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南充浩 オフィシャルブログ

洋服チェーン店各社が鎬を削った90年代前半の話

2021年3月22日 回顧 1

今日はちょっと昔話を。

28年前に洋服販売のチェーン店に入社した。どうして入社したのかというと、就職活動でそこしか通らなかったからだ。

その昔、優秀な学生は全部民間企業へ就職してしまい、教師になるのは落ちこぼればかりだった時期があり、そのころに教職に就いた人を「デモシカ先生」と呼んだ。教師しかなれなかった、教師でもやっとくか、である。その論から行くと、当方はデモシカ販売員だったということになる。

 

2021年の現在から見ると、国内のカジュアルチェーン店はユニクロとジーユーの圧倒的な強さ、追随するしまむら、無印良品、アダストリア、ハニーズ、などという構図だが、28年前はこの構図は存在していなかった。

 

当方が就職したころはユニクロは全国区ではなく、関西圏ですら知られていなかった。当方も存在すら知らなかった。

ユニクロが関西圏に進出し始めたのは95年くらいではなかっただろうか。

当時は小林克也氏のナレーションで、新規出店するたびに「〇〇店オープン」というテレビCMを流していた。オープン当日は何故か朝6時オープンで、オープン時には並んでいる人にアンパンと牛乳が配られていた。

朝6時にオープンする意味がわからなかったし、朝6時から並ぶ人がいることも理解不能だった。

 

90年代前半という時期は、「今後、アメリカにあるような100坪の大型店が増える」と考えられていた時期で、渥美俊一氏の「チェーンストア理論」がその根拠となっていた。

入社した会社の社長も渥美俊一氏のセミナーに入会しており、「店舗数100店舗を達成し、100坪単位の大型店を増やす」ということに真摯に取り組んでいた。

当方が入社したころすでに70数店か80店舗くらいはあり、100店舗達成は時間の問題ではないかと思われていた。また100坪、200坪くらいの大型店も次々と出店していたので、社長の目標も早晩達成できるのではないかと思われていた。

 

ちょうどこの当時、各ジーンズカジュアルチェーン店もロードサイドに大型店を次々と出店しており、各社がチェーン店の覇権を握ろうと競争していた。

 

今から思えば楽しくてやりがいのある時代だったと感じる。

何せ、圧倒的な強さで覇権を握っていた洋服チェーン店というのが存在しなかった時代である。紳士服チェーンは存在していたが、それでも紳士服に限定されていたし、青山、AOKI、コナカ、はるやまなど複数存在したから群雄割拠という状態だった。

 

当方は、96年に退職してしまった。

理由は様々ある。

退職後、97年からユニクロの猛攻が始まり、98年にはフリースブームが起きた。このころには繊維業界紙に入社していたからフリースブームをよく観察していた。

正直なところ、この当時のユニクロの商品にはまったく魅力を感じなかった。

安かろう悪かろうとは言わないが、それに近い商品だったが、業界紙の先輩やメディアはユニクロの商品の出来栄えを褒めていたから、「この人らの目は節穴なんだろうか」と感じられてならなかった。

まず、色合いがおかしかった。

黒、紺は普通だがパープルとかピンクの色調やトーンがおかしかった。

また、形もおかしかった。98年のフリースはやたらと横幅が大きかった。

ジーンズにしても同様で「2900円なのにナショナルブランド製品並みの品質」と謳われていたが、ブルーの色合いがおかしかったから、ユニクロの2900円ジーンズを買うくらいなら、ナショナルブランドの値下げ品を買った方がマシだと思っていた。

 

97年頃までは、はっきりというと、ユニクロも群雄割拠のうちの一つにすぎなかった。

当方が入社した会社も含めて、各社が覇権を握るために規模の拡大と店舗面積の拡大を競っていた。

 

しかし、97年頃から他のチェーン店は息切れし始める。

大手ジーンズカジュアルチェーン店も三信衣料、フロムUSA、ロードランナーと経営破綻が相次いだ。97年には鈴屋も経営破綻している。

RIOチェーンも勢いが無くなってきており、2021年現在だとどこに店があるのかもあまり知られていない有様である。

 

ユニクロとて実は無傷ではなかった。99年もフリースブームの余波は残っていたが2000年になるとブームの反動から売上高が激減した。

逆によくユニクロは持ちこたえたと思う。

 

今の20代・30代の人たちはユニクロが強大化した以降の状況しか知らないと思うが、ユニクロが覇権を握る前は、どの会社にも一応のチャンスはあった。

運も含めて、各社ともに握れなかったのはそれ相応の理由があったのだろう。

 

とはいえ、あの頃は圧倒的強者が存在していなかったので、買い物をするという消費者の立場からしても結構楽しかった。

今だと、低価格カジュアルだったらユニクロとジーユー、アダストリアの組み合わせくらいで十分ということになるが、それもだんだんと飽きてくる。

しかし、当時は、あちこちに様々なチェーン店があり、各店をチェックするだけでも楽しかった。

もう二度とあの頃には戻れず、状況が変わることがあるとするなら、柳井正氏の完全引退後、ファーストリテイリングが没落した時だろう。

まあ、各社はその時に備えて牙を研いでみてはどうか。

 

 

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 comment
  • ヒデ より: 2021/03/23(火) 8:49 PM

    自分は1993年頃、西宮北口駅近くのユニクロで服を買ったことがありますが、とにかくひどい質で、二度と買うまいと思ったのを覚えています。それと比べると、今のユニクロは、別の会社のようです。ただし、色とデザインがましになったのは、わりと最近の話で、セーターは未だに洗濯後の色落ちが酷いので、絶対買いません。

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