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ブランド間のコラボが増えた理由を考えてみた

 つい先日開催された2017秋冬コレクションでのルイ・ヴィトン×シュプリームのコラボが話題となった。
元より最先端ファッションやラグジュアリーブランドとは縁のない筆者だが、極めて個人的な外野からの感想を書いてみたいと思う。

このほかにもブランド間のコラボ発表が多くあったとのことだが、こうしたコラボばやりには二つの要因があると思う。

1つは、人気ファッションブロガーMB氏が指摘するように、ブランドごとのセグメントがボーダレスになりつつあるということである。

ルイ・ヴィトンという高級ブランドと、シュプリームというストリートカジュアルブランドが対等な存在としてコラボレーションしている。
世の中にはブランドなんて無数にあるが、多くは「〇〇系」とか「〇〇テイスト」でセグメントされている。
そして、ファッション業界人はそのセグメントを疑うこともなく墨守しており、それがために遅れた業界に成り下がったという側面がある。

例えばこんなことは日常茶飯事だ。

「ナチュラル系」なら天然素材しか使ってはいけないという強固な固定概念がある。
商品のデザイン自体がナチュラル感あふれる物であってもその素材組成が合繊混だったり、合繊のみだったりすると「うちはナチュラル系だから」と言って、取引しない単細胞バイヤーは掃いて捨てるほどいる。

あんたらは生地バイヤーなのか?
商品のデザインが気に入って興味を持っても、生地組成の固定概念に外れるからといって仕入れないのがバイヤーの仕事かね?

だから、どこもかしこも同じようなブランドラインナップの店ばかり増えるのである。
それでいて口では同質化を嘆いているのだが、同質化を招いているのはあんたらの強固な固定概念なのだから、自作自演としか思えない。

そういうブランドごとのセグメントが、2017秋冬コレクションからはなくなりつつあるといえる。
ルイ・ヴィトン×シュプリームに限らずだ。

少し前の2017春夏コレクションではヴェットモンとワークブランドのカーハートのコラボ商品が出品されていたそうだ。

確実にブランドごとのセグメントはなくなりつつあるのではないだろうか。

もう一つは、

コラボは「競合より共栄」時代の象徴?
http://www.senken.co.jp/report/hanami_isogimi_20170123/

の記事内でも指摘されているように、

ブランド単独では注目が集められなくなってきているからと考えられる。

単独同士では注目が集められいないから、2つか3つ集まると単独でやるよりは注目が集まるだろう。
そんな考えがどのブランドにも根底に流れているような気がする。

単独で展示会やっても集客できないから何社かで集まって展示会をやればそこそこ集客できるのではないか、という合同展示会開催の考えと似た部分があると感じてしまう。

たとえルイ・ヴィトンでも筆者のように興味のない人はまったく興味を示さなくなっているから、通常の「〇〇シーズンのテーマは××を掲げて」なんて記事なら1行も読まずに華麗にスルーする。
まだ「シュプリームとコラボ」という記事なら何の共感も感心もしないが、それでも記事を流し読むことくらいはする。

とどのつまりはそういうことではないだろうか。

衣料品の売れ行きがかつてのように回復することは考えにくいから、今後はますますこういうコラボレーションが増えるだろう。

記事のタイトルは業界紙ということで「共栄」としておられるが、実際のところは「共衰の象徴」ではないかと感じる。

ところで、個人的にはトータルブランド同士のコラボというのはいまいちピンとこない。

なぜなら、トータルアイテムがそろうブランド同士がコラボをする意味が感じられないからである。
単に名義貸しみたいな感じさえする。

個人的には、トータルアイテムブランドと、特定のアイテムや特定のジャンルで定評のあるブランドとのコラボが本当のコラボではないかと思う。

例えば記事中で紹介されていたヴェットモン×カーハートのようなコラボである。
リーバイスだとかラベンハムだとかノースフェイスだとかナンガダウンだとかそういうブランドとのコラボは意味があると思う。

最近ではコレクションブランドに限らず衣料品業界はコラボ流行りだが、本当に共衰を象徴していると感じられてならない。
単独では集客できなくなっているからだろう。

先日は三越伊勢丹とビームスのコラボが発表されたが、これも単独での集客に限界を感じた小売業同士のコラボだと感じる。
業怪人業界人からすると、「百貨店が大手セレクトとコラボするのは新しい」となるのだろうが、一般消費者から見れば、「どちらも古くからある有名なファッション小売店同士」で目新しさはあまり感じられない。
よくある業界内コラボの一つとしか言いようがない。

まあ、そんな感じで業界内コラボは今後ますます増え続けるだろう。
しかし、それは業界の業界による業界のための取り組みであって、一般消費者に広く響くことはあまりないだろう。そういう意味ではファッション業界はますますマニアックでオタクな世界に進んでいるといえるのではないか。




デービッド・アトキンソンへの妄信は危険

 寺社の修復などを手掛ける小西美術工藝社という伝統企業がある。
この企業の社長に就任して、事業を再生したのがデービッド・アトキンソン氏である。

金融マンから転身したという変わり種で、わざわざ伝統工芸の社長に就任するくらいなのだから、親日的な人物なのだろうと推測される。

また国内でも、グローバル金融マン出身という出自も手伝って、彼の意見の信奉者が多い。
事業を再生した手腕に加えて、根深いグローバルコンプレックスを抱えている日本人は、イチコロで彼の信奉者になりうる資質を持っている。

アトキンソン氏の論調は聞くべきところが多く、最近はいささか挑発的な表現が増えたが、彼なりに我が国の産業を考慮しての提言だと感じる。
しかし、やっぱり「グローバル金融マン」の素性は捨てられないのだなあと感じる。
良くも悪くもアトキンソン氏はグローバル金融マンであり、グローバル金融マンにも当然負の側面もあるということである。

世の中に良い部分しかない存在なんてないのである。
どんなに良い事柄でも必ず負の部分を内包している。

例えば、アトキンソン氏は日本の産業の輸出を促進したいという意図からか、盛んに「一人当たりの輸出金額が低い」ということを最近主張し続けているが、本来は一人当たりの輸出金額は、国の経済力とは関係がない。

「『1人あたり』は最低」ではない日本経済の伸びしろ
http://totb.hatenablog.com/entry/2016/12/11/222220

ここから引用する前に、アトキンソン氏が盛んに比較して日本を挑発する材料にしている韓国についてだが、韓国は内需が極端に弱い国で、ほとんどを輸出に依存している。
しかも人口は日本の半分以下であるから、必然的に一人当たりの輸出金額は高くなる。

日本は内需が大きいので低くなるが、アトキンソン氏を含むグローバル金融マンが褒める韓国は、現在経済危機に見舞われており、日本との通貨スワップが再開されないままに、今年10月に中国との通貨スワップが終了すると、97年に続いて経済破綻する可能性は極めて高い。

余談だが、韓国での売上高が極端に高くなっている某国内スポーツアパレルは大丈夫だろうかと、業界では噂になっている。余計なお世話だが少しずつ韓国での売上比率を下げるべきだと個人的には考えている。

極端に外需に依存した韓国と比較する意味は本来ほとんどない。

さて、先の記事から内容を抜粋引用して紹介したい。

G7で日本の次に少ないのはアメリカですが、両国に共通するのは輸出の対GDP比が低いことです。人口が多い国は多種多様な産業を抱えられるため、人口が少ない国よりも貿易依存度が低くなる傾向があります。

ヨーロッパ諸国の1人当たり輸出額が多いのは、経済統合を進めた結果、貿易が日本やアメリカの国内取引に近いものになっているためです。各国が地理的に近いことも貿易が多くなる一因です。

