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南充浩 オフィシャルブログ

手持ちのブランド品よりもガチ作業用ブルゾンを愛用した人の話

2021年12月21日 商品比較 3

さて、今回は前回の続きである。

30数年前~15年くらい前までの洋服の高品質さ – 南充浩 オフィシャルブログ (minamimitsuhiro.info)

 

今月、来月の2回に分けて亡父の衣料品を廃棄した(する)。

要らない服は捨てるに限る。裕福だった母方の祖父が32年前に亡くなったときには、ブランド物や貴石付きのカフスボタンやネクタイピンが多数残されていたので、叔父たち、母で3等分して、その一部を当方ももらった。

32年間一度も付けていない赤サンゴのネクタイピンとカフスボタンのセットをずっと保管している。

亡父の遺品の中にはそういう値打ちのある物は一つもなく、値打ち物だったのは母方の祖父の遺品だったフェンディのマフラーくらいで、あとの3点は自分が着飽きて父親に下げ渡した物3点だった。

ただ、前回のブログを眺めていただければわかるが、著名ブランド物ではないとはいえ、30年~15年くらい前の衣料品というのは、今よりも格段に使用されている素材のクオリティが高かった。

 

結局、亡父は32年間一度もフェンディのマフラーも巻かず、当方があげたウールのコートも着ることなく、昨年死んだわけだが、そんな亡父はどんな服を愛用していたかというのを今回はご紹介したい。

特に2点を画像付きでご紹介するが、この2点は年代物である。

1、南海電鉄の作業用ブルゾン

2、大末建設の現場作業コート

である。

1の南海電鉄の作業ブルゾンだが、恐らくは25年くらい前の物ではないかと思う。

 

 

というのは、当方の死んだ弟は南海電鉄の社員で、最初の10年間くらいは電車の駅、各地の南海バスに研修として配属されていたからで、その時に使用していたブルゾンだと思われる。

その後30歳前半くらいからは南海電鉄本社勤務になって、その時にこの作業ブルゾンが不要となり、それを作業ブルゾン好きの亡父がもらったという記憶がある。

ちなみにこの作業ブルゾンは「日本製」である。

90年代後半はまだまだ日本製の作業服が残っていた時代である。

 

2の大末建設の作業ブルゾンだが、これは恐らく50年以上前の物ではないかと思われる。

 

 

亡父の新卒入社した会社が大末建設だったからで、当方が生まれる前から働いていた。当然ながら日本製であり、ラベルにも書かれているが、この背裏の黄色いボアはクラボウの素材が使われているようである。

 

 

 

クラボウの素材に日本製というのは、なんとも懐かしい感じがする。

今の若い人には全く何の感慨も湧かないだろうが、51歳の当方からすると、自分が若かった90年代はまだこのころの残り香があった。

日本製の低価格衣料や実用衣料なんていうのも珍しくなかった。

 

さて、当方は亡父がフェンディのマフラーを32年間一度も巻かず、ウールキルティングコートを10何年間一度も着ず、25年前の作業ブルゾンや50年前の作業コートを死ぬまで愛用し続けたその判断基準が全く理解できない。

恐らく、衣料品業界人やファッション好きの方々には全く理解できない感覚ではないかと思う。

亡母からは生前常に「日雇い労働者風ファッション好きのクソダサジジイ」と酷評されていた亡父だが、その通りだと思う。

 

とはいえ、こういう謎の志向をする人は今でもマス層に結構多いのではないかとも思う。

実際に街を歩けば、「え?なぜその服をわざわざ買ったのか?」というような人も珍しくない。衣料品業界人からすると、理解不能なファッションの嗜好が少なくない。

亡父で言えば、そこそこオシャレと世間的に評価されるアイテムを所有しているにもかかわらず、ワーク風ジャケットどころか、本物のワーキングユニフォームをわざわざ好んでデイリーに着用していたわけである。

