
DtoC業界内での優勝劣敗と格差は今後さらに鮮明化する
2023年1月25日 トレンド 1
最近、すっかり陳腐化してしまった呼び名の1つにDtoCがあると感じる。
メディアで「DtoC開始」なんていう記事を見かけても「ふーん」程度にしか思わなくなった。恐らく、他の読者も同様だろう。
そもそもDtoCという呼び名がさも新しくかつ有望なものかのようにメディアで取り上げられ始めたのが今から10年くらい前のことだが、当時から個人的には何がそんなに新しくかつ有望なのかが理解できなかった。
ダイレクトtoコンシューマーのことだが、言葉の意味を素直に理解すると
1、下請けだった製造加工業者がオリジナル品を作り直接消費者へ販売する
2、卸売り専門だったメーカーやブランドが直接消費者へ販売する
という2つのことを指すと解釈できる。少なくとも当方はそのように解釈した。
そして、この2点ともに、バブル崩壊以降の繊維・アパレル業界ではそれなりに多く見られた手法だった。
まず、製造過去業者は下請け仕事が減ったことから危機感を持ち、オリジナル品を立ち上げることがバブル崩壊後から徐々に増えて行った。もちろん、既存納入先からのプレッシャーはあったが、それでもやり続ける業者もジワジワと広がった。2000年代半ば以降には、ネットの普及も手伝って売れたか売れなかったかは別としていわゆる「産地企業」によるオリジナルブランド立ち上げの事例が増えて行った。
一方、バブル崩壊後、流通の簡素化が叫ばれ、アパレル企業や小売業によるSPA化が進み、問屋が衰退して行った。このため、問屋を通じて小売店に卸売りをしていたようなメーカーやブランドは小売店への直販が増え、さらにその進化形態として消費者への直販(規模の大小はあったが)も行うことが珍しくなくなっていた。
そしてネット通販の普及で、細々とではあるが自社ホームページでオリジナル品を通販するという形態も珍しいものではなくなっていた。
そんな中の2010年代前半に「DtoCが新しくて有望で未来感がある」と言われたところで、上の2点の事例に慣れ親しんでいた当方からすると「バブル崩壊以降けっこうありましたけど?」としか思えなかったわけである。
ただ、この手の本を読んだり、この手の業者の話を聞くと
「アメリカでは新しく有望な形態として期待されている」
とのことだったので、なるほどと納得したものの、だからと言って事情が異なる我が国でそれをことさら持ち上げるのも違うのではないかと思いながら今に至る。
だが、10年が経過し、語感としての新規性もすっかりなくなり、新規参入プレーヤーも増えすぎた結果、すっかり陳腐化してしまったと感じられる。
現在、DtoCをやたらと持ち上げヨイショする機運は全く感じられない。
そんな現在の状況をけっこうまともに捉えて分析指摘している記事があった。
D2Cブランドが2023年を生き抜くには 差別化・ニッチ市場獲得に向けた戦略・アプローチを紹介 (1/3)|ECzine(イーシージン)
結構長い記事だが、全文を読むことをお勧めしたい。
決してアホみたいなキラキラ楽観論は書かれていない。
それにしても本来は「消費者に直接売る」という意味で、製造加工業者や卸売業者の新規?形態だと思っていたが、いつの間にか、ド素人たるインフルエンサーがネットを介してファンに直接売る形態を指す言葉に成り下がってしまった感がある。そしてそのためにDtoCという言葉がイキったド素人が売る胡散臭い商材という雰囲気を醸し出す言葉になってしまったようにも当方には感じられる。
衣料品もド素人ぶりはひどいが、当方が胡散臭さをそれ以上に感じるのが化粧品やサプリメントである。
直接肌に塗ったり体内に呑み込む商材である。キラキラしたド素人のオリジナル品なんて怖くないのだろうかと不思議でならない。大手化粧品メーカーや薬品メーカーはそれこそ莫大な金額を使って毎日研究開発実験をしているからこそ信頼性が高い。個人のキラキラインフルエンサーが同じ規模で研究開発をやれているとは到底思えない。
先ほどの記事にもこんな一節がある。
薬機法の範囲を超えた過剰な訴求をするブランド・企業が問題となるなど、取り巻く環境が変化しつつあります。消費者庁などから勧告、国レベルで新たな規制が設けられ、各広告プラットフォームもそれに準じた対応をするなど、「行き過ぎた表現」が是正される流れは今後も続くでしょう。
