すべての国内生地工場の技術力が高いわけではない
2014年3月17日 未分類 0
普段、筆者は日本の繊維製造業を応援する心情でいる。(そうは見えないかもしれないが)
昨今のメイドインジャパンブームの盛り上がりにも功罪あるが、それでも功の部分が大きいとも考えている。
しかし、当たり前のことだが、日本の繊維製造業社すべてが高品質な物を作っているかというとそうではない。
日本の繊維製造業社すべてに高い技術があるかというとそうでもない。
先日、某生地工場の話を伺った。
その生地工場によると、先代社長が亡くなり、代替わりをしたとたんにこれまでの協力工場が仕事を受けてくれなくなったという。
なぜ機屋が機屋に仕事を出すのかというと、当時、その工場にはシャトル織機がなかった。協力工場にはシャトル織機がふんだんにあった。シャトル織機でしか織れないオーダーが入ったので、協力工場に仕事を依頼したというわけである。
協力工場の対応に業を煮やしたその生地工場は、自社にシャトル織機を大量に仕入れ、自社での製造を開始した。何ともすさまじい決断である。
その結果、わずか10日ほどで自社でシャトル織機を使いこなすことに成功したという。
生地工場の社長は「古いシャトル織機職人は自分たちの技術を鼻にかけていたが、実はその技術は大したものではなかったことがわかった。10日ほどでマスターできる程度の技術だったというのが実情でした」と語る。
この生地工場と協力工場の関係性が悪かったのは言うまでもない。
どちらに原因があったのかは筆者の立場ではわからない。
おそらく両方に相応の原因があったのだろう。
通常、報道では「シャトル織機で織りあげた生地が云々」なんて言葉が散乱している。
さも希少価値があるといわんばかりの決まり文句である。
しかし、シャトル織機を使っているから必ずしも希少価値のある生地とはいえない。
またシャトル織機を動かしている職人が必ずしも高い技術力を有しているわけではない。
織機の違いはあれど、同じ機屋という素養があったとはいえ、今までシャトル織機を動かしたこともない生地工場が10日程度でマスターできる技術力しか持っていない工場もあるということである。
生地工場からすると「協力工場の職人はこれまで本当に技術を磨いていたのか?」という疑問を抱いても当然である。
メイドインジャパン、日本製に注目が集まるのは喜ばしいことではあるが、日本製がすべて素晴らしい物とは限らないということは冷静に認識しておく必要がある。