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南充浩 オフィシャルブログ

アパレルOEM事業が儲かりにくくなった理由

2023年2月14日 製造加工業 4

現在、一部のブランド、特に工場や製造関係が立ち上げた「ファクトリーブランド(それに類する物も含む)」を除いて、「OEM屋」無しでは洋服の企画製造が成り立たなくなっているというのが実態である。

逆に、本来は「ファクトリーブランド(同)」のはずなのに、OEM屋に仕事を依頼するブランドすらある。

この状況だけを聞くと「OEM屋はウハウハだろう」と思われがちだが、OEM屋の経営は以前から厳しかったがコロナ禍以降はさらに厳しさを増している。

 

以前から何度も書いているが、業界では「OEM屋」と総称されているが、実質はODM屋がほとんどで、純粋に生産のみを請け負っているOEM屋は2000年代後半以降減少し続けている。デザイン・企画から生産までを請け負っているODM屋が業界では「OEM屋」と総称されているに過ぎない。

「OEM屋」が業界に重宝され始めた時期は、よくわからないが、某大手総合アパレル企画職のOBだった人は「90年頃から自社では使い始めた」と証言している。

OB氏がかつて所属した大手総合アパレルはそれまでOB氏も含めた自社企画チームですべてのブランドのデザイン企画から生産までをこなしていたが、90年頃に上司から「今日から〇〇ブランドと〇〇ブランドは外注の〇〇社にお願いすることになったから」と告げられたという。

そして、それ以降年々、自社企画チームの人員が減らされ、外注比率が上がって行ったとのことだった。

 

大手総合アパレル各社で、OEM屋と呼ばれる外注を取り入れ始めた最大の理由は「人件費削減」だったのではないかと考えられる。

デザイン企画チーム、生産管理チームは本来はアパレルブランドにとっては肝だといえるが、実際には1円も現金収入も得ることがない。そのため、この部分を定額で外注した方が得だと当時の経営陣が判断したためである。

一旦、デザイン・企画・生産管理部門を手放してしまえば、社内から急速にそのノウハウと人材は失われる。人材とノウハウを失ったアパレルはさらに外注比率を高めるという悪循環スパイラルに陥ることになる。それが90年代半ば以降から現在まで続いている業界の主流である。

2010年以降になると、その頃の新人・若手にはデザイン・企画のノウハウも生産・製造に関する知識も無くなっているから必然的に「OEM屋」に画像やイラストを送って丸投げするというやり方になってしまう。

 

恐らくは2000年代前半までは「OEM屋」というのは、プレイヤーも少なかったため、業界の中では成長分野の1つだっただろうと想像される。しかし、何の分野でもそうだが、成長分野にはあっという間に新規参入者が群がる。アパレルOEMにも新規参入者が相次ぎ、2000年代後半にはすでにプレイヤーの数が飽和状態に達していたという印象が強い。

当方は2010年から某零細OEM屋と数年間懇意にしていただいた。こちらが紹介した先との商談にはオブザーバーも兼ねて同席させていただいたことも何度かあった。

その経験からいうと、2010年以降、業界の有力なブランドや有力アパレル企業には例外なくOEM屋がすでにぶら下がっていた。当方と懇意にしていただいたOEM屋もすでに関係性の深い先が何社かあった。

そうなると、どうなるかというと、2010年の時点で有力ブランド、有力アパレル企業と新たに契約を結ぶことは至難の業となってしまう。ブランド側からすると、新しいOEM屋とわざわざ契約しなくても、既存の契約先とやっていれば事足りるわけである。

そこをこじ開けて、新たに契約を結ぶとなると、新規のOEM屋は何らかのメリットを提示しなくてはならなくなる。

そのメリットとは既存のOEM先よりも

1、代金が安い

2、小ロット生産でも請け負う

3、納期が速い

4、接待を過分にしてくれる

などになるだろう。

4項目並べてみたが、4項目すべてを実現する必要はないが、少なくともこのうちの1つは実現しないと、ブランド側からすればどこの馬の骨とも分からないOEM屋なんて新規で使う理由はない。

かくして、すでに2010年からOEMとは需要はそれなりに業界内にあるが、儲けの少ない過当競争分野になってしまっていた。

 