オシャレな物があれば、誰しもがそちらを選ぶという当方も含めた業界人の思い込みが通用しない層の人口は少なくないのではないかと思うがどうだろうか。

例えばフェンディのマフラーをわざわざ買いたいと思わない人は相当数いる。当方だって高い金を払ってあんな「F」のモノグラムのマフラーなんて買いたいとは思わない。

しかし、自宅にあれば使う。もしくは、誰かからもらったら使う。

一方、父は32年前に遺品としてもらっても一度も使わなかった。これはどういう心境なのだろうか。

そういえば、15年くらい前のことになるのだろうか。正月に親戚で集まる際に、父が作業着ブルゾンを着て行って、母親が激怒していた記憶がある。

昔の正月というと、晴れ着やフォーマルとまではいかなくても、「余所行き(よそいき)」のカジュアルを着る人が多かったが、その席にもわざわざ作業着ブルゾンを着て行ったほどだから、よほど愛着があったのか、ファッション性の高い服を着ることに抵抗があったのか、だろう。

 

海外ではH&MやZARA、国内ではユニクロの出現によりファッションは民主化した、庶民化したと言われるが、大衆が全員ファッションを求めているわけではないということを業界人は忘れがちではないか。

亡父のような人間も相当数いて、とはいえ全裸で暮らしているわけではないから、洋服は買っているわけである。そこにはそれなりの規模の市場があるのではないかとも思う。

また、最近やけに若作りをしたがる身の程知らずな年寄りが増えたが、その一方で、ユニクロのように老若共通の売り場には抵抗があるという年寄り世代も少なくはない。亡父は後者に属するのではないかと思う。

そういう層に向けた衣料品売り場というのもニッチビジネスとしては成り立つのではないかと、亡父のクソダサい服を不燃物ゴミ袋に詰め込みながら思った次第である。

 

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 comment
  • ヒデ より: 2021/12/21(火) 10:57 PM

    お父さんの気持ち、なんとなくわかります。服なんて所詮はモノでしかないから、作りがしっかりしてて、身体に合っていて、着心地が良くて、必要最低限の機能があればいいんですよ。流行り、ブランド、ステータス、所有することで得られる満足感・優越感といったことと一切無縁な匿名性の高い服の方が着ていて疲れないし、身体にもよく馴染む。おまけに、少々汚れても気にならないし、ダメになったら買い換えればいい。農業従事者、土木作業員、技術職、職人なんかに多い感覚だと思います。僕はリサイクルショップでミリタリーやワークウェアを買うことが多いのですが、この写真のような作業着は、デザイン、つくりともなかなか良いものだと思います。ソースは間違いなくミリタリーウェアですね。こういう昔の日本製ワークウェアは、アメリカ製やヨーロッパ製、ヴィンテージのようなプレミアムが付くこともなく、リサイクルショップでは二束三文で叩き売られているのが常ですが、よく見れば中には掘り出し物もかなりあると思います。流石にこれを正月に着ようとは思いませんが、普段生活する分には充分かも知れませんね。😁

  • BOCONON より: 2021/12/22(水) 9:04 PM

    さすがに 「 “正月に親戚が集まる席” にドカジャンはあかんやろw」と思いますね。うちの父親も「その白ブリーフ,10年くらい穿いてるんじゃねえの?」と云った風だったですが,さすがに少し改まった席にはさほど高価ではないにしてもツイード(風?)のジャケット着て出ていました。
    まあ似たようなもんか。
    確かに中年以降「悲しいとき~~もう服装なんてどうでも良くなってしまったお父さんを見た時~~」てなもんで頑なに同じ服(首周りの伸びたTシャツや雑巾じみたジーンズ,不必要にキレイキレイした色使いのストライプのポロシャツ等々)を着続ける男は珍しくもないけれど,正直そこにビジネスチャンスがあるとは僕にはあまり思えませんね。

  • 南ミツヒロ的合理主義者 より: 2022/08/22(月) 12:05 PM

    この文章も南サンならではの考察だなぁ。

    しかもご家族に対する容赦ない
    批判が入っているのもスゴイと思います

    南サン:>オシャレな物があれば、誰もがそちらを選ぶわけではない

    いっぽう、作る側は間違いなく、よりオシャレで、近年なら
    より高機能で実用的なら選ばれる服になると思いこんでます

    「手近な所に程よく実用的でもちろんネダンは安い(できればタダのw)
    服があれば良い」と考えてる人が若者含め10人中8人ぐらいじゃないですか?

    それにしても南サンも血筋は争えませんね

    ・南海ブルゾンはライナーがキルティングだし
    ・大末コートのライナーはクラボウのボア地

    そして表地はどちらも厚手の綿100
    (当時は化繊の技術が良くなかったから
     ポリ混の実用服は「やすもの」でした)

    服としては、最高ランクの構成ですよ

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