示されている。

機械製品や化学製品と異なり、衣料品や繊維製品は日本製とアジア製の違いはあまり明確に分からない。
性能や機能で目に見えた差はない。
せいぜい生地の風合いが何となく良いとか、縫製の始末が丁寧とかそういうくらいである。
その辺りは本当は重要なファクターなのだが、一般消費者には実感しづらい。
ただ、繊維製品の場合、アジア製でも丁寧な縫製の物もあるし、風合いの良い生地を使っている場合もある。

となると付加価値をどこに求めるのかということになり、これがわからないから筆者も含めて業界全体が悩んでいるといえる。

一つには色柄・デザインという部分でのアピールがあるだろう。
別に和柄にこだわる必要はない。もし和柄が好きだから和柄をアピールしたいというなら賛成だが、日本=和柄というのはちょっと安直にすぎるし、和柄をある程度アレンジしないと洋服や洋装向けのテキスタイルにはならない。

純然たる和柄のプリントや刺しゅうを施したTシャツやジーンズが、微妙にダサく見えることがそれを証明しているように思う。

ひどく漠然としていて申し訳ないが、「日本の生地の色使いとか柄合わせは毎シーズン良いセンスだよね」という境地を目指さなくてはならないのではないか。

もしくは他国に追随を許さない高機能製品である。
吸水速乾、保温発熱蓄熱、超軽量、防水、撥水、防臭消臭、難燃、などである。

筆者の乏しい知識ではこの辺りの提示が限界である。

過度な製造業悲観論にも、過剰な国産崇拝にも陥ることなく、国内の繊維製造業が着実なイノベーションを遂げてくれることを願うほかない。

マクロとミクロ

 ファッション産業をマクロな視点で見ると、金融業とか不動産業と密接に結びついている。
東京や大阪都心にあるファッションの街も自然発生的にブランドショップが多数集まってきたわけではない。
きっかけを作ったショップの出店は偶然だったかもしれないが、それに続けて多数のショップが出店したのは不動産業や金融業の力がある。

大型商業施設にしてもそうだ。不動産業と金融業との兼ね合いである。
そこに出店しているブランドもそういう仕組みの中で動いているから、どの商業施設にも同じブランドが入店することになる。
個性的で面白いけれども経営規模の小さいショップなんていうのは資金的な問題から出店することは困難である。

そういえば「ルイ・ヴィトン」や「クリスチャン・ディオール」など多数の高級ブランドを抱えているMHLVのベルナール・アルノーCEOも不動産会社の出身だ。

どうやら日本の業界が特別というわけではなさそうだ。

そこそこ知名度がある割にはあまり売れ行きの芳しくないアパレルもある。しかし、何時まで経っても倒産する気配すらなく、運転資金は潤沢だという。そういう場合は、本業以外の不動産業や金融業で利益を確保している場合が多い。

一方、ミクロな視点で見ると、デザイン、縫製、織布、染色整理加工、洗い加工、精練、パターン、撚糸など物作りとしての工程が存在している。
逆にこの工程がなければ、店頭で販売する商品は出来上がらない。販売できる商品がないなら、彼らは純粋な金融業か不動産業へ転身するしかなくなる。

筆者は普段、ミクロな工程の人と接触することが多い。
産地製造業とか独自の小規模ブランドを展開するデザイナーなんてその最たる例だろう。
そんな彼らは、業界のマクロな仕組みをあまり理解していない場合が多い。
愚直に「良い物を作る」ことに集中している人々が多い。

でもこの枠組みをぼんやりとでも知らないと、いくら「良い物」を作っても売上にはそれほどつながらない。
傍から見ていると気の毒になるほどである。

だからと言って筆者はミクロな世界を不要とは思わない。
彼らがないと店頭で販売する商品は製造できない。
また、物作り以外でも日々の店頭での接客や販促告知活動がなければ、良い物も売れない。

反対に、金融業と不動産業について詳しい大手アパレル各社だって、立ち上げてみたのは良いけれど売れ行き不振で1年や2年で廃止になる短命ブランドも数多い。
今後も短命ブランドはどんどん生み出されるだろう。

鳴り物入りで立ち上がった大手企業の新ブランドが売れ行き不振のまま終わるのは、型紙も含めた商品のデザインが良くなかったり、店頭の接客が良くなかったり、販促活動がダメだったり、商品に使用している生地がチープ過ぎたりと、いろいろな要因がある。
店頭のディスプレイが悪い、年間を通じた商品政策(マーチャンダイジング)が良くない、などという要因もある。

