MENU

南充浩 オフィシャルブログ

日本でD2Cが大ブームになりにくい理由を考えてみた

2020年3月4日 ネット通販 0

以前も書いたが、個人的にはD2Cについてさっぱり理解できないし、それがすごいことだとも思えない。また親近感も共感もわかない。

D2Cについて腑に落ちる説明を初めて見た

このときは、深地雅也さんのD2Cについての解説が腹落ちしたことを書いた。

 

要するに

 

注目すべきは、ECありきの実店舗の設計だ。つまり、

「売る事を一番の目的としない店舗のあり方」

に他ならない。ユーザーはECを使えばいつでも決済は可能になる。だからこそ、店舗では売る事を一番の目的としなくてもよくなった。ここで重要なのは、店舗で「体験価値を高める」ではなく、店舗で「売らなくてよくなった」にある。この「売らなくていい店」が活発になったのがD2C以降ではないだろうか。

 

であり、確かに以前から「クリック&コレクト」だとか「クリック&モルタル」だとか「オムニチャネル」だとか言われていた。ちなみにこの3つは字面が違うが言っている内容は同じである。チョッキとベストとジレみたいな関係でしかない。(笑)

2010年代半ばごろまでは、日本では「店を出したからには売れてなんぼ」と考えられていた。今でもそうだが、「売らなくてもいい店が存在する」という認識だけは周知されたので、その辺りの感覚はわずかに変わってきていると感じる。

 

で、当方も含めて多くの業界人、一部の消費者がD2Cという考え方についてイマイチ腹落ちしない理由は3つあると思っている。

 

1、我が国には古くから「高品質な割安品」が多く存在した

2、産業の空洞化や海外移転は数多くあったが米国ほど製造加工業が空洞化していない

3、D2Cの新規参入企業の多くが、単なる仕入型の仲介業者であるという矛盾

 

ではないか。

まず、1から考えてみると、米国から輸入されたD2Cの考え方として「良い商品を割安で」というものがあるが、はっきり言うと、そんなものは昔から我が国にある。

衣料品に限らず、飲食も含めて全ジャンルに。

衣料品だとユニクロや無印良品が代表であるが、別にこの2ブランドに限らない。量販店に納入している低価格衣料品メーカーの商品は25年前からそこそこのクオリティがあった。

例えば、美濃屋が企画しているコンバースのトレーナーやTシャツはどうだ。あのユニクロでさえ、美濃屋のOEMに頼っていた時期もあったし、ユニクロがOEM生産をかなり最後期まで頼っていたのも美濃屋である。

パレモやコックスのオリジナル商品ですら、値段の割にデザインや品質は随分とマシだと思うし、タカキューの投げ売り品だってかなりマシだと思える商品も少なくない。

グンゼの肌着や靴下なんて創業当時から「銀の価格 金の品質(高品質で割安価格)」がモットーだった。

カシオのデジタル時計だって、Gショックみたいな高額品(と言っても10万円を越えるものはほとんどない)だけではなく、防水、電波、太陽光発電が付いていて3000円台の物もある。

こういう商品に囲まれているから、アメリカ人が言うところの「高品質で割安品」なんて日常的に見慣れてしまっている。

 

逆にアメリカでD2C、ヨーロッパでZARAとH&Mというファストファッションが生まれたのは、よほど「安くて良い物」がなかったからではないかと思う。

高くて良い物か、安くて粗悪品しかなかったからそれらが注目されたのではないかと思う。

 

2つ目だが、製造業の海外移転や国内工場の減少なんかが取りざたされるが、未だに我が国にはそれなりに製造加工場が残っている。

新型コロナによるデマでトイレットペーパーが不足しているが、これによってトイレットペーパーは国産だという事実が初めて周知された。

衣料品でも国産比率は3%弱と言われるが、数量ベースであって、金額ベースだと20%強がいまだ国産品である。

これに対して米国では80年代くらいから多くの製造加工場がなくなってしまった。

 

 