「ものづくり大国」を名乗りながら、1人あたり輸出額は世界第44位と言われて、悔しくないですか。

という挑発は的外れです。アトキンソンはアメリカ人に「1人当たり輸出額は世界第42位と言われて、悔しくてないですか」、あるいはドイツ人に「オランダやベルギーに負けて悔しくないですか」と聞いているのでしょうか。

とのことであり、詳しいグラフは原文の記事を開いて確認していただきたい。

アトキンソン氏の挑発はおそらく(面談したことがないから文章から推測するに過ぎない)、我が国産業を考慮してのことではないかと思うが、立脚点が間違っているなら、多くの場合は終着点も間違える。
世の中にはたまに間違った過程で正しいゴールにたどり着くこともあるが、そんな僥倖は期待すべきものではない。

アトキンソン氏の立脚点は牽強付会にすぎる部分が目立っているといえる。
例えば、ノーベル賞受賞者の数についての批判は、明後日の方角過ぎて意味をなしていない。

1人あたりのノーベル賞受賞数が世界で第29位というのは、悔しくないですか。

も、2000年以降の自然科学分野ではアメリカ、イスラエル、イギリス、スウェーデンに次ぎます。1901年からの累計値に基づいて現在の日本を論じることはナンセンスです。

であり、これがまさしく正論である。

アトキンソン氏の経営手腕は評価される点も多いが、間違った議論が横行するのは望ましい環境ではない。

参考に次の記事も読んでいただきたい。

アトキンソンの誤診と失った20年
http://totb.hatenablog.com/entry/2016/12/24/094626

アトキンソン氏の意見は非常に参考になるものも多いが、意図的か無意識的か立脚点が間違っていることも多く、妄信するのは危険である。

彼の意見は、テレビのスポーツ評論家の発言程度に半分くらいは聞き流すのがちょうどよい具合ではないかと思う。

アトキンソン氏に限らず、特定の誰かの言うことを無批判に妄信するのは危険極まりない行為であり、他人に操られる結果になってしまう。

デービッド・アトキンソン 新・所得倍増論
デービッド アトキンソン
東洋経済新報社
2016-12-09


デービッド・アトキンソン 新・観光立国論
デービッド アトキンソン
東洋経済新報社
2015-06-05


軽自動車と低価格衣料品は長足の進歩を遂げた

 筆者は基本的にペーパードライバーであり、それがためにゴールド免許を持っている。

しかし、免許を取得してから一度も運転をしなかったわけではなく、何度か練習を兼ねて運転をした結果、ペーパードライバーになった。

理由は運転が好きじゃないからだ。
運転している時間が苦痛で仕方がない。バスや電車なら寝てたり本を読んだり、スマホでニュースを読んだりできるが、運転している間はそれができない。
運転という行為に正直なところまったく面白みを感じなかったし、今でも感じない。

しかし、親父と二人暮らしになってから、もしものときは親父を病院まで運ぶ手段がないから、自動車の運転練習を再開すべきだろうかと思い始めた。

練習再開といっても、近隣の病院まで往復できればそれで良いので、例えば自動車で遠出したりなんていうことはこれっぽっちも考えていない。せいぜい、電車では行きにくい国道沿いのイオンモールへ行くぐらいである。

それほどに自動車の運転という作業には面白みを感じない。

そんな筆者がもしも自動車を買うとしたら今の軽自動車を選ぶ。

内側のスペースも広くなっているし、外見もそれなりにスタイリッシュになっている。
また、カーナビなどの装備も充実しているし、燃費も良くてスピードもそれなりに出る。

産地に取材に行ったりすると、軽自動車で迎えに来ていただくこともある。
乗せてもらって痛感するのだが、20~30年前の軽自動車とは雲泥の差である。

縁戚のおじさんにいまだにかなり古いタイプの軽自動車に乗っている人がいるのだが、自動車はあまり詳しくないがみたところ20年近く前の車種だと思われる。
もちろんカーナビなんて付いていない。パワーウインドウすらついていないのではないかと思う。

たまに乗せていただくのだが、やっぱり狭い。
快適性はまるでない。

同じ軽自動車でも今の軽自動車は格段に機能性とデザイン性がアップしていると、いつもおじさんの軽自動車に乗って痛感する。

男性には自動車好きが多い。
とくに運転そのものが好きな方も多い。

そういう方々は、非常に自動車にこだわる。

車種、デザイン性、機能性あらゆる点でこだわりがある。

走ることそのものが好きな人は、よく「日本車はつまらない」としてドイツ車などを選ぶ。
正直、その感覚はいくら事細かに説明してもらったところで筆者にはまるで理解ができないが、そういう嗜好が存在することだけは理解できる。

前置きが長くなったが、洋服も同じではないかと思う。

軽自動車に相当する低価格ブランドが、見た目も機能性も格段に良くなっており、ファッションにそれほど興味のない人にとっては、わざわざ高額ブランドやインポートブランドを買う理由がない。

何度も書いているが、30年前のジャスコの平場に並んでいる洋服は価格が安かった反面、見た目が死ぬほどダサかった。
いくらイケメンモデルが着用してもあのダサさは隠しきれなかっただろう。

使用している生地もいわゆる「ブランド物」とはまったく異なっていた。
ペラペラだったり色・柄がおかしかったりした。

「ブランド物」と同じような商品が欲しければ、「ブランド店」で買うほか手段がなかった。

だから筆者のような人間でさえ、DCブランドのバーゲンで服を買っていたのである。

今、低価格ブランドの衣料品は軽自動車同様に、見た目も機能性も向上した。
黙って着ていたら、そこらへんの百貨店やファッションビルに並んでいる洋服と区別ができない商品も増えた。

そうなると、低価格衣料でも十分だと考える消費者が増えることは不思議でもなんでもない。

一方、ファッションの好きな人というのは確実に存在するが、それは最早マスではない。
自動車そのものや運転すること自体が好きな人と同じような存在だといえる。

自動車好きの人はわざわざ高い車、燃費の悪い車、メンテナンスのめんどくさい車を買う。それが「味」だと言って。

これって、いわゆるオサレを自認するファッショニスタと呼ばれる人や業界人と同じではないか。

「味」だといって、髙い服、不必要なウンチク満載の服、メンテナンスのめんどくさい服、などを激賞して推奨する。

実はその判断基準は多くの人には理解されない。もちろんそうした判断基準が存在すること自体は理解できるが、多くの人はそういう服に惹かれる感性が理解できない。

筆者が自動車好き・運転好きの人間の感覚を理解できないのと同じである。

ファッションも自動車も「他人からどう見られたいかという要素がある」と指摘する人もいる。
たしかにそれはその通りである。
自動車の場合、ベンツとスズキの軽自動車は一目瞭然で違いがわかる。

とくにメーカーのエンブレムは絶対的に区別がつきやすい。

一方、洋服はどうだろうか?