だからファッション産業においてもミクロな世界は必要不可欠である。

けれども「物作り」や「店頭の接客」のみに没頭していては、規模の拡大は到底見込めない。
製造業、接客業の外側には金融業と不動産業によって動いている繊維・ファッション業界があるということをうっすらとでも認識することが必要ではないか。(もちろん、筆者も自戒を込めて)

それを認識しつつ、「物作り」や「販売」に集中することで、小規模企業は拡大のきっかけを手に入れることができるだろう。

筆者はできれば、こういうことはファッション専門学校なり、キャリアスクールなりで教育すべきだと思う。それによって初めて繊維・ファッション業界の人材の底上げが可能になるのではないか。
ファッションは夢があって楽しいけれどもそれだけではない。不動産王が築き上げたMHLVの現状がそれを証明しているように思えてならない。

関西らしい企画

 Elasticさんが関西のセレクトショップで打線を組んでみたというブログをエントリーされている。

http://www.fashionsnap.com/the-posts/2014-02-17/kansai-selectshop/

せっかくなので私は関西のセレクトショップで組んでみました。

1(遊)LOFTMAN 5店舗
2(二)MUSEUM OF YOUR HISTORY 10店舗(系列店含む)
3(一)Ciaopanic 21店舗
4(三)URBAN RESEARCH 33店舗(系列店含まない) 
5(捕)Bshop 18店舗
6(中)印 7店舗
7(右)ITAL STYLE 9店舗
8(左)MINDTRIVE 8店舗(系列店含む) 
9(投)乱痴気 5店舗

とある。

そして、こうまとめられている。

こうして関西の大手セレクトを並べてみますと、 関西のファッションが土臭いテイスト(アメカジ・ワーク・アウトドア)で 溢れている理由がわかりますね。

さて、ここで触れられているように関西のファッションは土臭いテイストである。
打線の中でも7番のイタルスタイル以外はすべてアメカジ・ワーク・アウトドア系である。

関西在住の人間からすると、現在はこれでも土臭さがずいぶんと中和されたように見えるのだが、ファッションを専門に見ておられる方からするとまだまだ土臭さが目立つようである。

90年代半ばにビンテージジーンズブームというのがあった。
年代物の古着ジーンズが驚くほど高額で売買された時代だが、年代物の古着ジーンズをベースとしたレプリカブランドも数多く誕生した。

ステュディオ・ダ・ルチザンを皮切りに、エヴィス、ドゥニームなどである。
上記以外では市場から退場したブランドもあるが、この当時に関西本社でなかったブランドは「シュガーケーン」くらいではなかっただろうか。

それほどに関西はビンテージジーンズブランドが多かった。

これらに比べると後発だったフルカウント、ウェアハウスも大阪出身である。

今ではどのブランドも東京への進出を果たしているが、2000年代前半くらいまでは関西はジーンズの有力マーケットだった。
ジーンズのトレンドは関西か九州で発生し、東京に行って全国区に広まるという構図があった。
レプリカジーンズブランドなんてまさに「関西発祥・東京発信」という構図である。
そして、関西人以外のファッション業界人から見ると、まだわずかにだがその遺伝子・風土は残っていると感じられるようだ。

「関西のファッションを復権しよう」という声をよく聞く。
まあ、組合とか自治体とか商工会議所とかが主体だけれども。

その際、現状としてほとんど関西に残ってもいないミセスブランドとか若手デザイナーズブランドとかヤングレディースブランドを無理やりピックアップするよりもジーンズ・カジュアル関係をクローズアップした方が実態に適しているのではないか。

とふと思った。

ジーンズ・カジュアル関係もほとんど東京へ本社が流出してしまっているが、有力ビンテージレプリカブランドが多数生まれた風土はぎりぎり健在している。
今なら間に合うかもしれない。

ただ、ビンテージレプリカブランドを展開するアパレル各社を経営するトップはそれぞれ癖が強い。よく言えば個性的である。個性的すぎるかもしれない。
これらをまとめるのは一苦労どころか十苦労くらいあるだろう。

まとめる作業は困難を極めるだろうが、それでも一番関西らしい企画ではないかと思えてならない。

期待が大きすぎたから

 6割強の売り場面積を縮小し、専門店を導入することを発表したJR大阪三越伊勢丹だが、その敗因に関して「伊勢丹流・東京流が大阪で受け入れられなかった」と指摘されることが多い。筆者はこれは適切な分析ではないと考えている。

