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南充浩 オフィシャルブログ

バブル期でも安い衣料は存在しており売れ行きが好調だったという話

2022年5月18日 回顧 2

日々の生活は変化しており、今となってはあの当時どうやって生活していたのかわからないということは多々ある。それは何も明治、大正のころのことではなく、ほんの20~30年前のことも、今となっては分からない人が多い。特に若い人はそうだろう。

今となっては、携帯電話が無かったころの生活なんて若い人には想像もできないだろう。しかし、携帯電話(PHSも含めて)が普及し始めたのは、90年代後半のことで、当方が携帯を持ったのは97年か98年のことだから、25年くらい前のことになる。

衣料品についても同様のことが起きており、若い世代の人は、ユニクロ、ジーユー、しまむら、ハニーズ、ウィゴーなどの低価格大手ブランドで買うことに慣れており、これらが成長する前の時代は「安い服をどこで買っていたのかわからない」とか「景気が良かったから安い服は無かった」とか、そんな風に思っているようだ。

 

ユニクロみたいなファストファッションが登場するまで普通の人(ファッションに特別の興味はないが、完全に無頓着というわけでもない層)がどこでどんな服を買って着てたのか興味ある。そういう企画展示をやってほしい。

 

というツイートを見かけた。

プロフィールでは年齢がわからないので、勝手に類推してみると、現在30歳前後の方なのではないかと考えられる。ツイッターを開始された時期が2009年になっているから、現在30代前半だとすると、13年前は20歳ぐらいなので、まあ、勘定としては合うのではないかと考える次第である。

この質問には、現在の40歳以上の方なら、容易に答えることができるだろう。

安い服は何も98年のユニクロフリースブームを契機として突如発生したものではなく、景気が良かった70年代・80年代から存在し、それを買う人々はたくさんいた。

ユニクロブーム以前の安い服には大きく分けて3つの傾向があるだろう。

 

1、ダイエーを嚆矢とするジャスコ(今のイオン)、ニチイ(今のマイカル)、ヨーカドー、イズミヤ、平和堂、フジ、ユニーなどのスーパーマーケット

2、三信衣料、ジョイント、フロムUSA、ジーンズメイト、ライトオンなどのジーンズチェーン店

3、鈴丹、キャビン、リオチェーンなどのレディース専門店チェーン

 

である。

 

1のスーパーマーケットの低価格衣料品は、まさにベタな主婦やその配偶者に愛好された。このブログでは何度も書いているように、生来吝嗇家だった当方の母親はジャスコ、イズミヤを愛用しており、自分の服はもちろんのこと家族全員の服をそこで買っていた。当方も大学を卒業するまでジャスコとイズミヤで買った服を着て暮らしていた。

2のジーンズチェーン店だが、リーバイスやエドウイン、ラングラー、ビッグジョン、ボブソンの7900円のジーンズをメインに扱っていたのが、三信衣料などのジーンズチェーン店である。これらは、スーパーマーケットの服では満足できないというカジュアル愛好家に支持された。しかし、高い7900円のジーンズだけではなく、1900~3900円の低価格カジュアルトップス類もたくさん売られていた。

3は、スーパーマーケットでは満足できないが、高級ブランドを買うのはもったいないと考えていた若い女性に支持された。

 

そして、安物使いの上級者はこれら3つの販路を併用しつつ、百貨店の夏冬のバーゲンも活用するというやり方で上手な買い物をしていた。

昔は安い服が無かった

と若い人が考えがちなのは、歴史的知識としてのみ80年代の「DCブランドブーム」と80年代後半の「バブル経済」を覚えているからだと思われるが、実際のところ、いくらバブルで貯金で元金が増えようが全員が高価格なDCブランドを買っていたわけではない。

そんな金満社会は過去も現在も世界中でいまだ存在しない。いくらアメリカの景気が良いと言っても低価格ブランドは売れているし、中国だって低価格ブランドは掃いて捨てるほど存在する。

 

で、これらの3つの販路に向けて卸売りをして成長したのが、いわゆる「量販店向けアパレルメーカー」である。ハワード、ピート、中根保、アウトバーン、小泉アパレルなどの東京・大阪の各社や、美濃屋、水甚、岐阜武、サンラリーグループなどの岐阜アパレルがこれに相当する。

