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南充浩 オフィシャルブログ

高い物でも誰かが泣いている業界

2015年1月19日 未分類 0

 個人的には「安い物は誰かが泣いている」というフレーズをアパレル・ファッション業界に軽々しく使う物ではないと感じている。
なぜならば高い物を売っていてもスタッフや関係者を泣かせているブランドは山ほどあるからだ。

2万~数万円代の国産カジュアルブランドがある。
聴くところによるとこのブランドの正社員は、少し前まで健康保険や失業保険、年金などがかけられていなかったそうだ。残業代もほぼゼロに等しい。
当然のことながら正社員の定着率も異様に低く、最近ようやく少し改善されたと耳にしている。

年金・保険類がかけられておらず、残業代も出ないのであれば、正社員などやっている意味はほとんどなく、時給換算で給与が増えるパートやアルバイトをやっている方がマシである。

国産カジュアルブランドで2万~数万円という価格設定は決して「安い物」ではあるまい。
むしろ高価格な部類に属する。

このブランドなんかは高い商品を企画販売しながら自社正社員を泣かせていたといえよう。

また製造加工業でも同じではないか。

日本経済はバブル崩壊で失速した。
崩壊時期は90年とか91年だと言われている。

高度経済成長、バブル期と衣料品は高額だった。
筆者にはバブル期の記憶しかないが、ブランド品と量販店品はデザイン、色柄、素材、シルエットすべてが違っていた。
極言するとリーバイス501のような商品が欲しければ、ジャスコやイズミヤにそれを求めるべきではなかった。
たしかにジーンズは売っていたがリーバイス501とは素材感、色合い、シルエットとすべてが異なっており、到底代用品にはならなかった。

その当時、DCブームで世間は沸いていた。
1着数万円とか10万円とかする洋服が飛ぶように売れていた。
ちなみにファッションに興味がない上に、それほどのカネも持っていなかったから筆者は一切購入していない。
まだ中国へ生産拠点を移すブランドも少なかったから、そのほとんどが日本で縫製・加工されていた。

じゃあ、その当時のDCブランドの商品を縫製・加工した工場が儲かったかというとそうではない。
筆者は販売員時代を含めてこの業界に20年も長居してしまったが、「あの当時、DCブランドの縫製を手掛けて大儲けしたよ」なんて工場の声は聴いたことがない。

現在の国内工場では最年少工員が60代というところも珍しくない。
それほどに高齢化している。

バブル崩壊後、さらに工賃は引き下げられたのかもしれないが、バブル期から高かったとはいえない。
なぜなら、今、60代が最年少という工場は、この30年間新入社員が入社していないということになる。
この60代の行員が30代後半から40代前半だったころがバブル期であり、その当時から新入社員は入社していないということになる。

もし、工賃が高ければその当時は新入社員が入社しただろう。
バブル期の新入社員は今だと50代である。
50代以下がいないという工場はバブル期にはすで新入社員がいなかったということになる。

もし、工賃がそこそこに高いのだったら、少なくともバブル期には新入社員が存在しただろう。
工員のなり手が減ったのはバブル崩壊後ではなく、バブル期からすでに減っていたと見るべきだろう。

となると、あの当時、数万円とか10万円台の服を売っていたブランドも国内工場を泣かせてきたといえるのではないか。

また一時もてはやされた「ハウスマヌカン」の生活は厳しかったとも聞く。
主宰デザイナーと幹部は外車を転がして、贅沢三昧だったがハウスマヌカンは毎食カップラーメンをすすっていたというような風景もあったそうだ。
これなども、高額品を売るブランドが自らの販売員を泣かせていたといえよう。

まあ、販売員の待遇が低いのは今も続いているのだが。

そんなわけで、ファッション業界で人を泣かせているのは安いブランドだけではなく、多くの高いブランドも同じである。
すべての経費を安く据え置くから安く商品を売れるブランドより、高額な商品を販売しつつ人件費や工賃を極端に叩くブランドの方がよほどブラックだといえるのではないか。

それに業界構造は異なるが、高額品で誰もが泣いていないなら、今の着物業界は業界があまねくハッピーだということになるが、現実はどうか。
着物業界は総じて苦しんでいるではないか。
販売側もさておき、着物の各工程の職人の工賃は引き下げられたままである。あれほどの高額商品を作っているにもかかわらずである。

別に低価格SPAを擁護するわけではないが、高額ブランドのみなさんが自らが言うほどモラルは決して高くない。

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