
生地工場がオリジナル製品ブランドを続けることの難しさ
2025年5月26日 企業研究 0
最近では国内生地工場が自社オリジナルの製品ブランドを立ち上げて、小売業までを一気通貫で手掛けるというモデルは珍しくなくなった。もちろん、縫製は他社の縫製工場に依頼するが。生地作りと製品企画、そして販売は自社で手掛けるというモデルである。
これまで生地の卸売り販売だけでビジネスが成り立っていたが、生地の卸売りだけではビジネスが成り立たなくなってきたため、2000年代半ばごろから、自社オリジナルの製品ブランドを開発することが増えた。
正直なところ、生地製造と製品小売りは同じ業界とはいえ、全くノウハウも感覚も勘所も異なるので、なかなか成功しづらいというのが現状であり、短命に終わった生地工場ブランドも少なくない。
そんな中、外から眺めていると比較的上手く立ち上げ、なおかつ継続しておられると見えていた倉敷帆布が自社の生地工場である丸進工業を休業するという発表をされたので驚いた。休業とはいうものの、実質的には閉鎖・廃止だというのが、岡山地区の各業者の見方である。
いつも倉敷帆布オンラインストアをご利用いただき、誠にありがとうございます。
このたび、帆布を製造しているメインの工場である丸進工業が休業することとなりました。
それに伴い、現在販売中の生地各種取り扱いを在庫限りで終了とさせていただきます。
とのことだ。
当方も取材にお邪魔したことが何度かあるので衝撃を受けた。帆布を使ったバッグ類、小物雑貨類のオリジナル商品を販売し始めてかれこれ15年以上も続いており、ある意味で生地工場のオリジナル製品ブランドの成功例の一つとしてみなされていた。当方もそのような認識だった。
沿革については公式サイトをリンクさせていただく。
倉敷帆布|国産帆布生地|倉敷帆布株式会社 コーポレートサイト
読むのがめんどくさいという人のためにザックリとまとめると、1927年に武鑓帆布工場(のちに社名をタケヤリに)として帆布製造を始め、1933年にその弟が丸進工業を立ち上げて帆布製造を始めた。その後なんやかんや時は流れて、2003年にタケヤリ、丸進工業、タケヤリ帆布協同組合の3者出資によって企画・販売会社バイストンを設立して、倉敷帆布を商標登録した。
2008年に美観地区に店舗を出店して今に至るという流れである。
工場が立ち上げたバッグ・小物・雑貨ブランドとしては海外展示会にも出展していたし、ポップアップストアも精力的に対応していて、やれることは全てやっておられたという印象が強い。
しかし、まずタケヤリが工場を閉鎖してしまう。2023年のことだ。
それについてはこのブログが詳しい。
創業135年の歴史に幕をおろしたタケヤリ帆布 / 横浜のオンラインセレクトショップ ヨコハマジャンクション
2023年1月10日、岡山県倉敷市にて135年間帆布を織り続けてきた『(株)タケヤリ』がその歴史に幕をおろします。
タケヤリさんには、私自身のバッグブランドHill’s Side House立ち上げの時からお世話になっており、日本の帆布の品質の高さと誇りを教えていただきました。
そのタケヤリさんが操業停止すると聞いた時は、一瞬頭の中が真っ白に。
とある。
そして、今回の丸進工業の休業(実質閉鎖とも)である。
生地工場が立ち上げた製品ブランドだが、背景となる生地工場が二つとも無くなってしまうわけであり、これはなかなかに衝撃が大きい。
何なら、ブランドの存在コンセプト自体が変わることになる。
背景となる自社工場が無くなるということは、今後はどこかの生地工場または生地問屋から帆布を仕入れて、自社製品を製造販売するという形態にならざるを得ない。生地工場を移転新築して再製造に乗り出すと言うなら話は別だが。
となると、産地に根差したとは言うものの、企画販売が主軸となっている他社の雑貨ブランドと実質変わらなくなるし、生地についてのアドバンテージは無くなる。
今回の工場休業については、岡山・福山界隈の複数の業者からいくつかの背景情報の噂が流れてきたが、今回は触れない。
生地工場という背景があることは強味だったが、同時に弱点でもあったといえるだろう。
一口に生地と言っても生産ロットはまちまちで、国内の帆布製造はミニマムロットがかなり大きいといわれている。一説には帆布のミニマムロットは3000メートルと言われており、単純計算すると60反くらいになる。
一方、バッグ類の生地の用尺は最も大きい物でも1メートルくらいだろうし、小物雑貨類だと20センチとかそこらだろう。
となると、自社製品の製造販売だけでは帆布1種類のミニマムロットさえ潰すことは難しいということになる。
理想としては、帆布の卸販売が大量にあり、そこで残った生地をバッグや小物雑貨に製造するというのが、最も理にかなったビジネスモデルだったといえる。
しかし、現在、そこまでの大量需要が帆布にあるかというと、疑問である。一方、自社店舗がもっと大量にあれば生地のミニマムロットも吸収できたかもしれない。だが、現在3店舗と半年間の期間限定店が1店舗あるだけであり、大量出店するためには多額の資金が必要となり、実現不可能である。
このようなことを合わせて考えると、生地のミニマムロットの大きさと製品とのギャップの大きさが当初から難しいビジネスモデルだったと言えるのかもしれない。
ミニマムロットが小さい他の生地ならそのギャップは小さくやりやすかったのかもしれないが、他の生地なら倉敷帆布である必要も無いから難しい問題である。
「生地工場のオリジナルブランド立ち上げ」と口で言うのは簡単だが実行するのは難しいし、それを何十年も続けることはさらに難しい。今回のお知らせで改めてそれを感じた。なんとか頑張ってもらいたいと切に願っている。