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南充浩 オフィシャルブログ

「大衆に憧れられ支持されているはず」という幻想をようやく捨てた百貨店

2022年6月13日 百貨店 2

大阪市に「なんばシティ」という商業施設がある。

ファッションビルとは言いづらい構造で、モールに近いのかな?とも思うが、80年代から存在する施設で長らくファッションブランド集積地としてそれなりの支持を集めてきた。

地下2階はメンズブランド売り場だったが、2010年代に入って大きくテナントラインナップが変わった。

それまで、地下2階のメンズブランド売り場は、ポール・スミス、メンズメルローズ、メンズビギ、タケオキクチ(安くない方の)などのいわゆる80年代DCブランド系と90年代人気ブランドというテナントラインナップだったが、2000年代後半から年々寂れて行き、2010年代になって閑古鳥が鳴いていたからついに改装され、ユニクロとコクミン薬局とABCマートのフロアに変わってしまった。

ある意味で、日本の消費者の衣料品に対する嗜好性が如実に反映されている改装だといえる。

80年代のバブル前夜やバブル期には、なんばシティの夏冬のバーゲン時には徹夜で並ぶ若者が何百人もいると報道されていたが、今、そんな人はいない。

 

これは先日、同い年・同学年の某業界人と話していたのだが、かつてのDCブランドや90年代の人気ブランドのような「ラグジュアリーブランド一歩手前の価格」のブランドへの興味の喪失が自分達も含めた国民全員に蔓延しているのではないかと感じられる。

2005年以降はその層を大手セレクトショップが吸収してきたが、その大手セレクトショップも大衆から諸手を挙げて支持されているとは言いづらい状況となっており、セレクト間の優劣が際立ってきた。要は売れているセレクトは売れているが、売れていないセレクトは売れていないということで、セレクトなら何でもある程度は売れるという状況ではなくなってきている。

「嗜好性の高いファッション」というものに興味のある人は、ラグジュアリー的なブランドとそれに近いブランドを変わらず支持しており、あまりそこに興味の無い人たちは大手低価格ブランドを支持しているという二極化がかなり浸透していると感じられる。

もちろん、そういう「中間層」はゼロではないが、人数は減っているから、一部のブランドやセレクトだけが潤い、その他のブランドとセレクトは苦戦が続くということになっている。その他の中間層は低価格ブランドにシフトしているだろう。

で、その影響を受けた一つが百貨店ということにもなるだろう。

百貨店不振は以前からも言われており、その原因の一つは80年代・90年代には稼ぎ頭だった衣料品、とくにラグジュアリー手前の国内ブランドが売れなくなってきたことにある。逆に高額品は百貨店では相変わらず堅調・好調である。

 

【記者の目】再定義迫られるコロナ下の百貨店 不特定多数から特定顧客へ | 繊研新聞 (senken.co.jp)

 

一方で、回復基調が鮮明だったのは、ラグジュアリーブランドなどの高額品だ。美術・宝飾・貴金属は25.7%増。都内百貨店ではラグジュアリーブランドの売上高が19年実績を上回った店舗が多い。インバウンド比率の大小で格差はあるが「ラグジュアリーブランドの国内客売り上げが19年比で3割増えた」(都内百貨店)という。

 

とあり、コロナ期間中もそれなりにラグジュアリーや宝飾・貴金属は百貨店でも好調・堅調を維持してきた。まあ、要するに金持ちは根強いということである。

 

ラグジュアリーブランドや時計・宝飾品に次いで、新たな商品領域として力を入れているのが美術品だ。「特に現代アート市場は拡大しており、コレクターからの人気が高い。今後もこの傾向が続くことが予想されている」(大丸松坂屋百貨店)という。 今までアートに縁遠かった若年層が現代アートを購入し始めており、市場のすそ野が広がっている。

 

ともある。これも恐らくはその通りだろう。自分はアートに全く微塵も興味が無くあんなもんを高い金で売買する連中の気が知れないが、欲しいという人間がいるのだからどんどん売ることには賛成する。