ブランドのロゴやモノグラムが入ったアイテム以外はほとんど区別ができない。
バックポケットにステッチのないジーンズはユニクロなのか無印良品なのかドゥニームなのか、よく見てみないと区別ができない。

タグやリボンが付いていないMA-1タイプのブルゾンは、ユニクロなのかナノユニバースなのかユナイテッドアローズなのかは見ただけでは区別ができにくい。

そうなると、「かっこよく見られたい」と思っている人でさえ、低価格ブランドで十分だと考えてしまっても何の不思議もない。

今後、さらにそういう人は増えるだろう。

いわゆるそこそこに高額なファッション品を打ち出したいアパレル、ブランドは、割り切ってマニア層を狙うべきであり、ライトなマニア層あたりまでを獲得することを考えた方が合理的で論理的である。

いわゆるファッション品を打ち出しながら、マス層に買って欲しいと考えることは論理的には破綻している。
そして、そういう理解されづらいファッション品を打ち出しながら、「それを理解できないのは消費者が退化したからだ」などという妄言を吐くのは、愚か者のする行為である。





本物を作り続けるためにも「普及版」「簡易版」の開発は必要

 物作り系の人々の「ハイエンドモデル」への固執は凄まじいが滑稽だと感じる。

先日、ちょっと唖然としてしまったのだが、ある取材先でこんな話を伺った。

冬山登山用、スキープレーヤー用のハイスペックダウンジャケットを作っていたメーカーが、もう少しスペックを下げたダウンジャケットをファッション用途で販売したところ、かなりのヒット作となった。
もちろん低価格品ではない。

それによってメーカーのイメージも好転したし、業績の好調さの一因にもなっている。

ところが、社内の古参の中には「あんな3000メートル級の冬山登山もできないようなダウンジャケットを販売するのはわが社の恥だ」とか「プロスキーヤーが着用できないような商品なんて・・・・」とか嘆く者もいるのだという。

もちろん、個人の思想は自由であるべきだが、あまりにもピントがずれていて笑えてくる。

3000メートル級の冬山登山をする人がどれほど世間に存在するのだろうか。
統計を取っていないからわからないが、せいぜい数千人程度ではないか。

そんなコアでニッチな層に向けて商品を作って売って、それでどれほどの売上高が稼げるのだろうか。
その会社が売上高3億円とか5億円程度ならそういうニッチ戦略でも良いが、会社の規模が何十億円、何百億円なら、そういうニッチな商品ではとても会社を支えられない。

必然的にある程度のマスに売れる商品を開発しなくてはならない。

3000メートル級の冬山登山に使用できるハイエンドモデルを否定しているわけではない。
それを作る技術は継承され伝承されねばならないから、そのためにも会社を存続させねばならない。

だったら会社が存続するためにはマスに販売できる商品を開発して、売上高を稼がねばならない。
その稼ぎでもってハイエンドモデルの技術継承・伝承を行えば良いのであって、ハイエンドモデルのみで会社の業績を支えなくてはならないという発想がおかしいのである。

超高額・ハイスペックなハイエンドモデルが飛ぶように売れればそれが理想だが、洋服に限らず家電でも自動車でもそんなことは起こりえない。
みんながレクサスやフェラーリを買えるわけではない。

だったら、庶民でも買いやすい商材を開発して収益を上げて、その収益でもって技術伝承を果たすことがもっとも合理的・論理的な考え方ではないか。

この古参社員たちの考え方は根本的におかしいのである。

物作り系の人にはこういう人が珍しくない。

いわく「デニム生地とは~」「ドレスシャツとは~」「スーツとは~」などなど。

はっきり言ってうんざりである。
そういう技術を突き詰めることは否定しないが、それを万人が欲しがっていると思い込むのはどうかと思う。

伝統工芸についても同じだと個人的には考えている。
いわゆる、正当な伝統工芸品を継承するためにも「売れやすい」商品を開発して、売上高を確保すべきだと考えている。

「本物の〇〇」が素晴らしいことは理解するが、その「本物の〇〇」が売れなくなっているのが現状ではないか。
その原因はデザインの悪さだったり、使い勝手の悪さだったり、けた外れの高価格だったり、メンテナンスの難しさだったり、する。
じゃあそういうものを解決した、普及版、簡易版、初心者版、一般ユーザー向け商品、などを開発すべきではないかと思う。

それで稼いだ売上高を、「本物の〇〇」を伝えるための原資にすれば良いだけのことである。
それがなぜわからないのか理解に苦しむ。

そう書くと、某伝統工芸の人がよくわからないコメントを寄せてきたのだが、「みんなに知られていないだけで、僕は工夫してそれなりに暮らせている」みたいな内容だった。
みんなに知られていない時点で、どうかと思う。
伝統工芸がどのようにして形を変えて生き残ってきたのかは知られるように努力すべきであろう。

個人としてそれで暮らせているのはけっこうなことだが、じゃあ業界全体ではどうか。
後継者難に陥っているのではないか。
それはひとえに「その事業で暮らせる」ということが知られてないためではないか。

僕は暮らせているという筆者個人への反論は、事業存続、事業伝承、事業継承にとって何の益もない。

製造業者の性向、嗜好はある程度は理解しているつもりだが、しかし、それがそのままで良いとは到底思わない。
生き残りたいなら生き残れるような策を講じるべきだし、こじらせたような作り手目線で普及版や簡易版の開発を否定することは、それは却って自分たちの首を絞めていることに気が付くべきである。




6兆円を割り込んだ百貨店売上高は今後さらに縮小する

 多くの人がすでに話題にしているが、百貨店の売上高が36年ぶりに6兆円を割り込んだ。

16年の百貨店売上高6兆円割れ 36年ぶり 主力の衣料品落ち込む
http://www.sankeibiz.jp/business/news/170121/bsd1701210647002-n1.htm

日本百貨店協会が20日発表した2016年の全国の百貨店売上高(全店ベース)は5兆9780億円で2年連続で前年実績を下回り、36年ぶりに6兆円を割り込んだ。既存店ベースで前年比2.9%減だった。

16年の売上高は化粧品以外、ほぼ全ての商品で前年実績を下回った。特に主力の衣料品が前年比5.8%減と苦戦した。インバウンドは購買客数が18.5%増の約297万人だったものの、円高の影響もあり、免税売上高は5.3%減の約1843億円だった。

とのことであり、百貨店の売上高は1980年当時の水準に戻ったということになる。

衣料品不振のほか、この記事では触れられていないが、日経新聞の記事では食料品も1・8%減と微減しており、苦戦に転じたことがうかがえる。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFL20HK5_Q7A120C1000000/

順調なのは、2・0%増となった化粧品を含む雑貨だけである。

衣料品が苦戦していることは隠しようもない事実で、外野から見ていて、百貨店衣料品の売上高が回復することはありえないと感じる。

これまで散々、このブログで書いてきたことの繰り返しになるが、百貨店の衣料品が売れなくなった理由は

1、消費者の可処分所得の減少または伸び悩み
2、百貨店に納品しているアパレル企業の商品企画の劣化
3、低価格ブランド商品の「見た目」の飛躍的な向上
4、ファッション業界人と百貨店関係者の浮世離れ

この4つである。

2と3の原因は、実は同根で、百貨店に納品していたアパレル各社、ワールドやらオンワードやらTSIやらは人件費削減の名目で90年代後半から企画部門を削減し続けている。

企画部門というのは主にデザイナー、パタンナーが属しており、彼らの多くはリストラされ、外部に放り出された。

彼らとて食べていかねばならないから、自分たちでOEM/ODM会社を作ったり、そういう会社に就職したり、商社の製品事業部に入社したりした。

アパレル各社は人件費を削減したのは良いが、結局、モノは企画できなくなるから、そういうOEM/ODM会社に商品企画を依頼するか、商社の製品部門に依頼する。

そういう会社は、特定の1社とだけ契約するわけではなく、売上高を稼ぐためには多くのアパレルと契約する。

百貨店に納品するアパレルの商品企画を手掛けながら、低価格ブランドの商品企画も手掛けるということが日常茶飯事に行われることになる。

同じ会社、同じ人間が企画するので、必然的に両者の企画内容は近しいものになる。

これが90年代後半なら、百貨店アパレルへの納入価格と低価格アパレルへの納入価格には大きな差があったから、百貨店アパレルには上質な素材を使い、低価格アパレルには廉価な素材を使ったりして、商品の見た目にも歴然とした差があった。

しかし、百貨店アパレルが苦戦に転じると、彼らは利益を何とか確保しようと納入価格の引き下げ、原価率の引き下げを平然と行うようになった。貧すれば鈍するを絵に描いたような状態である。