80年代後半くらいになると、

・百貨店向けアパレル

・DCブランド系

・量販店向けアパレル

・ジーンズ専門アパレル

という大きく分けて4つの種類があり、それぞれがあまり互いの販路を浸食することなく併存していた。

今でこそ、SPA業態が主流で、低価格こそSPAという風潮だが、低価格SPAの出現はユニクロフリースブーム以降で、それ以前はDCブランドや一部の百貨店ブランドがSPA化の先鞭をつけていた。

 

また、バブル期くらいから、メンズスーツでは、青山、AOKI、はるやま、コナカなどの低価格スーツチェーン店が台頭し、一大ブームを巻き起こしていた。

それまでメンズスーツはオーダーか百貨店の高い既製服しかなかったのが、低価格スーツチェーン店が誕生すると、爆発的に売れた。

それまでのサラリーマンは好景気でカネが余って仕方がないから高いスーツを買っていたのではなく、高いスーツしかないから高いスーツを買っていただけのことであり、低価格スーツが生まれるとそちらが活況になりました。この低価格スーツが生まれたのがバブルの頃なので、いくらバブル好景気とはいえ、今の若い人が想像するほどの金満社会ではなかったということである。

 

まあ、ただ、96年のバーバリーブルーレーベルのアムラーブーム、ビンテージジーンズブームなど高額衣料品のブームも起きやすかったことも事実で、その辺りは今よりは金満であったというよりも消費マインドが異なっていたという要素の方が強いのではないかと思う。

 

いくら好景気とはいえ、国民全員が高価格な服を買うわけでもないし、低価格衣料品はその当時より以前から存在していたわけで、そのあたりを当方も含めた年配層は下の世代に伝承しなくてはならないのではないだろうか。

 

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 comment
  • とおりすがりのオッサン より: 2022/05/18(水) 12:01 PM

    私、アラフィフで社会に出たのはバブル終わりくらいで、青山とかのスーツチェーンってバブル期よりもっと前からあったイメージ持ってましたが、青山の業績のグラフ(https://www.aoyama-syouji.co.jp/about/outline/history_1964.html)を見てみたら,
    ちょうどバブル期の85年~92年位までで急成長してるんですね。
    金は稼いでるのに安物スーツが売れるようになったのはちょっと不思議ですが、まあユニクロと同じようなことですかね。オーダーするより吊るしの方が買うのも楽だし。

  • BOCONON より: 2022/05/18(水) 7:07 PM

    > 消費マインドが異なっていた

    僕の記憶では1990年代前半,つまりバブルが弾けて数年後くらいまでは高い服も中くらいの価格の服も安い服もそこそこ売れていましたな。つまりその頃まではまだ余裕があった。その後 “失われた30年” でどんどんと紳士服が売れなくなって,まず駅ビルにあったメンズカジュアルの店がほとんど姿を消した。次タカキューとか三峰とか「百貨店よりは安い」ってレヴェルの店が店舗を急速に減らして行った。さらにはスーパーも衣料品売り場がつまらない服だらけになり,売り場自体が縮小する一方。次は――もう言いたくもないが――が百貨店が凋落して,最近とみにその速さを増している・・・といった風であります。

    結局のところ,もうパイが小さくなる一方なので,僕は正直もう「昔は安い服も売れていた」なんて言ってもどうにもならない気がしています。安い服 ≒ ユニクロ・GUだけでたぶんほとんど全国民が間に合ってしまうようなものですからね。敢えて偉そうに言えば,アパレルがどうのこうの言うより日本全体がどんづまりに来ている感じ。「不景気なのに消費税を上げて,しかもそれが貧乏人じゃなく金持ち大企業のために使わている」有様だし,所謂エリートは「貧乏人はユニクロ着てファストフード食べてスマホで遊んで性欲処理してそれなりに楽しく生きてね」(上野千鶴子)などと言い,「日本はもうじき財政破綻する!」なんてオオカミ少年的デマを流す始末で。「やれやれこの調子だと老人が減り始める時期が来るまでどうにもなるまい」としか僕には言い様ももないですな。

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