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南充浩 オフィシャルブログ

百貨店の「価値」って何?

2021年5月6日 百貨店 1

百貨店に関する記事だが、久しぶりにほぼ同意できた。

大丸、三越伊勢丹…誰も語れない百貨店分析 政府の施策が百貨店を殺す「本質的理由」 _小売・物流業界 ニュースサイト【ダイヤモンド・チェーンストアオンライン】 (diamond-rm.net)

 

ただし、見出しはアレである。

編集部の趣味なのか、この筆者の趣味なのかはわからない。まあ、ダイヤモンドは「経済メディアの東スポ」みたいな性質があるから、こういう見出しの付け方が好きなのかもしれない。

 

この記事で触れられている「国内の百貨店店舗数が多すぎる」というのは、その通りだと前々から思っていて、このブログでも何度か触れてきた。

 

百貨店は、私が第一作目の「ブランドで競争する技術」を書いた時、250店もあったが、あれから10年たち、いまや200店をきっている。あと5年で100になるという人もいるが、私もそう思う。なぜなら、今の200という数はどう考えても多すぎるだからだ。

 

あと5年で100店舗になるかどうかはわからないが、今後200弱の店舗数がさらに減ることは間違いない。

 

単純に、都道府県数で割れば、1つの県に百貨店が約6店もあることになる(実際は、東京や大阪などに集中しているのだが)。海外旅行に行った人は想像できると思うが、世界の主要都市、パリ、ミラノ、ニューヨークなどでは百貨店は5つあれば多い方だ。つまり、平均すれば、日本中がパリ、ミラノ、ニューヨークになったのである。

 

とある。

実は、当方は大学生のころ、2回ヨーロッパにバックパックで1ヶ月ほど(合計2カ月くらい)出かけたことがあった。10何時間もエコノミーシートに座っているのが苦痛すぎて、それ以来、長時間飛行機に乗るのが嫌になったので、フライトが5時間を越える海外には行かないと決めて、それ以来行っていないし、死ぬまで行く気がない。

20何年前のミラノを何日間かかけて回ったのだが、百貨店が小さくて店舗数が少なかったのが印象的だった。

当方は生まれも育ちも暮らしも関西人なので大阪市を基準にすると、大阪市内には百貨店が2021年現在6店舗もある。

天王寺に近鉄百貨店あべのハルカス本店、難波に髙島屋大阪店、心斎橋に大丸心斎橋店、梅田に阪急うめだ本店、阪神梅田本店、大丸梅田店という具合である。

難波のマルイを入れると7店舗になる。また昔は心斎橋にそごう心斎橋店もあった。(すみません。上本町近鉄を忘れていましたので8店舗になります。)

一つの市内にこれだけ百貨店が、しかも大型店が集積しているというのは、国際的に見てかなり特殊である。

東京や横浜、名古屋、大阪などの都心大型旗艦店は今後も残ると思うが、地方や郊外の小型店が閉店に追い込まれるのは当然だろう。

 

一方日本の百貨店には、海外百貨店にはない、日本文化と切り離せないものがある。それは、ハレの日の「お中元」と「お歳暮」「結婚式の引きでもの」などだ。

 

とある。この役割は大きく、当方のような人間でも亡父の香典返しは近鉄百貨店で買って送付してもらった。同じ商品を買ったとしても、さすがに当方が大好きなスーパー万代や、イズミヤ、イオン、ジョーシンから送ることははばかられる。尤も、後期高齢者なら「近鉄などという電鉄系百貨店は格下。髙島屋や大丸などの呉服系にしなさい」と言うだろうが、さすがにそこまではやっていられない。

この役割は地方、郊外、田舎ほど求められるだろう。だから、当方としては、田舎の百貨店が閉店したら「中元歳暮贈答専用サロン」を小ぢんまりと開けばいいのだと思っている。そこに勤務する従業員数人くらいの売上高は稼げるだろう。

 

