
身近な物でも本当に理解できている物は少ないという話
2024年4月17日 製造加工業 0
生地というのは一見しただけでは何がどうすごいのかがわかりにくいと感じる。
もちろん、当方が鈍感であることは認めるが、一見しただけでは「普通」に見えることが多く、いろいろと解説を聞いて初めて「なるほど、それはすごい技術だ」と感心してしまうということがある。
先日、御厚意でセーレンさんの展示会を覗かせてもらった。
業界の人はほとんど知っておられる福井県の大手繊維メーカーである。
当方は北陸にはこれまであまり縁がなく、企業名は存じ上げていたが、実際に接触したことはなかった。
展示会では様々な技術を駆使した生地を拝見させてもらったが、一例を出すとこれである。
一見すると単なる編地に見える。
生地に詳しい人なら一見しただけでそのすごさが分かるのだろうが、素人程度の当方では単なる編地にしか見えない。
で解説をお聞きすると「なるほど、それはすごい」と初めて納得できる。
このピンクの編地は何がすごいのかというと、解説の受け売りをすると、編み方を変えることでメッシュ地っぽい部分とそうではない部分を編み分けているというのである。
だから通常の編地の部分とメッシュ柄みたいになった部分は一続きとなっており、貼り合わせたり、縫い合わせたりしたものではないということになる。
生地だけを見ていてもその効能はわかりにくいが、例えば、洋服になった時に貼り合わせたり縫い合わせたりしているとその分洋服としての重量が重くなってしまう。
余談だが、以前にデニム生地とコーデュロイ生地のパッチワークシャツを持っていた。見た目はすごくカッコイイのだが(着用している本人はカッコよくないが)、縫い合わせている分通常のシャツに比べてすごく重かった。縫い糸なんて1本だと大した重みでもないが、塵も積もれば山となるというように、集合体となると結構な重量になる。
その結果、シャツとしては破格に重くなってしまっており堪え性の無い当方は少ない着用回数で結局、捨ててしまった。
織りと編みでは組織自体は異なるが、貼り合わせ・縫い合わせが無いということは、そういう弊害を回避できるわけである。
さらに、この技術を活かすと、型紙そのものを編地で表現でき、あとはそれに沿って裁断するだけという具合にもなる。
こうすると、型紙を置くという作業を減らすことができ、効率が高まる。
実際、この編地はすでにだいぶ昔に完成しており、有名デザイナーズブランドにも使用されているとのことである。
しかし、多くの場合、そういう事例は知られていない。
これまでデザイナーズブランド側が積極的に発信してこなかったこともあるし、メーカー側も積極的には発信してこなかった。
業界の慣習でいうと、ブランド側はむしろ積極的に隠したがったし、メーカー側も無理にそれを開示しようとはしてこなかった。
当方のような鈍感者は、生地だけを見せられても「普通の編地やん」としか思わないわけで、普通の編地を使った普通の服と受けとってお終いだった。
最近はそういう技術や供給先の開示が進められている風潮が強まっているが、それでもまだまだだろう。
今回、御厚意をいただいたセーレンさんのこの編地が某有名デザイナーズブランドに使われていることは広くは知られていない。
少し以前に月に一度寄稿してくれているUS君が、生地は蘊蓄よりも触ってみてもらった方が分かりやすいという投稿をしてくれた。
これは全く持ってその通りなのだが、それでもやはり、触ってもらうことに加えて「蘊蓄」も必要なのではないかとも思う。
触感+解説、これが最も生地について理解が深まることになる。
ただ、US君の寄稿にもあるように、蘊蓄を聞いても理解するための最低限の知識は必要になってくる。洋服というのは毎日身に着ける物なので、かなり身近な物で、洋服を着ずに生活できる人はまずいない。
それだけに当方も含めて多くの人は「洋服のことをよく知っている」と思い込んでしまっている。
しかし、実際は生地にしろ縫製にしろ、それに対する知識は少ない。一見すると「普通」にしか見えない部分にも技術や工夫がなされている。
さらに言えば、製造加工業者でもすべての工程に通じている人は少なく、他の工程のこととなると全く分からないことも珍しくない。
それゆえに、一般消費者のみならず業界関係者でも生地や洋服の全貌を把握することは難しい。
まあ、これは衣料品だけではなく食料品についても同様のことが言えるのだが。
そんなわけで、改めてセーレンさんの展示会を拝見して、製造業者からの解説や発信の重要性を認識したという次第である。
製造業者が発信しないとどんなに高度な技術でも一般消費者にはわからないし、単なる「普通の生地」としか受け取ってはもらえない。単なる普通の生地ならさほど注目されなくても当然だろう。しかし、逆に蘊蓄を語りすぎても某グルメ漫画のオジサンのようにウザい存在に成り下がってしまうため、そのバランスを取る必要はある。