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南充浩 オフィシャルブログ

「仕組み作り」にこだわり過ぎても危険では?

2014年4月2日 未分類 0

 「モノ作り」より「仕組み作りだ」と言われることが多い。

しかし、この「仕組み作り」なるものがなかなか思いつくものではない。
実際に「仕組み作り」を成功させた企業なりブランドなりというのは数えるほどしかない。

少し前に流行ったソーシャルゲームによる課金システムだが、根強いファンはいるもののすでに下火である。
グリーもDeNAも株価はピーク時よりずいぶんと下落している。

逆に「モノ作り」が得意な企業は無理に「仕組み作り」を考えるよりは、「物作り」を深化(進化ではない)させた方が良いのではないかと思うようになった。

ただ、よくある「意味のわからないこだわり商品」を作れといっているのではない。

極端に例えると、「今までは1950年代のビンテージジーンズをモデルとしていましたが、これからは1948年のジーンズをモデルにします」というような具合の「こだわり商品」の開発は何ら意味がない。

「物作り」を深化させることで、思いもよらない外部要因で仕組みが出来上がることもあるのではないかとそんなふうに思う。

ジーンズ縫製業がジーンズの受注量が減っているので、厚地生地を縫えるミシンを活かして他の商材を開発するというような取り組みが正解なのではないか。

中堅ジーンズメーカーであるベティスミスはJR西日本とのコラボデニムバッグで一躍脚光を浴びたが、大島康弘社長に何度か取材したところ「そんな仕組み作りなんて頭になかった」という。
ジーンズ以外の厚地生地を使ったアイテム作りも志向してデニムバッグを製造販売したところ、あるルートを通じてJR西日本から話があったという。

凡人のビジネスとはこういうものではないだろうか。

と、前置きが長くなってしまった。

先日、こんなブログを拝読した。

やはりシャープは「モノの限界」から抜けだせないのかな
http://ohnishi.livedoor.biz/archives/51417920.html

家電メーカーのシャープが「ヘルシオ お茶プレッソ」を発売することに関する評論である。

茶葉を粉末にしてお茶にすることができる機械だそうだ。

まあ、液晶テレビとプラズマクラスター一辺倒だったシャープからするとなかなか面白いアイデアではある。
お茶ファンでない筆者からするとどれほどの需要があるのかあまり具体的には想像できない。

ブログ主である大西宏さんも

「その着想は良い」「手放しで面白い」と評価しておられる。

しかし、

結局は「新しいモノ」をつくったけれど、「新しいビジネス」はつくっていません。

ネスプレッソの場合は、マシンを買ってもらえば、あとは消耗品としてのカプセルを継続的に買ってもらえます。カミソリでいえばスティックを買ってもらえば、替刃もその後に買ってもらえます。インクジェットプリンターで言えば、プリンターを買ってもらえばインクや場合によってはペーパーを買ってもらえます。インスタントカメラのチェキを買ってもらえば、専用フィルムが買ってもらえます。これらは「インストール・モデル」といわれるビジネスモデルで、利益は後者の消耗品で継続的に得られるわけです。しかも、そちらの消耗品を売るビジネスのほうが利益も大きくなります。

モノだけを売るビジネスでは、一回買ってもらって、あとはそのモノが壊れて買い替え時期がくるまでは、リピート購入が期待できません。いわゆる「インストール・モデル」ビジネスとはビジネスの大きさも違ってきます。

それと「粉末のお茶」はもうすでに多くの種類が世の中に売りだされています。手軽さを訴えるもの、また濃さが楽しめることを訴えるもの、もろにシャープと同じように健康を訴えるものもあります。

中略

もし「ヘルシオ お茶プレッソ」が話題になり、粉末茶の良さが広く認識されるようになると。粉末茶を売る会社には好都合で、敵に塩を送ることになってきそうです。

とある。

そして、

こうやって見てみると、「モノ」にこだわるというよりは、「モノ」しか発想できない、つくれない、「ビジネス」を創造できないから、「モノ」にしがみつくしかないという限界すら感じてしまいます。

とのことである。

もちろん、この指摘は正論であるが、泥臭い家電メーカーであるシャープがいきなり「仕組みビジネス」なんてものを構築できるはずもない。

翻って筆者が接することが多い繊維製造業で考えると、彼らが一挙に「仕組み作り」なんてことも考え付くはずもないし、アパレル企業やファッションブランドだって「仕組み作り」なんてほとんど考えられていないのが現状である。

となると、物作り出身の企業は自社の技術を応用できる他分野を積極的に開拓するのが最も堅実で着実な施策ではないだろうか。

「狙って」仕組み作りを構築できるのは天才と呼ばれる人種に限られているわけだし、凡人はいろいろごちゃごちゃやってる間にふとしたことで機会に出会うことが多い。
逆に「天才」を真似ることの方が危険ではないかと思う。

国内の物作り企業に「天才」性を期待するのも無茶な話ではないだろうか。

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