過ぎたるは及ばざるがごとし
2014年1月22日 未分類 0
素材のブランド化ということを考えてみると、もちろん、ブランド化出来た方が良いに決まっている。
例えばデニム生地のように「ジャパンデニム」が世界から一目置かれるというのは非常に良い傾向だと、日本人たる筆者は思う。
しかし、胡坐をかいているとトルコの大手デニム生地メーカー、ISKOあたりに気が付くと追い越されてしまっているということも今後ありうる。
規模でいうと日本のデニム生地メーカーはひどく小さい。
以前にも書いたことがあるが、中国やトルコ、パキスタンなどの世界規模でデニム生地を販売している工場には最低でも織機が3000~4000台ある。
ところが日本では最大手のデニム生地メーカーですら織機は500台くらいしかない。
いわゆるグローバル向けに大量生産することは日本のデニム生地メーカーでは物理的に不可能である。
合繊素材を除いて、綿やウールなどの天然繊維を主体とする生地はどこも同じような状況である。
大量生産が出来ないとすると、付加価値を付け、単価を上げることが必要となるため、素材のブランド化は必要なことではある。
しかし、あまり根拠もなく素材のブランド化を進めることはどうなのかな~?という疑問点もある。
3年間お手伝いしていたことがあるから書くわけではないが、高野口産地のフェイクファーは手触りの滑らかさや脱毛のしにくさなどを比較すると、中国製・韓国製よりも圧倒的に優れている。
見た目の風合いも圧倒的に優れている。
それでもブランドとして定着させるには何かが足りない。
産地全体のプロモーションに無頓着な性格もあるかもしれない。それも含めてあと一つ何かが足りないと感じる。
時々参考にする山田耕史さんのブログにこんなエントリーがある。
アニメやブランドだけじゃない。服飾素材のクールジャパン。
http://t-f-n.blogspot.jp/2014/01/blog-post_20.html
このエントリーでは、
この冬、三陽商会が展開する「ザ・スコッチハウス」などの複数のブランドで
京都で育てられた高級あい鴨、「京鴨」を使用したダウンコートがリリースされたのですが、
それが売れ行きが好調との事を
先日のお客様とのミーティングで伺いました。
と触れられている。
本文を読んでもらえればわかるが、下げ札も和風にまとめられており、筆者には鳥肉かハムのラベルのように見えるのだが、まあ、ブランドのアイコンとしてはわかりやすい。
筆者はダウンという素材について専門ではないので、いささか的外れかもしれないが、この京鴨という素材にあまり説得力を感じないのである。
筆者の勉強不足かもしれないが、食肉用としてならいざ知らず、羽毛という素材において京鴨が優れているというのは今まで耳にしたことがないからである。
「ホワイトグースが云々」とか、「ヨーロッパグースが云々」という能書きとウンチクは割合に広く知られている。
しかし、京鴨のウンチクは食肉用以外ではあまり知られていない。
ちょっとごり押しではないのかな?と感じてしまう。
ブランドとして喧伝するには少し根拠に乏しいのではないかというのが正直な感想である。
しかし、このような話題作りへの意気込みは他の産地も見習うべきである。
さて、いささか逆説的だが、素材のブランド化が行きすぎるのも危険だとも考えている。
昨年末一大ニュースとなったホテルや百貨店の食材の産地偽造問題は、行きすぎた素材のブランド化にも原因の一端があったのではないか。
○○産の野菜だから、○○産の魚だから、高額でも売れる、高額でも買いたい。
供給側(ホテル・百貨店)も消費者側も「○○産」というラベルを売買していたに過ぎない側面がある。
身も蓋もない言い方をすると、「○○産のトマト」だからと言って、出荷されたトマトすべてが美味しいとは限らない。けれども味は二の次として「○○産」のラベルに消費者は飛び付いたわけである。
衣料品に関しても素材をブランド化しすぎるとこういう弊害は起きる可能性はある。
一口に日本製デニム生地と言ったって、カイハラとクロキと吉河織物と日本綿布ではそれぞれ異なる生産体制だし、製造している生地も異なる。
他の素材にしても同じである。
そのうちに「日本製○○」と表記してあるけど、物性を比較したら「中国製○○」と変わりませんでした。なんて記事が掲載されるような事態も出てくるかもしれない。
PRの手段としては素材ブランド化は有効なので大いに活用すべきだが、素材ブランドが盲信されるような土壌は形成すべきではないというのが筆者の感想である。