その結果、低価格ブランドと納入価格が大して変わらなくなり、使用素材もクオリティが低下し、商品の見た目も変わらなくなった。

同じような商品なら人間はだれでも安いほうで買う。

2017年現在、低価格ブランドが売れて、百貨店ブランドが売れないのは当たり前のことである。

化粧品を含む雑貨が唯一堅調といえるが、化粧品と衣料品を同様に比較して、化粧品を見習えという論調はミスリードを引き起こす。

化粧品はファッション用品ではあるが、消耗品である。
使い続ければ必ずなくなる。気に入った物は定期的に買いなおす必要がある。

ルブタンの口紅は使い続ければいつかはなくなる。
じゃあ、ルブタンの口紅は定期的に買いなおさねばならなくなる。
毎日使えば使うほどその消耗頻度は高くなり、買いなおすまでの期間は短くなる。

衣料品はどうだろうか。
1度購入すれば何年間も破損しない。
また、いくら気に入ろうが、化粧品ほど毎日使えるわけでもない。

分厚いウールのセーターはいくら気に入ろうが、真夏には着用できない。
せいぜい12月~3月までに4か月間しか着用できない。
保管中に虫に食われた場合は別として、4か月間の着用だから破損するまでには最低でも5年前後はかかるだろう。
保管場所にも限りがあるから、毎年毎年ウールのセーターを買い足すことはできない。

必然的に洋服を年間に買う枚数は制限されてしまう。

おそらく、もっとも洋服を買っている人は、一般消費者ではなく、衣料品業界関係者とアパレル販売員である。

衣料品は、「業界人の業界人による業界人のための商品」という傾向が色濃くなっている部分があるのではないか。

一方、同じ消耗品でありながら、有望視されていた「デパ地下」の食料品が減少しているのはどういうわけだろうか。

食品に関しては知識がないのでその理由はわからない。
もし、ご存知の方がおられたらぜひともご教授いただきたい。

甲斐性なしの貧乏人たる筆者からすると、デパ地下の食料品は化粧品と違って「日常使い」するものではないからかなと思える。
やっぱりハレの日だとか特別な日や贈答に買うけれど、日常的に自家需要として毎日買い続ける人は少ないのではないか、と貧乏人は思う。

あと、百貨店売上高が減少し続けている理由としては、

1、外商が弱っている、または横ばいである
2、地方店を中心に閉店が相次いでおり、百貨店の店舗数が減り続けている

である。

外商の強い百貨店と弱い百貨店の格差が開いていると耳にする。
高島屋や松坂屋、三越などは比較的外商が強いと耳にするが、一方で「うちの外商売上高はそんなに大きくない」と首脳陣が公式発表している百貨店もある。

http://fashion-hr.com/hr-talks/hr-talks_real/4842/

このサイトによると、

外商部の規模自体、バブル期と比べると今は40%くらいに小さくなってしまいましたしね。

と指摘している。

また、地方店はこれまでから閉店・倒産が続いており百貨店店舗数自体が減少し続けており、今後この傾向はますます強まる。
昨年後半にもそごう西武、三越伊勢丹、阪急阪神などが中小型地方店の閉鎖を発表しており、2017年以降はそういうケースがさらに増えると考えられる。
その一方で、今後新しく百貨店が新規オープンすることは考えにくく、店舗数は減少の一途をたどるだろう。

店舗数が減れば、売上高が減るのは当然といえる。

個人的には百貨店売上高は今後さらに縮小すると見ている。
将来的に残っているのは、都心の大型旗艦店のみということになっているのではないか。
そこが百貨店売上高の下げ止まりになるのではないだろうか。

鈴木敏文 孤高
日経BP社
2016-12-22


わがセブン秘録
鈴木 敏文
プレジデント社
2016-12-17



メンズスーツの価格についての感想(後編)

 さて、昨日のメンズスーツの続きを始めたいと思うが、実は明確な落ちとか結論があるわけではないので、記憶を頼りにメンズスーツの流れをまとめるということで終わってしまうと思う。

90年代前半には、サラリーマンになったら「まともな」スーツとして10万円くらいのは1着くらい持っておくべきだという風潮があった。(筆者体感)

その「まともな」スーツというのは、百貨店で売っているものだったり、ブランドでいえばブルックスブラザーズやニューヨーカーなどのトラッドブランドが推奨されていた。

メンズクラブには「13万円のリーズナブルなスーツ」とか「10万円のお手頃スーツ」みたいな記事が掲載されており、初任給が20万円くらいしかなかった筆者にとって、「13万円がリーズナブル!」というのはメガトン級カルチャーショックだった。
世の中のサラリーマンは一体どれほどのブルジョワぞろいなのかと、背中に冷たい物が走った。

その後、90年代半ばからは、コムサ・デ・モードやジュン、ドモン(廃止ブランド)、アトリエサブ(経営破綻した後、現ブランド名ASM)あたりのDCブランドのスーツと夏冬のバーゲン時に半額で買うという手法を身に付けた。
定価が8万円前後でバーゲンで4万円くらいになるという感じである。

4万円くらいのスーツだとサラリーマンとしては夏冬に1着くらいは買える。
それでももっと安くならないかなあというのが筆者の偽らざる心境だった。

80年代半ばからバブル崩壊前後まで猛威を振るった青山やはるやまなどの低価格紳士服チェーン店のその当時の商品は「オッサン向け」「略礼服」に限定されており、ファッション的ビジネススーツは皆無だった。
値段的にはここが筆者の懐具合にはちょうど適合するのだが、商品デザインとしてはありえない状況だった。
ここで買った商品を着用したら、おそらくは「太陽にほえろ」の「殿下」(演:小野寺昭)みたいになっていたと想像できる。

97年の山一・拓銀ショックで不景気感は強まり、いよいよ、さらなる低価格商品が求められるようになったが、すでに低価格商品は青山、はるやまが販売していた。
しかし、その青山、はるやまの「オッサン向け」スーツでは満足できないという人が、徐々に増えていたと感じられていた。

99年に国内初のツープライススーツショップ「ザ・スーパースーツストア」がオープンした。
当初の素材感はチープだったとはいえ、いわゆる「オッサン向け」ではないデザインのスーツが18000円、28000円でそろっている。
どうせ、肉体労働が多い若手サラリーマン(当時まだ筆者は29歳。ピチピチのフサフサだった。今はヨレヨレのスカスカ)としては、傷みやすい高級スーツを着る意味はまったくなかった。このくらいの価格のを着潰すくらいがちょうど合っていた。

素材がチープだったとはいえ、「オッサン向け」スーツではないから、「殿下」にも見えない。

今の若い人には想像できないだろうが、この「ザ・スーパースーツストア」はすごい勢いで広がったし、支持された。今のオンリーの売上高は踊り場状態が長らく続いているが、この当時は急激に売上高を拡大した。

これに危機感を覚えた大手低価格紳士服チェーン店はそろってツープライススーツストアを模倣し、次々に開店し始めた。
青山商事の「スーツカンパニー」がオープンしたのは2000年のことである。

その後、はるやまは「パーフェクトスーツファクトリー」、コナカは「スーツセレクト」、AOKIは「スーツダイレクト」を開始した。AOKIはツープライスを廃止してもう少し価格帯を広げた「オリヒカ」へとスーツダイレクトを変更して今に至っている。

2003年ごろまでにツープライススーツストアは巷に溢れ始め、珍しい物ではなくなっている。

この間わずかに3~4年。今から思うと恐ろしい速度でツープライススーツは浸透したといえる。
結局、手ごろな価格で「オッサン向け」ではないスーツを多くの人は求めていたということになる。
99年以前のサラリーマンが「本物がわかっていた」わけでもないし、「高級品を身に付けたい」と思っていたわけでもない。そういう物しかなかったから仕方なく買っていたということである。

ツープライススーツも使用素材などは向上し、そのうちに高級素材とされる「スーパー100」だの「スーパー120」だのを使うようになり、ますます「見た目」に関しては良くなっていったが、各社同質化してしまい、売れ行きは横ばいになる。