先日、OEMとリメイクをメインとしたホープインターナショナルワークスの倒産が報じられ、このブログでも取り上げたが、ホープインターナショナルワークスの最も驚くべき点は、当方も厳しさを経験した2010年に設立されたという後発にもかかわらず2016年までのわずか6年間で年商30億円弱にまで急成長したという点にある。

すでに有力ブランドすべてに複数のOEM屋がすでにぶら下がっていた時期にどのようにして割って入ることが可能だったのだろうか。当方のような凡人には想像もつかない。

だが、そのホープインターナショナルワークスとて、OEM事業での儲けは少なかったようで、業界団体の関係者からは「実際の利益はかなり厳しかった」と声もあるから、儲けの少ないOEMを中止してしまうという経営判断にもつながった部分もあるといえる。

 

2010年以降、OEM屋はプレイヤー過多による過当競争が激しさを増し、低料金化が進むことで儲からない業種となっていたが、それをさらに加速させたのは2020年春からのコロナ禍である。

コロナ禍による販売減でOEMそのものの需要が減った。21年以降の需要は回復しつつあるが、原燃料費の高騰などで製造コストが高止まりした上に、ブランドからの受注代金は増えるどころか減らされる傾向が強いため、ほとんどのOEM業者も青息吐息になっている。大手商社のOEM部門でさえ「某大手チェーンの低料金にはこれ以上付き合えない」と言って取引をやめてしまったという噂もある。

 

大手から零細まですべての「OEM屋」は今後、残存者メリットの獲得を目指して最後の最後まで我慢し続けるのか、さっさと廃業や転身するのかという究極の選択を迫られることになる。

 

 

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 comment
  • 南ミツヒロ的合理主義者 より: 2023/02/14(火) 12:11 PM

    「ネームだけは大手・実態は振り屋仕様の共通商品」

    が主流になった原因は、90年代半ば以降の売上減を
    各社ネームを増やしまくって
    売上増でしのぐようになったのも大きいと思います

    元来、三陽はコートの会社だったし、
    ワ~ルドはニット屋、樫山はスーツ屋でした

    けどひとつのネーム内で、ありとあらゆる商品をこさえて
    しかもネームを増やしまくった

    そして、20世紀になって、過去のライセンス物ビジネス
    で蓄えたノウハウ+この日本独自の振り屋システムを混ぜた
    天下のイトチュ~様が出てきます

    おかげで2000年代の最初の10年は、各社一息つけました
    (その陰で儲からなくなる環境が着々と整いつつあったけど)

    そして調子にのって、最終的に、スーパーも百貨店もセレクトも
    どこもかしこもネームは違うが
    パターンはもちろん素材まで被る商品が並ぶようになりました

    当然消費者からは飽きられます

    基本的な定番商品を分析すると
    オール内製のウニクロの良さを思い知らせれます

    チームで仕事をしているのでしょうが
    このレベルのパターン・仕様表・行程表を
    組めるのは、今どきの振り屋では
    10人に1人もいないと思います

    今どきのアパレルの商品は、
    どれだけコダわったように見える商品でも、
    その実は、ロゴTと同じレベルに過ぎません

    そしてこの事実にとっくに気付いているのは
    ふつーのそこいらへんの人たちです

  • kta より: 2023/02/14(火) 12:57 PM

    「某大手チェーンの低料金にはこれ以上付き合えない」
    下請けいじめって言葉も風化しちゃってますからね…
    一応は業界を超えて一般メディアにも取り上げられた内容なんだし、
    芸能人の不倫なんかよりこういった部分を追ってほしいと切に願います。
    無論、業界メディアも。

  • 別のとおりすがり より: 2023/02/14(火) 2:05 PM

    業種変えようにも今更変えられないんだよなー

  • 奥村欽司 より: 2023/03/02(木) 7:06 PM

    書かれた内容は、全くその通りです。今のような状況を作った大手アパレルメーカーの責任は、重大です。その当時の商社、繊維専門商社も同罪です。OEMで倒産した会社も数えきれない程あります。安く作る事を大前提でアパレルも依頼する。無駄を省くつもりが、見切りロスのほうが増えたからで、今に至っています。今現在、テキスタイルができる会社も人材もほとんど居ません。これも原因の一つです。やはり製品は、テキスタイルから始めないと本当の意味で良い製品は出来ません。私自身、テキスタイルとして今でも現役です。業界約50年です。物創りの基本が今は全くありません。今は、逆に私みたいな人間か必要とされてると思っています。

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