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南充浩 オフィシャルブログ

それってどこが「エコ」なの?

2021年9月29日 トレンド 3

環境に配慮することは必要で、公害垂れ流しが良いとは全く思わない。

1970年生まれの当方の子供の頃は、日本全国に公害が溢れていた。小学生時代は夏になると毎日「光化学スモッグ」警報が発令されていた。

あれを見ない小学生の夏は無かったのではないかと思う。

それ以外にも河川の水質汚染も深刻だったし、琵琶湖では毎年夏には赤潮とか青潮とかカビとか発生し、琵琶湖から水を引いている大阪市内の水道水はひどくその時期は塩素臭くて飲めたものではなかった。奈良県で生まれ育ったものだから、そんなまずい水道水を飲んだことがなかったので、子供の頃、大阪市内では水を飲めなかった。

いつのころからか、光化学スモッグはほとんど出なくなったし、琵琶湖のカビも発生しなくなった。それは確実に我が国の各社が環境対策を行ったためで、その必要性については、光化学スモッグで育った当方はよく理解しているつもりである。

今の若い人たちは琵琶湖のカビだとか、光化学スモッグなんてまったくご存知ないだろう。

 

しかし、エコ、エシカル、サステナブル、SDGSなどのいわゆる「環境対策」と総称されるものに関しての取り組みやそれらへの報道姿勢には、疑問を感じてしまう。

右の物を左へ移したに過ぎないのではないか、と思えるものが多すぎるし、それを「環境対策への決定打」みたいに報道するメディアの姿勢が多すぎる。

また、現時点での人間の技術で実現できない理想を、さも半年後か来年ぐらいに実現できる、かのような報道や打ち出しが多すぎると感じる。

 

ブリの皮を革に スマホケース制作 氷見の野口さん:朝日新聞デジタル (asahi.com)

 

この記事と内容自体には疑問は全く感じない。

地域おこしとしては、寒鰤で有名な富山県の氷見にふさわしい製品だと思う。地元の名産品を使って、新製品を開発しましたという、実に真っ当な地域おこしの取り組みだとしか言えない。

だが、ウェブメディアの怖いところは、各メディアが様々に提携していて、あちこちに転載されることにある。転載だけなら全く問題はないが、転載されるたびに、媒体によって見出しの付け方や打ち出し、カテゴリーが変えられてしまうところにある。

転載先では「廃棄物を利用したエコ活動」みたいなヘッダーが付けられていてそこには強い疑問しか感じなかった。

廃棄物=絶対悪

 

みたいな風潮があるが、廃棄物の種類によっても全く環境負荷は異なるのではないか。

例えば、分解されないプラスチックを問題視するのは理解できるが、鰤の皮はタンパク質なのでいずれ土に還る。また粉末にして飼料や肥料にして再利用することも可能だろう。

一方、鰤の皮をなめして革にする工程、その革をスマホケースに仕立てる工程で、当然電気が必要になるし、いろいろと排液なども出ることになる。

どちらがどれほど有害なのかというのは、数量としてあらわされていないので比較はできにくいが、スマホケースにすることが圧倒的にエコとは言えないだろうと当方は思う。似たり寄ったり・五十歩百歩だろう。

 

最近、衣料品や生地の分野ではリサイクルポリエステル使用が花盛りである。

リサイクルポリエステルは通常、回収された使用済みペットボトルをチップにして、溶かしてそれをポリエステルに再加工するという工程で製造される。

リサイクルポリエステルという考え方自体は実は90年代後半にすでにあり、その当時、繊維業界記者として、当方は何度も取材したが、イマイチピンとこなかった。今も実はきていない。(笑)

当時から言われているリサイクルポリエステルの難点として

 

1、工程が増えることによるコスト増、それに伴う売価高

2、通常のポリエステルよりも硬い

3、あらかじめ色が着いてしまっていて染色しても染まり切らない、または意図した色に染まりにくい

 

というものがあった。

恐らく、これは今でも解消されていない。

 