この状況を打破するために、各ツープライス店は、低価格パターンオーダーを導入する。
プラス1万円程度でパターンオーダースーツを作るというものである。
38000円とか39000円でパターンオーダーができる。

現在、3万円台のパターンオーダースーツが増えていると、新聞記事にも掲載されているが、その源流はこのころに作られたと言えるだろう。
ちなみに当時、パターンオーダーの最低価格はエフワンだった。今でもかなりの低価格上位にランクインしている。29800円でのオーダーは当たり前という店である。

もともと、老舗のスーツメーカーだったが、債務超過で経営破綻してグッドヒルに買収されてからは、低価格オーダー店として存続している。
ウェブにはあまり強くなく、少し前に検索した際にはウェブサイトがスマホに対応していなかったことを記憶している。

一方、イトーヨーカドーや西友などの大手スーパーの低価格スーツも2005年以降、見た目は飛躍的に向上しており、ツープライス店とあまり遜色がなくなりつつある。価格は1万円とか8000円とか7000円くらいで、合繊多めの素材で丈夫だから、肉体労働が多いサラリーマンのユニフォームとしてはこれが最適だろう。ツープライスですら買う必要がなくなりつつある。

結局、スーツは大手スーパーの1万円以下が既製服としては最低ラインになり、差別化を図る各社は2万円台からの低価格オーダーで差別化をアピールしているということになる。

百貨店・ファッションビルブランドは、ポールスミスやタケオキクチなど、スーツに定評があるブランド以外にスーツ類はあまり必要とされなくなっているといえる。
4万~7万円という中途半端な既成スーツは存在意義をなくしつつある。

衣料品は全般的に単なる嗜好品になりつつあるが、メンズのスーツはその最たる例ではないかと個人的に見ている。見た目だけなら3万円台のオーダースーツで十分だし、作業着なら大手スーパーの1万円以下スーツで十分である。大手スーパーのスーツでさえ、オッサン臭さは払拭されている。

5万円を越えるスーツを「わざわざ買う」のはよほどの数寄者・愛好家と言えるのではないか。

とくにカジュアル衣料と異なり、ブランドごとにデザインに特徴があるわけでもなく、ロゴマークがあるわけでもない。よほどの低価格品は別として3万円台のオーダースーツなら、プロ以外はほとんど見分けられない。数寄者以外が金をかけなくなったのも当然ではないかと思う。

ところで、これまでスーツとカジュアルのトレンドはこの10年間くらいはほぼ同じだった。
両方ともにタイトシルエット、ジャストシルエットが主流だった。
しかし、カジュアルは昨年くらいから懐かしのビッグシルエットがトレンドに浮上してきた。オッサンが着用すると、90年代のヒップホッパーが老化したみたいになるから要注意である。

スーツは今のところタイトシルエット、ジャストシルエットが引き続き主流で、ビッグシルエットが復活する気配はない。

ビッグシルエットのスーツは80年代のソフトスーツにしかならないので、今後も復活することはないのではないかと個人的に見ている。

シルエットに関していえば、カジュアルとスーツはしばらくの間、トレンドは別方向へと進行するのではないか。

まあ、そんなわけで20年間のスーツの動きを見ていると、「見た目がそこそこ良くて、手ごろな価格の商品は売れやすい」ということが改めてわかる。

他の衣料品も例外ではないということである。




メンズスーツの価格についての感想(前編)

 何を書こうかなあと思って、まとまるかどうか心配なのだが、つらつらと書きだしてみる。

洋服の価格の話なのだが、安い洋服というのはそれこそ40年くらい前から存在していた。
「ユニクロの1900円フリースブームが起きた98年までは低価格衣料品は存在しなかった」みたいな論調は事実関係を誤認しているとしか言いようがない。
1970年代から低価格衣料品というものは存在していた。

ダイエーやジャスコやイズミヤなどのスーパーマーケットで低価格衣料品は販売されていた。
(イトーヨーカドーはそのころ関西には店舗がなかった)

現に70年産まれの筆者はイズミヤとジャスコの低価格衣料品のみで93年まで過ごしている。

70年代、80年代は働いていないので当時の業界のことや社会情勢は分からない。
しかし、93年から逆算すると、価格破壊で大々的に企業の業績が伸びたのはメンズスーツという分野の方が先ではなかったかと感じられる。

今回はスーツの価格の変遷についての感想を書いてみようかと思っているのだが、なにせ当時は子供で明確な記憶も残っていないし、その手の資料も手元にはない。
おぼろげな記憶だけが頼りなので、間違うこともあるかもしれないが、その際にはご指摘いただきたい。

物心がついたのは80年代である。
80年代にはすでに関西には洋服の青山、紳士服のはるやまという低価格スーツチェーン店が多数あった。
筆者の実家の国道沿いにも青山、はるやまは何軒もあった。

そういえば当時は、国道沿いにシーグラー、スリーエムという低価格スーツチェーンもあってテレビCMまで両社とも流していたが、いつの間にか消えてしまった。

AOKIは業界2位だが2000年を越えるまでほとんど関西には出店していなかった。
だから筆者にとってAOKIはまったく馴染みのない店なのである。

コナカも同様である。

青山商事が「洋服の青山」の1号店を出店したのは74年で、株式上場したのが87年なので13年間で劇的に店舗数を増やして売上高を伸ばしたと想像できる。
当然、AOKI、はるやまなどもほぼ同時期に急成長していると考えられる。

これらが、急激に売上高を伸ばしたのは、百貨店のスーツに比べると安いからである。
別に当時の消費者は高級志向だったわけでもなく、良い商品のみを求めていたわけでもない。そこそこに使い勝手が良くてそこそこに安ければ売れるというのは普遍的な事実である。

それでも、筆者が働き始めた93年はまだ「スーツは高くて当たり前」という風潮が色濃く残っていた。
初任給や初ボーナスで「まともな」スーツを買うなら、百貨店で10万円前後というイメージがあった。
これは両親や祖父母も盛んに言っていたので、そういう意識が社会に広くいきわたっていたのだと想像する。

しかし、大卒初任給で10万円のスーツなんてなかなか買えないので、必然的に自宅近所の青山かはるやまに行くことになるのだが、当時の青山、はるやまで売っているスーツは23歳の若者から見て「かっこいい」と思えるスーツはほとんどなくて、いわゆる「オッサン向け」だったと記憶している。
結局、青山、はるやまでは買わず、百貨店でも買わず、コムサ・デ・モード、ジュン、ドモンあたりのDC系ブランドのスーツをバーゲンで買うようになった。

定価7万円~8万円が夏冬のバーゲンで4万円前後に下がって買った。

当時からファッション雑誌を読み始めたのだが、若い筆者は熱心だったので、毎月2~3冊くらいはメンズファッション雑誌を購読していた。
ファッション雑誌を流し読みしかしなくなった今とは大違いである。

で、その中の1冊にメンズクラブがあって、このころのメンズクラブには大いに勉強させてもらった。

毎年3月号~5月号くらいのどれかで、フレッシャーズ向けスーツ特集が組まれていた。

そのころの筆者や職場の周りの人間の意識と、メンズクラブのフレッシャーズ向けスーツ特集は、だいぶと乖離し始めていた印象がある。

当時のメンズクラブはトラッド色が強かった。

必然的に掲載されるスーツは、ブルックスブラザーズ、ラルフ・ローレン、ニューヨーカーあたりが多く、価格は10万円を越えていた。
国内ブランドで掲載されていたのはトレンザとかロンナーとかメルボ紳士服とかだっただろうか。

