MENU

南充浩 オフィシャルブログ

通信販売の先駆者だった百貨店がネット通販には大きく出遅れたという話

2020年5月13日 百貨店 0

連休前にご紹介した本、梅咲恵司著「百貨店・デパート興亡史」(イースト新書)だが、巻末は百貨店への提言がまとめられている。

この著者の主張をひどく乱暴に一言でまとめるなら「EC(ネット通販)に活路を」というものだと当方は読み取れる。

たびたび引用するオチマーケティングオフィスの生地雅之さんの主張もすべて同じではないが、ECへの今後の展開を期待しておられる部分があると当方には読める。

 

一方で、百貨店ECの現状の惨状から「EC化推進は無駄で、ラグジュアリー感やファッション性などをさらに高めるべき」という意見も業界内にはある。

 

どちらが正解かは正直なところは不明で、どちらも実験してみて結果を出して見比べるというわけにはいかない。その点、科学や化学の分野というのは実験してみて結果を出せるからラクだと思う。

まず、経営陣がどちらの路線に進むかということを様々なファクターを考慮しつつも決断しなくてはならない。

 

仮面ライダーダブルに登場した吉川晃司演じる鳴海宗吉は「男の仕事の8割は決断することだ」と劇中で言っていたがまさにその通りである。

 

本の内容に戻ると、この本でもやはり百貨店のEC、ネット通販への遅れは指摘されている。普通の認識力を持った人間なら思想の違いはさておき、そのように認識するのは当然である。

で、この本では

 

百貨店はネット通販には出遅れているが、通信販売を開始したのはかなり先駆者的存在だった

 

という意味のことを指摘している。

 

三越では1890年代後半に通信販売を開始している

 

とある。

もちろん現在の通販体制ではないだろうが、今から120年以上前、日清戦争前後の時期に早くも通信販売に手を付けていたというのはすさまじい先進性ではないかと思う。

このブログで何度も書いているが、やみくもにネット通販を推進するのは褒めたたえられたことではない。自社や自ブランドの事情や顧客層、売れ行きなどを見比べて推進すべきなので、企業やブランドによってそのスピードが異なるのは当然、いや異なるべきである。

 

そのような事情も背景も無視して「一律にEC化率30%未満は失格」とか「一律にEC化率50%を目指しましょう」とか

そんなことを主張するコンサルやメディアは有害でしかない。

 

しかし、いち早く120年前に通信販売に手を付けた百貨店が、ネット通販にはどうして現在に至るまで及び腰なのかはなかなか面白い議論のネタになるのではないかと思う。

著者は、百貨店がかつて持っていた先取気質に期待するところが大きいようで、それを発揮すればネット通販も拡大できるのではないかと考えているようだ。

 

新型コロナショックで、百貨店を含む大型商業施設が休業に追い込まれた結果、販路はネットを含む通販にほぼ限定されてしまった。

このため、改めてネットを中心とした通販に改めて注目が集まったといえるが、そのさなかに百貨店は実店舗同様にウェブ通販も休業せざるを得なかった。

当方も含めた多くの人が「え?ネットも休むの?」と驚いたのだが、百貨店とて休まなくてよいなら休まなかっただろう。にもかかわらず休んだということは休まざるを得ない理由があったということである。

物事には何事につけてもそれ相応の理由が存在する。

 

百貨店のネット通販が休業している理由

これで書いた通り、生地さんの説明を再び引用する。

 

百貨店はその対象であり、在庫責任がない消化ビジネスのため、EC用の商品確保はほとんど不可であり、店頭在庫からの転用出荷なのです。一部の企業・カテゴリーを除いてNGなのです。休業のため、いつ何が売れるかわからないECのために、ピッキングを兼務する販売員を店頭に出勤させられない事態だからなのです。
一部の百貨店に「何故ON-LINEまで止めているのか」との指摘はこのような事情が存在しているのです。

しかし、単独サイト(他のカテゴリーの買い回り対応しないため)で倉庫が別対応のサイトは開けている事を見ても、考えれば理解出来る事なのです。

 

とのことで、結局はこれまで2000年以降散々槍玉に上がってきたが解消されなかった消化仕入れ・委託販売の弊害だったというわけである。

一言でまとめると保守的、硬直化していたということになると思う。

120年間でこうも気質が変わった原因は、日本人全員がそうかもしれないが、ガツガツ・ギラギラしたところがなくなったせいではないかと思う。

「儲けたるで~」というアニマルスピリッツがなくなったとでも言えば良いのだろうか。

 

本書だと百貨店は第二次百貨店法の施行によって、手足を縛られ、そこから保守化・硬直化が始まったと指摘されているが、今の百貨店に「何が何でも儲けたるで~、既成概念をブチ壊してでも」というギラギラ感がないのは事実だろうと思うし、実際に百貨店内部の何人かも見知っているが、そういうギラギラ感はない。

百貨店の現状でいえば、過去のしがらみを気にしながらチマチマと導入ブランドのラインナップを変更している程度ではコロナショックが無かったとしても収益を維持し続けることは難しい。それこそ、かつて呉服屋から百貨店に転身したときほどの変化が求められるのではないかと思う。

 

最後に蛇足だが、百貨店はラグジュアリー感をさらに高めるべきという意見についてだが、それで生き残れるのは日本橋・新宿・銀座・梅田・名古屋あたりの大都市都心旗艦店のみだろう。松屋(牛丼屋じゃないよ)のように2店舗体制での存続を目指すというなら、それもありだろうが、各地の地方支店はラグジュアリー感・ファッション性では到底生き残れない。そこを切り捨てるのもありだが、地方支店も含めて企業存続を図るなら、ラグジュアリー感・ファッション性では無理だろう。

伊勢丹という名前でイメージが湧く高ファッション性が通用するのは新宿という土地だけだろうと思う。

ブランドラインナップや面積が異なったとはいえ、鳴り物入りで名古屋にオープンしたイセタンハウスも今年8月末で閉店することが決まった。

 

名古屋駅前の「イセタンハウス」が8月末に閉店

 

 

報道規制があったのかどうかわからないが、オープン当初以来ずっと不振だと業界内では指摘されていたが何故か大々的に報道されることはなかった。

伊勢丹と聞くとファッションと多くの人がイメージするが、多くの人が求めている「伊勢丹」はあくまでも新宿本店であり、それの小型版とか劣化地方版ではないだろう。だから、大阪に続いて名古屋も(名古屋は業態が異なるとはいえ)撤退することになったといえるし、既存の伊勢丹地方店も維持することがどんどんと難しくなってきているのではないかと思う。

 

百貨店がかつてのギラギラしたアニマルスピリッツを取り戻して大変革を行うことをちょっとだけ期待している。

 

 

 

「百貨店・デパート興亡史」をAmazonでどうぞ~

この記事をSNSでシェア

Message

CAPTCHA


南充浩 オフィシャルブログ

南充浩 オフィシャルブログ