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南充浩 オフィシャルブログ

アパレルOEM業者の淘汰は今後さらに激しさを増す

2023年5月11日 経営破綻 0

コロナ禍が始まって丸三年が経過し、四年目に突入している。22年後半から行動されたことからされたことから経済は回復しつつある。

この3年間でアパレル企業の倒産はいくつもあったが、ここにきて、コロナ融資の返済期限が来たこともあるのか、23年になってからアパレル企業の倒産のペースが増えていると感じる。

このところの倒産傾向を見ていると、アパレル企業よりもOEM関係が目に付いてしまう。それもそこそこ業界内では名前が通っているOEM関係企業である。

直近だとこれだろう。

株式会社 理喜 – 信用交換所 (sinyo.co.jp)

4月28日、破産申請へ 負債:15億1689万円
この理喜という会社は、肌着のOEMの老舗で、設立は1968年とあるから、55年の歴史がある。徳島や鹿児島に自社工場を持っていたが、タイにも合弁工場も作っている。
しかし、業界メディアでもあまり取り上げられたのを見たことがなく、当方も接触したことが無い。ただ、業界の古株からはときどき噂に出ていた。某大手合繊メーカーの社員によると今回の倒産で引っかかった会社が少なからずあるという。
10数年前にオリジナルのゴルフウェアブランドを立ち上げたが、コロナ禍のゴルフブームに乗ることはできなかった。恐らく肌着OEM生産に行き詰まりを感じていたので、新規事業として立ち上げたのだろうと考えられる。
破産申請へ 負債:11億7948万円
信用交換所の解説記事を引用抜粋しよう。
明治期創業の老舗ニットウエアメーカーで、戦後、大阪府東大阪市鴻池新田(現在の東大阪市鴻池町)に本社工場を構えるほか、西日本地区中心に生産子会社を設立して受注増加に対応、ピークとなる1991/9期には年商160億円まで達し、国内有数のメーカーに成長していた。
近年はカットソーを主体に扱うOEM/ODMメーカーとして、2005/9期以降は20億円前後の売上で推移していたが、収益面は赤字が散発、多忙な資金繰りを強いられていた。
元々は明治創業のニット工場だったが、近年はOEM・ODMメーカーへと転身していた。これも本業が苦しくなっての業態転換だろう。
さらには一度書いたが、ホープインターナショナルホームワークスである。
こちらは社員による横領があったと報じられているものの、短期間で急成長を遂げて業界でも注目を集めていたOEM業者だっただけに驚いた人も多かっただろう。当方も驚いた。
ついでに丸松の関連会社である婦人服OEMのサスという会社も倒産している。
これらに共通しているのは、総合商社や専門商社よりは小さく、東京や大阪に多々ある少人数のOEM屋よりは売り上げ規模が大きかったという点にある。
ではなぜ、この規模のOEM屋が倒れ始めたのか。
もちろん、最大の要因はコロナ禍による店頭の売れ行き不振であることは間違いない。店頭の売れ行きが悪いからOEM屋の製造の受注も厳しくなるということは火を見るよりも明らかである。
しかし、2022年後半の行動制限解除からアパレルブランドの売上高も回復傾向にある。もう少し凌げたら存続はできたのではないかとも思えてしまう。
ただ、現実的に考えると、その存続は長続きできず、わずかながら延命したという結果に終わったのではないかと考えられる。
理由は、アパレルの売れ行きは回復してきたとはいえ、依然としてOEM業者や製造加工業者にとっては厳しい状況にあるからだ。(もちろん例外はある)
現在、原材料・燃料の高騰、海外工場の人件費増、海外工場を使った場合の円安傾向などの要因でアパレルブランドの多くは店頭販売価格を値上げをしている。
しかし、店頭で商品を見ると、たしかに値上がりしている物は多いが、その値上げ幅は想像よりも小さい物が多いのではないだろうか。
当方が普段買い物をするユニクロ、ジーユーあたりはたしかに値上がりしてはいるが、1000円の物がいきなり5000円になるほどには値上がりしていない。1000円の商品が1290円になる程度である。しかも売れ行きが悪ければ990円に値下がりしてしまうから、受ける印象はさほど強い物ではない。
平たくいえば、店頭販売価格の体感は以前とほとんど変わっていないという状況に近い。
それでもブランド側が収益を強化しようとすると、どうなるのかというとOEM屋に支払うマージンや工賃を抑制することになる。
このためOEM屋の利益率は悪化している場合が多い。ホープインターナショナルの某関係者によると、晩年の利益率は驚くほど悪かったというから、儲かりにくい繊維業界の中にあってOEM屋も儲かりにくい業種になったといえる。
90年代まではアパレル企業から独立した人はまた新たにアパレル企業を立ち上げることが多かった。しかし、2000年を越えたあたりからアパレル企業から独立した人はOEM屋を開業することが増えた。これは様々な理由があるのだろうが、
1、アパレル不況に突入していたため新規参入のアパレルブランドが売れにくい状況になっていた
2、直接消費者に売るBtoCよりも、企業へ販売するBtoBの方が捌ける数量も売れ行きも見込みやすい
という2つが大きいのではないかと当方は考えている。

たしかに、消費者に直接物を売るという行為は先が読みにくい。今日何個売れるのか、明日何個売れるのか全くわからない。そして世の中は90年代までようにアパレルブランドで大ブームが起きるような状況では無くなってきていた。

とすると、一度取引ができれば、ある程度まとまった数量がハケて、なおかつ納入する数量もある程度安定しているBtoB業務の方が堅実だと考える人が増えるのは当然だろう。

かくしてOEM屋は2000年以降増えに増え続けた。

しかし、その後アパレル各社はOEM屋へ支払うマージンと工賃を削って利益を確保するようになり始めた。店頭販売価格が値上がりし始めても、最低限度の値上げにとどまってしまっているから、OEM屋への支払いはさらに削られることになる。

その結果として23年に入ってから十億円規模のOEM屋の倒産が続いているのだろう。業界内では大手総合商社、大手専門商社のOEM部隊でさえ、収益が悪化していて手を引きたがっているとも言われている。

アパレルからの独立組の受け皿でもあったOEM屋という業態は今後さらに疲弊し淘汰され、生き残ったところが細々と業務を続けるようになるのではないだろうか。

 

また、今回立て続けに倒産しているOEM業者は自社工場を抱えているという共通点がある。自社工場があることは強みにもなりつつあるが、資金繰りが行き詰まり始めると重荷にもなる。

 

かつては、新たにBtoC向けのブランドを立ち上げるよりも堅実だと思われていたOEM企業だが、乱立による業者の増えすぎと収益性の悪化によって、不振業種になったということが、いよいよ露わになったということではないだろうか。

 

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