例えば、「リーズナブルな万能スーツはこれだ・・・・・・・・・ニューヨーカーの13万円!」みたいな記事しか掲載されていなかった。

バーゲンで4万円に下がったスーツを1着買ってヒーヒー言っている筆者はその手の記事を読んでいつもカルチャーショックを受けていた。

「マジか!13万円でリーズナブルってどんなブルジョワやねん?」と。

筆者がバーゲンで買っているスーツが3着も買えてしまう。
おまけに「働き出したら夏用・冬用でスーツはそれぞれ3着ずつ必要」みたいな記事も頻繁に掲載されており、それぞれが1着7万~15万円くらいの価格で紹介されていた。

「おいおい、3着で25万円とか俺の月給より多いわ。こんなもん揃えてる新卒サラリーマンおらんやろ!」と心の中で突っ込んでいた。

これが99年ごろまでの話である。
何のかんのといってそういう状態が7年くらいは続いていたということである。

バブル崩壊直後は、実はそれほど不景気感は感じられなかった。
ところが97年に山一證券と北海道拓殖銀行が倒産して一気に不景気感が強まったという印象がある。
ユニクロの1900円フリースブームは、うまくそういう時代の風潮を捕まえることで起きたといえる。
ちょうど98年ごろに起きているからで、そういう時代の風潮を読む目は当時の柳井正会長にはあったということだろう。

結局、4万円くらいの安いスーツを買おうと思うと、青山やはるやまの「オッサン向け」スーツか、DCブランドのバーゲンで半額に値下がりしたスーツしか店頭になかったというのが99年ごろまでの実態である。

「オッサン向け」スーツのイメージは、「太陽にほえろ」の刑事みたいなスーツといえばイメージできるだろうか?
中条きよしが歌番組で着ていたスーツといえばイメージできるだろうか?
小林稔侍がドラマで着用しているようなスーツといえばイメージできるだろうか?

まあ、青山とはるやまにはそういうスーツしか当時は売っていなかった。

94年に、黒の無地のスーツを青山とはるやまに買いに行ったら、略礼服を出された。
いやいや、別に葬式に行くわけではない。

当時の青山、はるやまに黒無地のファッションスーツという商品は存在しなかったということである。

スーツがさらに低価格化し、ファッション化したのは99年にオンリーがツープライススーツショップ「ザ・スーパースーツストア」を出店してからということになる。

ツープライススーツショップを史上初めて出店したのは青山商事でもはるやま商事でもコナカでもなく、オンリーである。それは紛れもないれっきとした事実で、オンリー以外のツープライススーツショップは後発であり、オンリーの業態を模倣したものであると筆者は考えている。

ここで初めて18000円と28000円でのファッションスーツというものが市場で発売された。

ちょっと長くなってきたので、筆者の「独断と偏見によるスーツ価格への感想」はto be continueとさせていただく。

次回へ続く。




値下げ品をちょっと買いすぎたかも

 今日はお気楽に。
恥ずかしいのだが、年末年始の無駄遣いをさらそうと思う。
まあ、誰得企画である。

年始の1月2日のバーゲンでは、ユニクロで1990円に値下がりしたスリムフィットチノパンを2本だけしか買わなかったことを以前に書いた。

しかし、年末ぎりぎりの12月29日に2点買っており、その後、1月10日に3点買ってしまった。

ちょっと時系列で買った商品を紹介したい。
もちろん、全アイテムは定価では買っていない。すべて値引き品である。

12月29日にダイソーで大掃除道具をまとめ買いをしたついでにセーターと春秋用のコートを買った。

セーターは久しぶりにGAPである。
1年ぶりくらいだろうか。

胸にボーダー柄の入った紺色のセーターである。
材質はメリノウール50%・ナイロン50%。
これと同じ品番の色違いで、ライトグレーベースでネイビーと白のボーダーがあったのだが、そっちは売り切れていたので、次善策としてこれを買った。

定価は9900円(税込み)がなんと1900円に値下がりしていたのである。
GAPのむちゃくちゃな値引きは相変わらずである。
しかも値札からさらにレジにて20%オフ、メンバーズ割引で5%オフで、合計25%オフされ、1492円(税込み)になった。これは安いということで買った。

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一昨年くらいから気になっていたのだが、GAPのサイズ感が大きくなっているように感じる。
オールドネイビー撤退、バナナリパブリック縮小ということで日本向けサイズなんてめんどくさくて作ってられねーぜということでアメリカサイズに戻ったのだろうか?

Mサイズでかなりゆとりがある。

思い余って洗濯機にぶち込んで回してやった。
そして天日干しして、これで幾分か縮むことを期待したのだが期待外れだった。
ほとんど縮んでいない。ウールセーターは洗濯すると縮むというのは最早過去の伝説になってしまったのだろうか。

これはちょっと買って後悔しているが、今更返品もできないのでせいぜい使い倒そう。

同日に買ったのが、ユニクロUのブロックテックコートである。
これはずっと買おうかどうしようか迷っていたのだが、残り少なくなっていたので清水の舞台から飛び降りるつもりで買った。

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定価7990円が5990円(税抜き)に値下がりしていた。
これは濃紺Mサイズなのだが、心斎橋店で最後の1枚だった。
だからこれはかなり満足度が高い。ブロックテックなのでレインコートも兼ねて登板回数が増えそうだ。

で、2017年が明けて、バーゲンでチノパンを2本買っただけのときに、たまたまAmazonからバーゲン品の案内メールが来た。
それを見ていると、やたらと安いリュックが並んでいる。だいたい60~70%オフと表示されている。

リュックは最低でも撥水機能がないと買わない。理想は防水だ。

雨の日でも背中に背負って歩くので、リュックは雨に濡れる。
雨に濡れると撥水、防水でないと中身がずぶ濡れになる。

だから撥水、防水リュックを見ていたら、この3ウェイリュックが目に入った。
手提げ、ショルダー、リュックになるタイプで、レビューを読むと「防水は完璧」とあった。
価格は73%オフで2700円(税込み)となっていたので、これをポチった。
送料は無料だ。色はネイビー。

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中国の企業が出品しているのだろう。送り先は中国になっていた。
そのため、到着するまで1週間以上くらいかかったが、別にそんなに急ぐ必要はないので、それほど気にはならなかった。手元について商品をあちこちいじってみると、けっこう、作りが頑丈である。
2700円ならかなりのお買い得品だといえる。

十日戎の3連休明けに買ったのが、ブロックテックパーカとMA-1ブルゾンである。
どちらも愛用のユニクロである。

ブロックテックパーカは定価7990円が5990円(税抜き)に値下がりしていた。さらにオンライン通販専用の500円割引クーポンを持っていた。
だから、店頭で試着してその場で、スマホから購入した。
これで5490円(税抜き)・送料無料で買えた。
カラーは暗めのブルーで紺よりは明るい。サイズはMサイズである。

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これと同じ日にこちらは店頭で買ったのがMA-1である。
秋に入荷していた物だが、定価3990円が期間限定で1990円に下がっていた。
ユニクロUのMA-1はちょっとオーバーサイズ気味に作られているが、こちらは細身に作られている。
オッサンとしてはMA-1は土木作業員になる可能性があるが、細身デザインだし1990円ならお試しでも惜しくはないと思って買った。
最近のアウターはほとんど紺なので、これは思い切ってオリーブグリーンにした。

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これの作りはかなり丁寧で、3990円でもそれなりに値打ちはあるが、1990円なら圧倒的なコストパフォーマンスである。同じ価格でもジーユーの商品とは比べ物にならない。

そして、最後につい先日、衝動買いしてしまったモッズコート風の薄手ダウンコートである。
これはライトオンで買った。
なぜ買ったかというと半額以下に値引きされていたからっだ。
ライトオンの自社ブランド「バックナンバー」の商品で、表面の素材は帝人フロンティアの防水素材「ウォーターバリア」である。
薄くダウンが詰められている。

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定価13800円が7900円(税抜き)に値下がりしていたのだが、この程度ならまだ買わない。
そこからさらに期間限定で2000円引きされていて、5900円(税抜き)まで値下げされていたのである。