 

百貨店の高額消費を支えているのは外商やカードの上位顧客だ。

 

これも全くその通りである。ただ、コロナ禍だからそうなったというよりは、2000年代半ば以降は実際はすでにそうなっていたと考える方がより的確だろう。

理由は、2000年代半ば以降、百貨店内のラグジュアリーブランドは好調・堅調だったが、DCブランドの流れを継ぐような国内ブランドは苦戦に陥っていたからだ。

そして、それがオンワードやワールド、イトキン、TSIなどの大手百貨店向け総合アパレル各社の苦戦の最大の原因だと考えられる。

コロナ禍によって、選択を突き付けられた結果、百貨店は富裕層に絞ることとなったが、本当は2000年代後半にそちらに絞るべきだったといえる。

 

引用した記事の見出しには「不特定多数」とあるが、百貨店は高額品を売りながら「不特定多数」すなわちマス層にも売ろうとして、どっちつかずになっていた。そして、マス層の嗜好が低価格ブランドで構わなくなっていることを恐らくは察知しながらも気付かないふりをしていたのではないかと当方は考える。

では何故、そういう姿勢を取ったのかというと、それは「大衆は百貨店に憧れ、支持している」という思い上がり、傲慢さが原因だったのではないかとも思う。

たしかに60年代から90年代にかけて、百貨店は大衆の憧れだったし、大衆の集う場所でもあったが、2000年代半ば以降、低価格ブランドと国内百貨店ブランドの服が大差が無くなり、地方や郊外、駅前にショッピングセンターが出来ると、庶民はそちらで満足するようになった。実際、当方はそうである。

低価格ブランドを褒めると必ず「百貨店ブランドとは違う」が涌くのだが、90年代と比べると今の百貨店ブランドと低価格ブランドの商品の差は小さくなっている。

百貨店のそこそこ高いが超高級店ではないという中途半端なレストラン街も微妙な存在で、食い物にコダワリが無い当方からすると、ショッピングセンターのフードコートで十分なので、百貨店に行く理由にはならない。

2000年代半ば以降、百貨店の強みは化粧品と食品、それにラグジュアリーブランドくらいだったので、すでに富裕層の客しか残っておらず、かすかに残っていた大衆は化粧品と食品しか買わなくなっていたといえる。

 

この記事では

今までの百貨店は全ての顧客を対象にしてきたため、相手のことが分からないことが多かった。

とされているが、それは本当だろうか?すでに何万人もの顧客データを所有しているが、まともに分析する気がなかっただけの話ではないか。

 

百貨店内のポップアップをこなす某社長は、すでに2010年代半ばにはこんなことを言っていた。

 

「百貨店に顧客データを共有したり、顧客データを分析して導き出した需要傾向を出展者に共有してほしいとお願いしたが『それはできません』の一点張りだった。しかし、需要傾向がわからないのに百貨店側は『売れる物を出してください』というが、そんな神業は不可能である」

 

と。

「大衆に支持されているはず」だという百貨店の傲慢さが現れていると思うのだが、ようやく幻想から覚めた百貨店の富裕層絞り込み戦略に期待したいと思う。自分は買わない(買えない)けど。

 

 

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 comment
  • 読者A より: 2022/06/13(月) 1:00 PM

    “「ラグジュアリーブランド一歩手前の価格」のブランドへの興味が自分達も含めた国民全員に蔓延しているのではないか”
    ここの「興味が」は「興味の喪失が」等と読み替えて間違いありませんか?
    そうでもしないと全体の論旨と合わない気がしますが。

  • 埼玉 より: 2022/06/13(月) 2:39 PM

    かつてなんばCITYに入っていたような中価格帯のデザイナーズブランド、インポートブランド、アメカジブランドは近隣の同じ南海資本のなんばパークスでは今も健在なので、一概にそれらがユニクロやABCマート、ドラッグストアに取って代わったわけでもないと思いますが。

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