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南充浩 オフィシャルブログ

アパレル業界や業界メディアの発信する「スペクタクル」と大衆の「日常」との乖離

2022年3月2日 メディア 0

多くの人のファッションへのデビューは高校時代か大学時代(場合によっては中学生時代)だが、当方のファッションデビューは社会人になってからだった。

で、ファッション雑誌を読みながら勉強を開始したのだが、ファッション雑誌に書かれてある内容、紹介されている商品ともに、ジャスコとイズミヤの服で育った当方には異次元の内容だった。

例えば、メンズクラブの3月号とか4月号にはその当時毎年「新入社員が買う最初のスーツはこれ」みたいな特集が組まれていたのだが、紹介されているアイテムは「ニューヨーカー」の10万円のスーツとか、「Jプレス」の12万円のスーツとか、そんなものばかりだった。

これを読んだ当方は「1着買ったら給料の半分が無くなってしまうねんけど?世の中の新入社員はこれを買ってるんか?マジか。世の中の新入社員恐るべし」と戦慄した記憶がある。

そんな贅沢な金遣いの習慣の無い当方は、その手のスーツをバーゲンで5万円くらいに値下がりしてから買うという技を身に付けたのだった。

今から30年くらい前の話である。

 

社会人生活をスタートしてから一貫して当方の給料は高くなかったから、ファッション雑誌に掲載されているアイテムを定価で買うなどということは豊臣秀吉くらい「夢のまた夢」だった。

2010年頃までは、掲載されているアイテムをバーゲン時に半額~7割引きで買うことが常習だったが、2010年以降は低価格ブランドで類似品を探すようになった。

世間的にもこの頃から、プチプラブランドブームがさらに強まった。(この際、可処分所得の減少ガーは置いておく)

 

こうなると、ファッション雑誌に従来から掲載されていたような「高い」ブランドは売れ行きが振るわなくなり、ファッション雑誌自体も発信力をこれまでよりも低下させることとなった。

これまでは、可処分所得の減少とか給料の伸び悩みという要因で語られることが多かったこれらの現象だが、国民全員の心理状態も収入以外の要因で変わってきていたのではないかと、最近思う。

なんとなく、自分が思っているに近いことを言語化してくれているのかな?と思うのがこの記事である。

 

EXPERT CHATTING vol.3 菅付雅信 都市論と文化論。その1 | SERIES | AH.H (houyhnhnm.jp)

 

菅付:編集とかメディアの人間って、スペクタクルなものを作り出そうとするのが性なんです。けど、そういうものに反応するのは、観光客とかいわゆる一見さんなんですよね。つまり知らない人とか興味のない人に強いフックをつけるためにスペクタクルな見せ方にするのが、メディアとかクリエイティブの常套手段なんですが、もうすでにそれを好きであったり馴染んでいる人にはスペクタクルな見せ方はいらないんです。

 

菅付:今は世の中全般が、スペクタクルなものに飽きてきていると思うんです。僕は海外の街だとポートランドとメルボルンがすごく好きなんです。両方ともここ10年くらいずっとすごく人気のある街ですが、行くと似ているんですよね。小さな街でいわゆる大都市的なスペクタクルは全くないんですが、リビング・スタンダードがめちゃくちゃ高いんです。単純に言ってしまうと、とにかくご飯がおいしい。これってすごく大事なことだと思うんです。高級なフレンチがたくさんあるのではなく、街角で出されるコーヒーやクラフトビールがめちゃくちゃおいしいということ。これは都市生活者が求めている「普通」ですよね。スペクタクルなものがいっぱいあるのではなく、生活における普通、スタンダードが高いということが、今都市として求められていることなんじゃないかな。

 

という部分である。

ファッション雑誌もそれに依拠してきたファッション業界もひたすらに「スペクタクル」を強調してきた。それがトレンド性やファッション性だったこともあるし、物作り系の神話だったりしたこともある。出し物が違うだけで根本の精神性は同じだ。どちらも日常にはない特別感を強調している。

ムラ糸ガー、シャトル織機ガー、ロープ染色ガー、を強調していたビンテージジーンズの売り方、見せ方なんて「物作り系神話のスペクタクル」の典型だろう。

サビルローの職人の技ガー、とか、ナンタラウールの生地ガー、とかその手のスーツ類の売り方も同様である。

 

当方も安め(8900~9800円)のビンテージレプリカジーンズも買ったし、当時、取材先のメーカーから2万円前後のビンテージレプリカジーンズもいただいたこともあった。しかし、生地の良さとか付加価値とかそういうことはわかるが、めちゃくちゃ快適なわけでもないから、当方は「こんな物なのか?」程度にしか思わなくなった。

2010年以降、プチプラブランドブームが強まった背景には、いわゆる「日常」であるプチプラブランドの商品の見映えがかなりマシになったという要素は強いだろうと思っている。当方はそう感じたからだ。

そうなると、ファッション雑誌やファッションメディアで語られている別世界のようなスペクタクルよりも、例えば2010年頃のトレンドだった「しまパト(しまむらをパトロールすること)」に代表される「日常」が大衆に支持されたといえる。(しまパトなんて時間さえあれば誰にでもできる)

この業界と大衆の齟齬が、今はさらに深まっており、ファッション性はもとより物作り系神話ですら、陳腐化して通用しなくなっているのではないかと思う。

 

前回採りあげたWWSのリブランディングもUA創業者の重松理氏を起用するというものだが、これも業界にとっては「特筆すべきスペクタクル」ということになるのだろうが、一般大衆からすると「誰それ?」ということになるし、少しファッションに詳しい人は食いつくかもしれないが、それも40代以上に限定され、20代・30代にとっては今年73歳を迎える重松氏はお父さん世代・お祖父さん世代なので縁遠い存在でしかないだろうと思う。

 

先ほどの記事では

 

長谷川:〈Levi’s®〉なんかも〈Levi’s® VINTAGE CLOTHING〉という復刻の高級ラインがあるんですが、今の話でいうとこれはスペクタクルなんですよね。だから媒体で原稿書くときには書きやすいんです。けど、おそらく、一般的に多くの人が購入するのはごくごく普通の「501」だと思うんです。で、それはどこでも買える良さがあって、それをうまく紹介してあげないことには、世間とファッション業界との隔たりができてしまうと思うんです。なんでもないことの価値をきちんと説明してあげないといけない。そのためには、こっちもそういうことをうまく説明する技術が必要なんですが。

 

という一節もある。

2010年代までは、業界やメディアが発信する、例えばリーバイスの何万円もする高級復刻ラインの「スペクタクル」に対して、動いてくれる消費者は数多くいたが、2010年以降はあまり動いてくれなくなったといえる。

今、業界メディアには逆にスペクタクルな記事が増えている。SNSでは感動話が溢れている。しかし、当方のような感受性の鈍い人間からすると「24時間365日感動話なんて転がってるんか?」と感じられ欺瞞にしか見えない。

今後ますます、メディアと大衆の乖離は進むことになるだろうと見ている。

 

 

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