ポリエステルという原料だけで考えてみれば「高くて品質が悪い物」というのがリサイクルポリエステルなので、20年間あまり積極的に使われなかったわけである。

普通、誰でも「高くて悪い物」をわざわざ使用したいとは思わない。

それがこのところの「総称エコ」ブームのおかげでリサイクルポリエステル使用の製品が店頭とウェブ内に溢れている。

そんなに大量のリサイクルポリエステルがこれまで再生産されていたのか?と訝しく思ってしまう。

 

最近、糸や生地の段階では、こんな噂がささやかれている。

 

リサイクルポリエステルを作るために「わざわざ」ペットボトルを製造している

 

というものである。

どういうことかというと、リサイクルポリエステルと謳いたいがために、わざわざペットボトルを製造し、それを未使用のままチップに砕いてポリエステルへと再生産しているというのである。

もちろん、噂に過ぎず、実際に証拠はまだ表には出て来ていない。

当方もあくまでも噂だと信じたい。世の中にそんな馬鹿者はいないと信じたいからだ。

しかし、事実なら馬鹿の極みである。

 

ペットボトルをわざわざ製造している時点で余計な工程が挟まっているということになり、その分、排出ガスやら排液やらで環境負荷を高めている。

しかも製造されたポリエステルは高くて品質が悪い。これのどこが「エコ」なのだろうか。

それなら直接ポリエステルを製造している方がまだマシである。

こういう噂が出てくるというのは、現時点の技術でのエコというのは、根本的に成立せず、単なるポーズに過ぎないからだろう。

 

人間は神ではないので、無から有を作り出すことが現時点では不可能である。逆に有を無に帰することも不可能である。

原子、分子を組み立てて物を製造でき、出来上がった物をまた分子に戻すことができれば、完全なるエコである。

 

要らなくなったゴミを高温で燃やしたところで、質量保存の法則の通り、二酸化炭素などの気体と燃えカスが残ってしまう。じゃあ、排出された気体と燃えカスはどう処理をすればいいのか?というのが、現在の問題点であり、人間の技術の限界点である。

逆に、何らかの元の物質があってそれを加工することで道具を生み出している。だから元となる物質が無ければ物を製造することはできない。

技術の研究開発は必要だが、神の御業にも等しい理想が、そう簡単に達成できるはずもない。

地道な研究を続けてもらいつつ、実現可能なレベルで少しずつ環境対策をする方が、遠回りに見えるかもしれないが確実性が高い。一足飛びに神の理想を達成できると考える方が危険で脆く、結局のところ、右の物を左に移動させただけの「なんちゃってエコ」しか生み出さない。

 

 

リサイクルポリエステルの製品をどうぞ~

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 comment
  • BOCONON より: 2021/09/30(木) 7:33 PM

    商売として成り立つものなら言われなくても民間企業が次々参入する筈だし,エコエコ言わなきゃ誰もやらないのなら,それはやっても引き合わない=商売になんてならない=無理にやったらエコどころじゃなくてむしろ余計にひどい事になる,という至極単純な話ですね。
    本来単純な話なのに,国の方針に沿って太陽光発電の電気を電力会社が買う(と言っておいて「やっぱり引き合わないから買いません」と言い出す)とか,小泉さんちのあほぼんがしゃしゃり出てくる等々で話は無駄にややこしくなるばかり。たぶん太陽光発電設備などは近い将来廃墟化して行くでありましょう…いや,既になりつつあるな,うちの近所でも。
    こういうのやああいうの,最後誰が責任持つんだか。まったく迷惑な話であります。

    • とおりすがりのオッサン より: 2021/10/01(金) 11:21 AM

      太陽個パネルにはカドミウムとかヤバいのが入ってるので、のちのち環境問題にまで発展していきそうっすね。あとは、この前の土砂崩れ、土石流みななのも頻発しそうです。

  • 直言居士 より: 2021/10/04(月) 12:09 PM

    世にイスラム教原理主義、キリスト教原理主義なるものがあり非寛容、非科学的なものの代名詞になっていますが、エコ原理主義も同一のカテゴリーに入るものと思います。(他のイデオロギー教条主義も同じですが。)

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