JR大阪三越伊勢丹開業前のマスコミ各社の報道を見たり、在阪マスコミスタッフと記者会見・内覧会で接触した感触でいうと、彼らは非常に期待していた。
一般消費者はオープン前の情報はそれほど持ち合わせていないから、新聞、雑誌、テレビなどの報道でどんな施設になるかを想像するほかない。

オープン前、オープン直後の報道ではその期待感が過剰に発信されていたように感じる。

これは推測だが、マスコミ各社は「新宿本店のような伊勢丹が梅田にもできる」と期待していたのではないか。
その報道を受ける一般消費者も当然期待を高めていく。

けれど実際に足を運んでみれば、新宿本店との違いは一目瞭然だ。
JR大阪三越伊勢丹は取扱いブランド、導入テナントのラインナップにおいて新宿本店には遠く及ばない。
関西地方にも数多くある地方百貨店とほとんど変わらない。

けれども冷静に考えてみれば、JR大阪駅周辺には阪急百貨店うめだ本店、大丸梅田店が隣接している。
すでにこの2つに同時出店しているブランドも数多い。
そこにまた徒歩数分圏内で百貨店を出店するのだから、出店を断るブランドも多数出てくることは容易に想像できたはずだ。

今の時点になって、「徒歩数分圏内に3店舗も同時出店したがるアパレルブランドは少なかった」との報道も出始めているが、そんなことは少なくとも、内覧会の2,3か月前の開かれた記者会見でブランドラインナップを見た瞬間にわかっていたはずである。

たとえば、イセタンガールの売り場が作られていたがブランドラインナップはありきたりで、凡百の百貨店の領域を超えるものではなかった。
筆者も会見に出席していたが、イセタンガールのブランドラインナップを見てひどく失望した。

実際に筆者と多少の交流がある某メンズブランドでも「あの近さで3店舗同時出店は無理だ」として、出店依頼を断っている。

そうなると、過剰に期待した分、大阪の消費者には失望感が広がる。
別に多くの大阪人は東京に大して対抗意識なんて持っていないし、大阪が一地方都市であることを自覚している。

期待感から実際に足を運んだ人も多いだろう。
そうでなくては、開業直後のあの入場客数にはならない。
足を運んで自分の目で見てそれでもリピーターにならなかったということだろう。

立地条件からしても実現は難しかっただろうが、もしJR大阪三越伊勢丹が新宿本店並みの「真の伊勢丹流」を実現できていれば、こういう結果には陥っていなかっただろう。

JR三越伊勢丹の敗因を「東京流は大阪で受け入れられない」「伊勢丹流が大阪では通用しない」と分析するのは早計であり、そういう観点のみの報道はミスリードではないか。

見た目があまり変わらないなら

 衣料品の中でもファッション衣料とよばれるジャンルに、機能性が必要かどうかというのは、昔から議論が分かれるところである。

機能性というのは、機能性繊維を用いた吸水速乾とか保温発熱とか、軽量化とか、撥水とかそういうことである。
ストレッチ素材というのも広い意味でとらえるなら機能性といえる。

ユニクロはどちらかというこの機能性を打ち出すことで自社の衣料品を販売する。
量販店は完全にユニクロに追随している。

ユニクロも量販店もファッション衣料というよりは実用品の色合いが強い。

じゃあ、たとえば百貨店とかセレクトショップとかで販売されている商品にそういう機能性は必要なのかどうかということになる。
個人的には、そういう機能があれば買う動機になるし、販売する側は売りやすいと思うから賛成である。

けれども業界にはそれに否定的な立場をとる人々もおられる。
そういう人々のすべての意見を把握しているわけではないが、知る範囲で集約すると

「あくまでもファッション性が重要であり、機能性はその次である。機能性を重点的に打ち出すよりもまずファッション性を追求しているかどうかが重要である」

という感じになる。

これはこれで一つの意見であるし、なるほどとも思う。

ユニクロも含めた量販店と同じ打ち出しで良いのかという疑問も含まれているのだろう。

しかし、その一方で、現在のユニクロを含めた量販店の商品と、百貨店・セレクトショップの商品とが一見しただけで大きく異なる点があるかというとそうでもない。
ブランドタグとか胸のワンポイントマークを除けばあまり大差が無いように見える。

90年代前半に黒いスーツを買おうと思ったら、DCブランド系のショップ以外に販売していなかった。
当然DC系は価格が高く、安いところを探したら、ロードサイドの青山とかアオキとかはるやまの略礼服しか市場にはなかった。
ツープライススーツショップはそのころには市場に存在していなかった。
筆者が欲しいのは冠婚葬祭ようの略礼服ではないので、DC系のショップで8万円くらいする黒いスーツを購入した。もちろんバーゲンで5万円くらいに値下がりしてからであるが。