解消なしの貧乏人がこんな無駄遣いをして良いのだろうかと迷いながら買ってしまった。

もう何度か着用しているが、暑がりなので分厚いダウンだと汗だくになってしまう。
これくらいの薄さでちょうど良い。そして、ウルトラライトダウンと異なり、ほとんど羽が抜け出てこない。
よほどにしっかりしたダウンパックが内蔵されているのだろう。

5900円でこのクオリティとデザインなら恐ろしくコストパフォーマンスが高い。

今冬買った防寒アウターの中で最大のヒット商品だといえる。
今年の年末に振り返ったときに「コスパオブザイヤー2017」の一つに確実に入賞するだろう。

あ、それから、ライトオンのバックナンバーには購入していないのだが、ダウンを内蔵させたズボン「ダウンパンツ」という商品がある。今、店頭では2900円に値下がりしている。
履き心地を試してみたい衝動に駆られるのだが、どうしたものだろうか。

1月2日のバーゲンを過ぎると、純然たる防寒アウターを買うことにためらいが出てくる。
あと丸2か月半は着用できるのだが・・・・・。
そのため、ブロックテックコート、ブロックテックパーカ、MA-1は春先以降の着用を見越して購入した。
この3点は春先以降の着用という点以外に共通点があって、いずれも防水または撥水機能が付けられている点である。

もう50歳手前のオッサンになると、洋服に見た目以外の機能性を求めるようになる。
防水とか撥水とかノンアイロンとかイージーケアとか給水速乾とか。
そういう点でもユニクロはオッサンの心をとらえる商品を圧倒的にとらえる商品を供給している。

昔のユニクロは安くて機能性はあったが、デザイン・色・柄・シルエット・サイズ感がクソダサかったが、その点が払拭されている。高いだけの洋服よりもユニクロが重宝されるのは当然至極だといえる。
この理屈が理解できない「ファッションガー」とか「本物ガー」は決して消費者のニーズをとらえることはできないだろう。根本の感覚がズレているからだ。

まあ、そんな感じで、冬物の買い物はこれで終了したい。

2月からは春に着用できるお買い得品・投げ売り品を買いたいと思う。




アパレル業界は基本的にウェブに弱い

 常々、国内の繊維製造加工業者が自社ウェブサイトを持たないことに対して「ビジネス的に不利になる」と指摘し続けてきたが、実はアパレル企業でもウェブに極端に弱いのが、この業界の特色である。

おそらく、バブル崩壊直後くらいまでは衣料品業界、ファッション業界は時代の最先端に位置していたのだと思う。(この当時は学生で働いていないので推測)

人為的に決められたものにせよ、「トレンド」というものを毎年打ち出して、それによって消費動向をある程度左右してきた。その当時の最新鋭の情報発信ツールがファッション雑誌であり、テレビ番組とのタイアップだった。

そこから25年前後が経過し、ファッション雑誌もテレビ番組も最先端の情報発信ツールではとっくの昔になくなっている。

2005年ごろから有名企業には公式ウェブサイト(いわゆるホームページ)が常備されるようになった。
企業の商売のサイクルはさまざまあり、卸売りがメインなら年間2~4回くらいの更新が必要となり、直営小売店を運営している企業なら最低でも月1回の更新が必要になる。

しかし、いくら卸売りベースの企業だからといって、2年も3年も更新しないのではその企業は「倒産してしまった」と思われても仕方がない。
すでに2005年ごろにはそういう風潮が世間の標準となっていた。

ちょうど10年ほど前、業界の大ベテランの人から、某アパレルを紹介された。
卸売りがメインだったが、新ブランドの直営店を原宿にオープンした。

その企業とは個人的には何のビジネスも進展しなかったが、そこから3年くらいが経過して、ふとその企業のウェブサイトを覗いてみた。
驚くことにいまだに、2006年当時の「NEW 原宿店オープン」という告知が一番上に掲載されており、「おいおい3年間更新なしかよ」と呆れ果てた。

結局、この原宿店はすでにこの時点でほぼ閉鎖が決定しており、その後程なく正式に閉鎖されたのだが、それにしても3年間更新なしというのは恐れ入る。
下手をするとこのアパレル企業自身が2006年の時点で倒産してしまったと思われても不思議ではない。

そこから時は流れて、現在ではウェブは販促、広報、PRに必要不可欠なツールとなっており、ウェブサイトなしではBtoBにさえ差し支えるようになっている。

製造加工業者が新規の受注を求めるのなら、自社ウェブサイトは絶対に必要である。
例えば「縫製工場」とか「染色加工場」とウェブ検索した時点で、その検索画面に社名が表示されなければ、問い合わせは絶対に来ない。

知られていないのは存在しないのも同然なのである。

さて、そんな中、2016年が終わり、2017年が始まった。

ひょんなことから3年ほど前知り合った小規模な卸売り型アパレル企業があるが、先日、丸3年間ウェブサイトを更新していないことを知った。

2006年当時のあのアパレルを思い出してしまったのだが、これはかなり不味い。
事情を聴くと、人手が足りないとのことでそれはわからないではないが、どこかのウェブ会社に安い金額を支払ってでも最低でも年1回は更新すべきだ。

創業から長い時間が経っている様々なアパレル企業と話していて改めて思い知らされることは、「ウェブに金を支払う価値を見出していない」ということである。

ウェブはできればタダでやりたい。

という考えが経営層にはこびりついている。

片や、ユニクロやジーユーはウェブへの投資を積極的に行っており、有名インスタグラマーには巨額のギャラを支払ってウェブでの販促・広報を行っているといわれている。

ファッション雑誌やテレビ番組でタレントの〇〇ちゃんに着てもらって、それがバカ売れするなんていうことは過去のビジネスモデルになりつつある。

ヒットしたドラマにはそういう効果が今でも期待できる部分があるが、それでもどうだろうか、90年代の熱狂ぶりと比べると随分とおとなしいのではないかと思う。

アパレルの販売不振にはさまざまな原因が考えられるが、ウェブという最先端のツールに対して理解も取り組みも投資もしていないこともその1つではないだろうか。

好き嫌いは別にして現在はウェブ検索、ウェブ通販、ウェブ告知がなくてはならないものになっているし、それがさらに進歩して、最先端ツールの1つであることはゆるぎない事実である。

本来は、消費者より一歩先んじた最先端を提案していたアパレル、ファッション業界が、逆に消費者よりも10年~20年遅れてしまっている。そんな遅れた業界が提案する商品が消費者から支持されないというのは当たり前の話ではないか。

消費者ニーズを見つけろ!なんて上から目線で号令している経営層自身が、実はウェブを軽視して消費者ニーズをまるっきり理解できていないというのが今のアパレル、ファッション業界の実態である。

他人や部下への号令なんてかけている暇があったら、あんたらこそが消費者ニーズと向き合えよって話である。

あ、遅ればせながら1年半前からインスタグラムをやりだした。
https://www.instagram.com/minamimitsuhiro/

展示会写真を掲載するつもりだったが最近はガンプラ多めである。(笑)


いちばんやさしいInstagramマーケティングの教科書
アライドアーキテクツ株式会社・藤田和重・金濱壮史
ラトルズ
2016-12-22


SNSマーケティングのやさしい教科書。 Facebook・Twitter・Instagramーつながりでビジネスを加速する技術
株式会社グローバルリンクジャパン/清水将之
エムディエヌコーポレーション
2016-10-03


中高年男性はビッグシルエットの着用を避けるべき

 これまで続いたタイトシルエット、ジャストシルエットにも飽きが来たのか、ルーズなシルエット、ビッグシルエットが2015年ごろからトレンドに浮上してきた。

最初にレディースで動きがあり、メンズがそれに続いている。
マスを狙うユニクロでさえもカットソー(いわゆるTシャツ類ね)やトレーナー、セーターなどでビッグシルエットを打ち出しており、衣料品業界関係者はこの動きを見て「ユニクロでさえ発売し始めたのだから、このトレンドは定着化する」と指摘しているが果たしてそうだろうか?

