なぜかつての大手アパレルは自家縫製工場を手放したのか?
2020年11月25日 製造加工業 0
先日、11月22日の日曜日の夜、またZOOMを使っての無料トークイベントを開催した。
前回同様にほとんどの用意は、お若い二人に丸投げODM状態である。今回は20人くらいにご参加いただいた。
その中で、参加者から
「アパレルブランドが自家縫製工場を持つのが究極のD2Cでは?」
という質問をいただいた。
これに対しての答えは、YESである。しかし、実現するのは相当に困難だろうと思う。
それとともに、人間の記憶というものが後の世代になかなか継がれないものだということを改めて感じた。
まず、なぜ困難かというと、このモデルはすでに我が国のアパレル各社が通ってきた道だからである。基本的に1960年代・70年代・80年代のアパレルの多くは、自家縫製工場を所有していた。
80年代以降、各社は次々と自家縫製工場を手放したり廃止したりして今に至る。
結論から言ってしまえば、D2CだろうがSPAだろうが呼び名は何でも構わないが、そういう名目を掲げただけでこのシステムが上手く行くなら、我が国の老舗アパレル各社は今の体たらくに追い込まれていない。
旧大手ジーンズメーカー各社は今のような状態に落ちぶれていなかっただろう。
例えば、旧大手のジーンズメーカー各社は基本的にすべて自社工場を持っていた。ところが、今残っているのはエドウインだけで、そのエドウインですら、自家工場と国内協力工場の数をジワジワと減らしてきている。
ビッグジョンはかつては自家縫製工場を持っていたが今は持っていない。
ボブソンも同様だ。
タカヤ商事は今も持っているが、ジーンズ事業は縮小気味だし商況も芳しいとは聞かない。
ブルーウェイは持っていたが、会社自体が倒産してしまった。
旧大手ではないが、ドミンゴ、ジョンブル、ベティスミスは今でも持っているが企業規模が拡大している状況にはない。
大手総合アパレルだって、オンワード樫山、イトキン、三陽商会、ワールドは自家工場を持っていたし、大手ではないがラピーヌも持っていた。しかし、今の決算や財務状態はどうか。連日報道されている通りである。
だから、この方法がもう一度復活するとはまったく思えないし、復活させたところでまた同じことを繰り返すだけである。
旧大手ジーンズメーカー各社は基本的に卸売りメーカーだった。大手総合アパレルは90年代後半からSPA型へと変わった。それゆえに、まったく同じシステムとは呼べないものの、卸売り形態でもダメ、SPA型へシフトしてもダメというのが、この30年間の結果といえる。
では、理論的には理想ともいえるこの「自家縫製工場を持った直販型ブランド」がダメだったのかということについて考えてみよう。
まず、旧大手ジーンズメーカー各社の得意とする「卸売り」で考えてみると、売れ行きは結局のところ、小売店次第ということになり、極言すれば他人任せということになる。
かつてのジーンズブームのころのように「〇〇」という商品名だけで指名買いが相次ぐような環境なら、他人任せに販売させていても、その商品名だけで売れる。
店の親爺のオペレーションが下手くそだろうが、店員の対応が悪かろうが、「〇〇」という商品があれば売れる。
だが、そういう「ブーム」が無くなれば、店頭の人間の認識や行動によって、大きく売れ行きは左右される。
その一方で自家縫製工場からは、毎日何百枚、何千枚という商品が出来上がってくるわけである。出来上がった分だけ店頭へ送り込まないと倉庫はすぐにパンクしてしまう。
SPA型だともう少し店頭のコントロールと店頭への直接指導は可能になるが、それで毎日飛ぶように売れるわけではない。それこそDCブーム全盛期や109系ブーム全盛期のような時代ならまだしも、今の日本にそういうファッションのマスブームは存在しない。
そうなると、店頭ではそれなりに努力しても、工場から毎日続々と出来上がってくる商品をすべて送り込むほどには売れない。
結果的に倉庫には在庫が積み上がってしまうということになる。
だから、大手総合アパレルは90年代に次々と自家縫製工場を手放したり廃止したりし、ジーンズメーカーは追い込まれた2005年以降に自家縫製工場を手放したり廃止したりして今に至る。
ではどうすれば成り立つのかというと、店頭で売れる商品量と出来上がってくる商品量が完全に一致すればこの形態は成り立つ。
しかし、それを実現することは困難を極める。簡単に実現できるなら大手総合アパレルもジーンズメーカーも今でも自家縫製工場を抱えたままである。
また実現できたと仮定すると、今度は企業としての規模の拡大はかなり難しくなる。企業規模を追求する時代ではないというが、このシステムが完全に成り立つとするなら、それこそ数億円規模だろうと思う。しかし規模の追求は不要でもいつまでも数億円規模で停滞していれば、様々な施策も挑戦できない。少しずつ規模を拡大しなくてはならないが、規模を拡大するためには、あらかじめ何枚かは作り置く必要がある。
しかし、安易に作り置けば、売れ残る可能性もあり、循環システムを破壊する恐れもある。
それにしてもかつては、当たり前だったシステムが世間から消えて何十年経過すると、その時代を知らない若い人からは、その旧型システムが最新の理想形態として思いつくというのは面白い現象で、何も繊維業だけでなく、世の中はそういう事柄で溢れている。
撮影して編集してテレビドラマやネット動画は作られるが、これが普及してしまうと生放送・生配信が目新しく感じられる。しかし、撮影録画技術が無かった時代は、テレビドラマすら生放送されていたということを今の若い人は知らないから、目新しく感じてしまう。
まあ、だからこそ温故知新という言葉があるのだろうが、その事象が本当に過去に存在しなかったのかどうかということをまず調べてみる必要がある。