現在なら、略礼服ではない黒いスーツはツープライススーツショップにも掃いて捨てるほど転がっている。
価格は1万9000円とか2万80000円とかである。
そしてそれを着用していてもブランドのものと大して見え方は変わらない。

この黒いスーツの例は極端だが、90年代半ばくらいまではファッション衣料と量販店の衣料品は大きく異なっていた。
だから少々高くてもファッション衣料を買わざるを得なかった。

しかし、今のように見え方がそう大きく変わらないのであれば、わざわざ高額な商品を買う必要はなく黒いスーツはツープライススーツショップで購入すれば良い。

となると、機能性を追求することは一つの付加価値となる。

量販店商品の給水速乾性はこれくらいだが、百貨店商品の給水速乾性はその1・5倍くらいあるというような打ち出しもありだろう。
むしろその方が消費者にも伝わりやすいかもしれない。

古くからファッションに携わっておられる方は寂しく感じられるだろうが、これが現状である。

幸いにして、我が国の合繊メーカーとか紡績各社は機能素材開発が得意である。
これを有効に活用しない手はない。

ただ、懸念があるとすると、あまりに機能性を追求しすぎたために不必要と思われるような機能まで付加する可能性があるということだ。

以前にも書いたが、男性のワイシャツにUVカットとかビタミン加工とかそういう機能性を持たせた時期もあったが、果たして男性のワイシャツにそういう機能が必要だっただろうか。
こういうことは繰り返されるべきではない。

一般消費者に伝わりやすく、それでいて高価格でも納得してもらえるとするなら、高機能素材を使うのが一番の近道だと考えられる。

どうでも良いことだが

 どうでも良い話だが、もう少し暖かくなってきたら、セーターの肩掛けスタイルは復活するのかな?とふと気になった。

先日の積雪を持ち出す必要もなくまだまだ気温が寒いため、ダウンジャケットなどの防寒類が着こなしの主役となっている。セーターの肩掛けスタイルは見られるはずもない。

気温が上昇すれば、あのプロデューサー巻きが復活するのかどうか。
昨年の晩秋まではけっこうあのスタイルが見られた。
20代の若い男性がやっているのは、「ああ、トレンドのスタイルね」と思えるのだが、30代半ば以降で顔にシワが刻み込まれた男性がやっていると「ああ、バブルのころから同じスタイルなのね」というふうに見えてしまう。

セーターの肩掛けスタイル「プロデューサー巻き」は年配の男性は避けた方が賢明だろう。

さて、ファッションの流行というのは不思議なもので、当初「うわ、ダサッ」と思っていても見慣れてくると「これもありかも」と思えてくる。

セーターの肩掛けスタイルも昨年の夏の終わりにはすっかり見慣れてしまっていたし、現在では白い靴下を見慣れつつある。

筆者個人は、相変わらず白い靴下を履く気はないし、オヤジが履いているのを見ると「ゴルフの帰りかよ?」と思うし、若い人が履いていると「学校から帰ってきてすぐに制服から着替えたけど靴下を履き替え忘れたのかな?」と思う。

一方、ファッションに敏感な人は、こういうトレンドもありだよね。という見方になっている。

ダサいと決めつけるのは早計?白無地靴下がお洒落の最先端になった理由
http://taf5686.269g.net/article/17940437.html

ただ、ファッション業界に在籍していても白い靴下に抵抗感がある人も多いようである。

白靴下をファッショナブルと思っているのは一部だけ?
http://t-f-n.blogspot.jp/2014/02/blog-post_17.html

ここでは、サカゼン新宿店のスタッフブログが引用されている。

他の同僚さんが白靴下を履いているのを

「狙ってんのか

いつもおかしな格好を」

とイジっておられます。

とある。そして、

おそらくこのブログの筆者にとって、

白靴下は2013年4月から引き続き、

今もイジるべき「おかしな格好」なのでしょう。

と続く。

こちらの感覚の方が筆者に近い。
そのうえで、

もしかしたらこの反応が一般的なものかもしれません。

私も含めファッション業界にいる人間は

常に新しいモノを追いがちですが(それが仕事なのですが)、

世間一般の感覚からすると

白靴下は今もオシャレからはかけ離れた、

ダサさの代表格のようなアイテムなのかもしれません。

いつの日かこのブログで

白靴下がファッショナブルなアイテムとして紹介される日が来るのか。

それともそういう日がこない、

つまりマスに浸透せずに

一部のファッション好きのみが着用するような

街を歩くと一般の人から後ろ指をさされるような

突飛なトレンドアイテムで終わるのか。

引き続きウォッチングして行こうと思います。

と締めくくられている。

今も白い靴下を愛用しているダサいおっさんを数多く見かける。
彼らおっさんが2周回遅れでトレンド最先端に並んでしまっているという状況では、逆にファッショニスタもダサく見えてしまうのではないか。
筆者にはそう感じられてしまう。

