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南充浩 オフィシャルブログ

生地も既製服もすべて量産工業品だ

2016年6月2日 産地 0

 最近、「日本の繊維産地を守りたい」みたいな発言をする若い人が増えてきたように感じる。
それはそれで良い話だとは思うが、そういうことを言う人は繊維産地の構造を本当に理解しているのかな?とも思う。

メディアも悪いのだが、ややもすると、繊維産地を「伝統工芸」や「家内制手工業」のようにとらえている気配がある。
しかし、残念ながら特殊な例を除いては繊維の製造加工業は「伝統工芸」でも「家内制手工業」でもなく、量産工業なのである。
織機1台をおっちゃん一人が動かしているわけではなく、何台・何十台・何百台という織機を所有しており、従業員を何人か抱えている。
それらの機会を動かし続け、従業員に賃金を払い続けるためには、量産するしかない。

逆にそこそこの量産品をオーダーできるようになって初めて「産地を守った」といえるのであって、極小ロットのオーダーでは産地を守るどころか、産地に守られているのである。

産地は量産の隙間にその極小ロットのオーダーを挟んでくれる。
量産品がなければその極小ロットのオーダーも製造してもらえない。

奥田染工場がこんなブログを以前に書いている。
以前にも紹介したが改めて紹介する。

ある友人の本に、なくなっていくから、守りたいと書いてあった。
何を言っているんだ。
おまえが作っている量は、守れる量じゃない。
ビジネスはうまくいっているが、技術者を儲けさせるような構造にはならない少量生産を核としているじゃないか。
そのビジネスモデルはそれを言えるような構造じゃない。

勘違い甚だしい、やらせて貰っているんだ。
守るどころの沙汰じゃない。
それぞれの工場に大きな仕事があって、それがあるから、その工場は維持されている。
その維持されている隙間に入れて貰っているだけの話なんだ。
うちの仕事だってその程度のものだ。大きく動いている隙間を生かさせていただいているに過ぎない。
お陰様で物作りが出来ているんだよ。君によって守られているからじゃない。
本当に守る気があるなら、そのビジネスモデルじゃ嘘だってまず気付け。

http://blog.okudaprint.com/2015-02/tour2


とのことである。

そしてこの意見はまったく正しい。

筆者が勝手に嫌味を言っているのではなく、製造加工業者本人がそう言っているのである。

ポエトリーなスローガンを掲げて、手工業化のイメージを世間に植え付けるよりも、効率的に生産ロットを増やせる仕組みを考えることが真に産地を守ることになるのではないか。
例えば織布でいうと、1反(50メートル)のみの生産なんていうのは極度に非効率であり、そんな注文ばかりなら織布工場はたちどころに倒産してしまう。

10反・20反という注文があってその合間に1反という特殊な注文を受けるのである。

例えば、数ブランドで提携して色・柄を共通化するというのはどうか。
1反しか潰せない(1反で縫える枚数は平均で20枚から25枚)小規模ブランドでも5つ集まると、5反生産できる。
5反なら織布工場にかける負担も幾分か軽減される。
2反つぶせるブランドが5つ集まると10反である。

例えば、これはある業者が考え付いたアイデアなのだが、織物は経糸が長ければ長いほど効率的に生産できる。一方で緯糸は10メートルおきに変えてもそれほどの負担にはならない。
この特性を利用して、10反分くらい経糸は共通化して、緯糸を20メートルおきに変えることで異なる色柄の小ロットの生地を生産するという考えである。

20メートルおきにまったく異なる色柄の生地が織られ、その20メートルずつをそれぞれ異なるブランドが使うという仕組みである。

これはアイデアどまりだが、実行を検討してみる価値はあるだろう。

ポエトリーな雰囲気を醸し出して「日本の物作りの尊さを守ろう」とかアジテートするより、よほど現実的な解決策ではないかと思う。

染色や整理加工などほかの工程でもポエムに陥らない何らかの解決策があるのではないか。

元来が量産工業品である生地や既成服を工芸品や家内制手工業のようにとらえよう、とらえさせようという昨今の風潮はかえって国内の繊維製造加工業の行く末を損なうのではないかとみている。



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