百貨店のおいたち、そして、百貨店が我々消費者に与えている価値を分析すれば、百貨店とは、その周りにある人たちが集い、美味しい食事をして憧れの時計や高級ブランドを眺め、「いつかは」と、夢を膨らませるリアルな場所なのだ。

 

とあるが、これも正しいだろう。

当方には、理解はできても共感できない考え方の一つとして「伊勢丹で買う」「阪急で買う」ことを最上級の価値とする考え方がある。

他人に贈答するのならわかるが、当方なら「〇〇ブランドのアレ(商品名)を買いたい」という願望はあっても、「伊勢丹で買いたい」という願望はない。〇〇ブランドの直営店でも構わないし、何ならドン・キホーテで2割引きで買っても構わない。

要は「物」が手に入ればそれでいい。

しかし、そういう考え方をする人も少なくないというのは事実だ。

 

百貨店というのは、基本的に自主企画製品がほとんどなく、特に衣料品やファッション雑貨は、他社ブランドを仕入れることがほとんどである。

従って、商品そのもので差別化は今のところ不可能である。人気ブランドを導入できたかどうかだけの問題で、当方のように「物自体」が欲しい人間なら、そのブランドの商品が買えるならどこでも構わないということになるが、そこを百貨店関係者、メディア関係者、一部のアパレル業界人は理解していないのではないかと思う。

例えば、グッチの店舗が近隣百貨店すべてに入っていたとすると、グッチファンはどの百貨店で買っても構わないと考える。何なら直営の大型路面店の方がすべてが揃っていて便利だと考える。

にもかかわらず、グッチを最初に導入することに血道を上げてきたのが百貨店だし、その導入の速さだけを評価していたのがメディアだといえる。

それが百貨店自体の施策を混迷させているし、百貨店再建論をさらに迷走させているのではないだろうか。

 

しかし、そのうちにグッチは他の近隣百貨店にも導入されるし、大型直営路面店も出店し、最初に導入した百貨店の優位性はなくなる。これが単純化した図式の今までの百貨店の流れである。

 

商品で差別化を果たすには究極的には自主企画製品ということになる。ワークマンの9オンス綿100%ヘビーオンスTシャツは、ワークマン以外では買えないということである。

だから「百貨店は自主企画製品開発に踏み出せ」という意見があるが、現状の百貨店関係者の知見や性格を見ていると、それはなかなか実現が難しいのではないかと思ってしまう。それでも「物自体」での差別化を求めるならそれしか手はないのだが。

個人的には、百貨店は都心大型旗艦店をガッチリ維持しつつ、根強い「外商」で堅実に稼ぎ、地方・郊外・田舎の不採算店は閉店して「中元歳暮贈答専用サロン」を開設するというのが最も現実的な生き残り施策だろうと思う。

 

 

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 comment
  • kimgonw より: 2021/05/06(木) 2:39 PM

    自分は良くても相手は認めないことってありますよね。
    友人がお世話になった人にお中元送るからと
    彼の地元で夕食をとった後言うもんですから
    「今から百貨店?」
    と思いついて行くと スーパーコノミヤで購入していました
    こういう人は自分の都合ですよね
    「百貨店って、お高くとまってて嫌いや!」
    とかいう。自分の都合です。
    各地には有力な百貨店がかつてあって
    山形屋でないとダメ、大和でないとダメという御仁はいます。
    いえ、ある意味地方はそういう人の集まりと言っていい
    包装紙=自分の価値ということです。中身ではない。
    南さんが言われるように
    「あの百貨店はすごい」という広く民にステータス?を認めさせる装置として
    そして「自分には関係無い」と憧憬と強がりをうませる装置としての店舗
    それらはショールームですよね
    で 実際は外商で「あの壺は、いいものだぁ~」と言えそうな壺とかを
    購入してもらうようになるんでしょうね
    私は一保堂茶舗くらいしか 百貨店には縁がございません

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