とくに化粧品や健康食品などを扱う場合、薬機法は「知らなかった」では済まされません。また、ルールを守らない企業の代表や担当者が処罰を受ける可能性があると認識されたことも、抑止力となっています。
まさにこの通りである。
さて、今後のDtoCだが、繊維・アパレル・雑貨類については今までのように安易なビジネスではなくなるだろう。もうすでに失敗した事例も多々ある。そもそもニッチな市場に新規参入業者が後を絶たないわけだから、とっくに飽和してしまっている。壮絶な生き残りゲームといえる。
近年は「世界観」で差別化を図ることで、ものが売れる時代でした。D2Cブームもこの流れに乗ったものと言えます。ただし、こうした訴求が世の中に溢れた今、それだけでは差別化が難しくなっています。
長年ビジネスを展開する大手メーカーは「世界観だけで差別化は難しい」と理解した上で、研究開発費に多くの投資をしていました。そのため、安価で高品質な商品を安定して製造販売することに成功していますが、D2Cブランドの多くはOEMという形で製造を外部委託しています。事業規模からも、大手メーカーの研究開発費に匹敵する投資や製造、売上創出は難しいため、コストパフォーマンスという点において優位性を出すことは困難です。D2Cブランドが世界観で差別化し、ニッチ市場を獲得してきた理由にはこうした背景も存在します。
ただし、D2Cブランドが台頭するにつれ、ニッチ市場に大手メーカーも進出したり、プレイヤーの数が増えるなど、単に世界観を差別するだけでは勝負できなくなってきました。日本には品質の高い商品を製造するOEM企業が多数存在しますが、D2Cブランド側がターゲットや該当者のニーズを明確にとらえた商品を作らないかぎり、消費者はすぐにほかのブランド・商品に乗り換えてしまいます。
これは今までの繊維・アパレルのDtoCブランドの姿勢を端的にまとめているといえる。
「〇〇するような云々かんぬんを求める生活がドウタラコウタラ」
みたいなポエムを「世界観」として各DtoCブランドは打ち出していたものの、商材自体は何の変哲もない物だったり、デザインや色柄が奇抜すぎて大衆には受け入れられにくい物だったりということが多かった。
そういう発信側の独りよがりを正当化する便利な言葉として「世界観」が使われ続けてきた側面も否めない。
今後、DtoCが絶滅するようなことはなく、何社かは生き残り、新規参入業者も何社かは成長できるだろう。だが、ド素人が思い付きを「世界観」という言葉で誤魔化しただけで売れるようなイージーなビジネスではなくなっているし、今後もそのハードルはさらに高くなる。
それにしても、本来は消費者に直接販売することで「割安で良品を提供する」ことがDtoCの根幹だったが、先の記事の引用部分にもあるように、大手メーカーこそ割安でコスパの高い商品を提供でき、OEMやODMに頼らざるを得ないDtoCは大手商品にはコスパでは対抗できないという現実は何とも皮肉な結果となっており、失笑・呆然・落胆を禁じえない。
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要するにですね、以下の通り。ただそれだけ
「どうマーケティングしようが、
どういう流通経路を経ようが、
大衆が手にできる物は
すべてが大量生産品である」
・まわりがみんな持っているから欲しい
という次元の次に
・まわりが持っていないものを欲しい
という欲求が絶対に内在するのが人間
つうことは商売になる筈だった・・・
しかしこの流れも2巡3巡したし、
身に回りの物にそこまでうっとおしく
こだわるのもダサい風潮が広がった
そういう事でしょう
アシックスの工場で作られていたのがNIKEです
ノースフェイスもシェラもウールリッチも
50年前から同じ工場で作られています
こういう物に物語りをしたり、アイコン人間を
付け加えたところで、物としては完全同一です
今やパターンの出どこすら一緒なんですから
というワケで、パターン服地縫製が一緒なら
ネーム付加価値が値崩れしたリーボック最強
という結論になります