プロデューサー巻きが復活するのか、それとも予言されていたように昨年秋で終息を迎えたのか、はたまた白い靴下がマス化するのか、まことにどうでも良いことながら、興味深く注視してみたい。

強い現場と弱い本社

 日本の物作りがダメだという意見を耳にする。
その実例として挙げられるのが家電である。
最近だと自動車も韓国製に追い上げられていると錯覚している人も見かけるが、自動車においてはハイブリッドカー、EVカーでは韓国製は日本製にまったく太刀打ちできていない。この見方はあまりにも自虐史観にとらわれ過ぎているといえよう。

さて、家電においても日本企業でも優劣が出始めている。
比較的堅調になり始めた企業と苦戦が続く企業。

こうした報道を見る限りにおいては、「日本の物作り」すべてがダメになったとは思えない。

繊維製品・雑貨では無い物ねだりなのか、日本製がプチブームである。
かといって日本製すべてが高品質というわけでもなく、日本製もアジア製も変わらない物もある。
アジア製にも高品質品がある。

日本製がアジア製に完全に勝っているかといわれるとちょっと疑問だが、アジア製に完全に劣っているというわけでもない。
個別の案件ではもっと様々な優劣があるだろうが、今回は大きくまとめてしまう。

繊維製品で見ると、日本製がアジア製より大きく優れているとはいえないが、劣っているとも言えないというのが現状ではないか。

先日から藤本隆宏さんの本を読み始めている。
講演したのを活字化しているので、ちょっと文章としては良く分からない部分もある。

しかし、これまでマスコミや業界で大勢を占めていた「日本物作り衰退論」というのは決して正しい見方ではないということがわかった。

藤本さんは「モジュラー(組み合わせ)型」の物作りはアジア勢に道を譲らざるを得ない状況になったが、「複雑型」の物作りは日本がいまだに世界的に優位にあると説く。
モジュラー型の代表はスマホやパソコン、家電、複雑型はハイブリッドカー、高機能便器などである。

その中で特に印象に残ったのが「強い現場、弱い本社」という考え方である。
繊維製造業でも同じではないかと感じる。

現場は製造に関して日夜、研究と作業を続けている。しかし、「何を作れ」とか「何を開発しろ」と現場に指示を出すのは本社である。本社からの指示なしで勝手に現場が目的も持たずに物を製造することはあり得ない。
藤本さんは、日本の製造業が衰退したように見える理由は「本社が指示能力を失ったから」だと説く。

実際に日本の繊維製造現場を見学すると、旧式の機械ながらその特徴を生かした物作りが行われている。
例えば、織布工場を例に取ると、織機を動かすのは現場である工場である。
しかし、工場のラインで働く人が「次のシーズンはこんな生地を作りましょう」と提案することはない。
「次のシーズンはこんな生地を作ろう」と指示するのは本社の仕事である。
またそういう次の商材を企画するのも工場ラインの仕事ではなく、本社の仕事である。

苦戦する国内繊維製造業において活況を呈している企業もある。
そういう企業はだいたい、次の商材開発を本社(零細では工場ラインも兼務している)が的確な指示を出し続けている。すべてが的確でなくても、次の商材開発に意欲的で営業活動も活発である。

一方、苦戦し続けている企業は、本社が下請け気質に甘んじているか、零細では本社と工場ラインのスタッフがほぼ同じなのだが、その本社兼現場が下請け気質に甘んじている場合が多い。

ここを何とかすれば国内繊維製造業も少しは全体的に上向きになるのではないかと思う。

日本製は優れているという思い込みは危険だが、日本製品はアジア製品より劣っていると自虐に陥る必要もない。旧式の織機だってそれによって作られる生地は、最新鋭織機で織られたアジア製の生地には出せない風合いを持っていることもある。

本社の企画・営業機能を強化することで、強い現場が生かされることができるのではないか。

ひどく大雑把だがそんな感想を持った。

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