こういう指摘があり、例えば繊維や衣料品でいうと、いまだに産地の工場には若いスタッフがたくさんとは言わないが、定期的に就職しているし、新たにそういう取り組みを強化するブランドもあるから、製造加工場がほとんどなくなってしまった米国とはだいぶと状況が異なる。

ここで「モノヅクリ復活でD2Cを」とか言ったって、ピーク時よりは随分と減っているとはいえ、全滅しているわけでもないから、イマイチピンと来なくても無理はない。

 

3つ目だが、D2Cはダイレクトに消費者とつながるのだが、それならユニクロやジーユーのようなSPAで十分ではないかと思われる。

ただし、実店舗を大量に出店するためには大資本が必要だから、零細企業には無理なので、実店舗の大量出店に比べて投資が少額で済むネット通販がクローズアップされる。

個人的には零細のためのネット通販SPAがD2Cだと思っている。

 

我が国でも初期に登場したオールユアーズや10YC、今では売上高が拡大したfoufouなんかは文字通りのD2Cである。自社で企画した商品をネットで直接販売している。

しかし、最近参入した「D2Cを名乗るブランド」の多くは、韓国の東大門市場や中国の広州市場で買って来た商品をネットで販売している。

どこがダイレクトなのだろうか。それなら仕入れ型ネット通販と同じだし、自分たちの存在自体が仲介業者である。

船場センタービルや五反田あたりで買って来た商品をネット通販で売るのと同じである。

こういう混同ぶりはその市場自体を胡散臭く見せて衰退させるだけである。

 

ちょっと話はズレるが、先日、エコを過剰に演出するラグジュアリーブランドがまったくエコではないという報道があった。

 

「環境への配慮はフリだけ」 ファッションブランドに批判

https://www.afpbb.com/articles/-/3265444

 

■高級ブランドは口先だけ

 だがその数週間後、ディオールをはじめとする高級ブランドが、ビスコースによって環境を汚染していると非難する報告書が出された。市場の持続可能性に取り組む「チェンジングマーケット財団(Changing Markets Foundation)」はこの他、プラダ(Prada)やヴェルサーチェ(Versace)、フェンディ(Fendi)、アルマーニ(Armani)、ミュウミュウ(Miu Miu)、マークジェイコブス(Marc Jacobs)などの名前を挙げており、特にドルチェ&ガッバーナ(Dolce & Gabbana)を厳しく批判している。

 

とのことで、高く売るためにはどんなことでも利用し、平気で口先だけで綺麗事を並べるという欧米人の銭ゲバぶりにむしろ当方は清々しささえ感じる。(笑)

なんと自分の利益と欲望に忠実なのだろうかと感心してしまう。

 

 例えば、米ハリウッドの人気ブランド「ルード(Rhude)」のショー会場には終末論的な警告が響き渡った――「母なる地球が生命を支えられなくなれば、私たちは息ができなくなる…私たちが心と体をオープンにしなければ、終わりだ」

 だが、ルードのデザイナー、ルイージ・ビラセノール(Rhuigi Villasenor)氏にAFPが質問したところ、同氏は自身のコレクションに持続可能なものはないと認めた。会場で流れた感動的なスピーチはショーの前日にインターネットで見つけたもので、誰の言葉なのか分からないと述べた。

 

この図々しさには感心してしまう。嘘つきの名人は自分の嘘を本当だと信じ込むから他人を騙すことができるといわれているが、その類の人だろうか。(笑)

 

この手の「なんちゃってエコロジー」も「なんちゃってD2C」もともに真面目に取り組んでいる業者を阻害するだけで百害あって一利なしである。

まあ、そんなわけで流行りのキーワードに便乗してくる「なんちゃって業者」を放置しておくと、そのジャンル自体が信用されなくなる。

D2Cにもそんなニオイが漂っていると感じるのは、狭量で狷介固陋な当方だけだろうか。

 

 

 

ツイートを引用させていただいた望月さんの著書をAmazonでどうぞ~。自分は読んでないけど。

この記事をSNSでシェア

Message

CAPTCHA


南充浩 オフィシャルブログ

南充浩 オフィシャルブログ