男性、とりわけ中年・高年層がこのビッグシルエットを安易に取り入れるのは非常に危険だと個人的に見ている。
30代以上の男性がビッグシルエットを着こなすことは、若い男性よりも難しいと感じる。
また、男性の方が女性よりも全般的に年代を問わずビッグシルエットを着こなすことは難しいと感じる。

シルエットの変化について大雑把なおさらいをしてみよう。
80年代半ばからダボダボのシルエットのソフトスーツが流行となった。
カジュアルアイテムも軒並みゆったりシルエットになった。

90年代半ばまではその傾向は続いており、90年代後半からローライズジーンズが流行するにしたがって徐々に細身シルエットへと変わっていったが、当時は現在ほどストレッチ混素材が発達していなかったため、着用できる人は限られていた。
要するにスマートな人しかタイトシルエットの洋服は着られなかったということである。

そのうちにストレッチ混素材が普及するとともに2004年ごろ、エディ・スリマンがディオールのコレクションで超タイトシルエットを打ち出してから、タイトシルエットがマス化して定着した。

そして、現在、ビッグシルエットがトレンドに再浮上しているからエディ・スリマンから数えても12年目、その兆候が出始めたころから数えると、20年弱ぶりということになる。

今の若い世代はその前のビッグシルエットの時代を記憶にすらとどめていない世代だといえる。
だからビッグシルエットが「目新しい」と映るのである。

オッサン・オバハン世代からすれば「あ、ワシらが若いころに着ていた服やわ」ということで何の新鮮味も感じないのだが。

ビッグシルエットはひとまず復活を果たした。
現在のトレンドはタイトシルエットとビッグシルエットが混在しているというのが正しい姿だろう。

上下ともにビッグシルエットの洋服は着用しない。
そんなものは90年代のだらしないヒップホッパーだけで十分だ。

ビッグシルエットが復活したことで、今、店頭ではこんなセールストークが使われている。

「ゆったりしたシルエットなので着やすいですよ」
「ゆったりしたシルエットなので体型が隠れてスマートに見えます」
「ゆったりしたシルエットなので着る人を選ばずに誰でも似合います」

果たして本当だろうか?中高年男性でビッグシルエットが似合う人は恐ろしく少ないのが実情である。

ビッグシルエットの似合う順番でいえば、やせ形から普通体型に限定すると、

若い女性>中高年女性≧若い男性>>>>中高年男性

という順番になっている。中高年男性はビッグシルエットが最も似合いにくいと思う。

例えば、グローバルワークの写真で比較してみよう。

まず、ビッグシルエットのニット。正式には「7ゲージリブビッグニットプルオーバー」である。

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http://www.dot-st.com/globalwork/disp/CSfGoodsPage_001.jsp?ITEM_CD=742437


どうだろうか?比較的容姿が整ったモデルの男性が着て、このダボつきである。
容姿が整っておらず、中年太りした巷の中高年男性がこれを着るとどれほどダボついて見えるか想像は容易ではないか。

続いてジャストシルエット、ややタイトなシルエットのニットである。
正式名称は「ミラノリブカタボタンボーダープルオーバー」(長ッ)である。

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http://www.dot-st.com/globalwork/disp/CSfGoodsPage_001.jsp?ITEM_CD=737489

こちらはこの15年間ほど主流だったジャストサイズ、タイトシルエットのニットであり、ちょうど同じモデルさんが着用していて比較しやすいが、こちらの方が圧倒的にスマートに見えるのではないか?

くどいようだがもう一度並べるので見比べてもらいたい。

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上の画像の方が太って見え、下の画像の方がスマートに見えるのではないか?

ビッグシルエットはたしかに着ていて楽だというメリットはあるが、よほどに容姿と体型が整っていないと着こなすことは難しい。

ビッグシルエットがなぜダボついて見えやすいか、なぜ太って見えやすいかということを考えたい。

まず、例えば先ほどのモデル男性を例にとって考える。

このモデル男性は中年太りしていない。お腹は出ていない。
タイトシルエット、ジャストシルエットならそれがわかる。
しかし、ビッグシルエットの場合、そのあたりはダボついていてわからない。
だから「ごまかせる」と考えられがちだが、逆にダボついているがために却って、お腹が出ているように感じられるのである。

また、肩幅が広くてお腹が出ていない格闘家体型の男性がビッグシルエットを着ると、広い肩幅でシルエットが固定されて、それがズドンと下まで続くので、却って太って見える。お腹が出ているか出ていないかはダボついたシルエットによってまったくわからなくなってしまう。

だから格闘家体型の男性はピタっとしたシルエットの服を着た方が、広い肩幅と引き締まった腹回りが強調されてスマートに見える。

次の落とし穴は、首の長さと顔の大きさ(輪郭のごつさ)である。

ビッグシルエットの場合、ウエストがどれだけ細く引き締まっていてもそれは外部からはわからない。
首が長くて顔の輪郭の小さい男性がビッグシルエットを着た場合、ビッグシルエットとのアンバランスさで、細さが際立つことになるが、首が短くて顔の輪郭がごつい男性が着た場合は、首と輪郭に引きずられて外部から見えない腹回りも、それなりにゴツいのではないかと、脳が勝手に想像する。

首が短くて顔の輪郭がデカい中高年男性はもっとも太って見えやすい。

仮にタイトシルエット、ジャストシルエットを着た場合は、顔がデカくて首が短くても、腹回りが細いことは簡単に外部から見える。よって、他人は「あ、首が短くて顔がデカいけど体は痩せている」ということが認識できるわけである。論理的にも視覚的にも。

ビッグシルエットの場合、体型が隠されているため他人からはその確認ができないのである。

だから肩幅が広くて首が短くて顔がデカいオッサンはスマートに見えたかったらビッグシルエットを着るのは避けて、タイトシルエット、ジャストシルエットを着るべきである。

ビッグシルエットは体型が隠れてしまうからこそ、首が長くて顔が小さくて肩幅が広すぎない、やせ形からスマートな体型の人間しか似合わないのである。

首が長くて顔が小さくて、肩幅があまり広すぎない体型の男性は残念ながらビッグシルエット以外の洋服も似合いやすい。人間は生まれながらにして不公平に作られているのである。

女性の方が男性よりも似合いやすいのも同じ理屈である。

女性は肩幅が狭い。
首の長短は様々あるが、顔の大きさは男性よりは小さい。
だからビッグシルエットを着ていてもそれなりにスマートに見える。

肩幅が広くて首が短くて顔がデカい男性がビッグシルエットのTシャツ類を無造作に着ていると、リングへ入場してくるプロレスラーか、休日の柔道家みたいに見えてしまう。

それに40代以上の中高年男性がビッグシルエットの服を着ると、新作を買ったように見えずに、バブル期に買った物をタンスの奥から引っ張り出してきたように見える。
これにセカンドポーチを小脇に抱えたら完璧にバブル期のオッサンが出来上がる。

「新作の洋服を買うオサレに敏感なオッサン」ではなく、「バブル期の服を今まで大切に保管していた物持ちの良いオッサン」になってしまう。

しかし、いくらタイトシルエット、ジャストサイズが理想といったところで、タイト過ぎればピチピチになりすぎて、「動物戦隊ジュウオウジャー」の変身後みたいになる。

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http://akkinews.net/archives/117821

極端なピチピチを避けつつも、ジャストシルエット、タイトシルエットを基本にワードローブをそろえた方が、中高年男性や容姿の整っていない男性は、まだマシに見える。

容姿の整っていない男性や中高年男性が、考えなしにビッグシルエットのトレンドに飛びつくのはかなり危険である。




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