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南充浩 オフィシャルブログ

「洋服の新規生産はすべて中止せよ」という暴論

2020年9月7日 トレンド 0

洋服を作るのに必要な工程は、多岐にわたっている。

紡績・合繊製造

織布or編み

染色

整理加工

裁断

縫製

 

という感じである。

実際はもっと細かく、縫製以外にボタンホールを開ける工程とか、縫製し終わったあとに施す洗い加工とかそういう工程もある。

主な工程を川上から順番に並べてみた。

 

個人的にはまったくサスティナブルとかエコとか興味はないが、そういう売り方・作り方をするブランドがあっても構わないと思っているが、ともするとそういうブランドやその支持者は主張が過激になり、極言すると「江戸時代に戻れ」とか「古代の生活に戻れ」みたいな実現不可能なことを平然という。

洋服の生産数量を減らせという論調があるが、現実を無視した手段の主張も多く見られる。

先日、こんなツイートを見て疑問しか湧かなかった。

 

供給される服の半分は、廃棄されている。 職人さんが一生懸命作った服の53%が、誰にも着られるとこもなく新品のまま廃棄されているんです。 もうこれ以上服を作らなくていいんじゃない?古着で十分

 

とのことで、ツイッターは140字以内で議論が限られるので、どうしても手短になってしまう。しかし、それを割り引いてもなかなか乱暴で実現不可能な論だと思う。

まず、洋服の半数以上が捨てられているという最近よく耳にする論だが、各ブランドが半数以上も在庫品を捨てていればほとんどのブランドは経営破綻する。なぜ破綻するのかは会計に明るいマサ佐藤氏のブログでも参照してもらいたい。
この論の人の多くは「廃棄することに代金が発生する」ということを理解していないのではないかと思う。
売れ残った洋服を廃棄できるブランドというのは、よほど儲かっているか、単年度で儲かっていなくても資産を蓄えているかのどちらかである。
だから、営業利益率が何10%もある(国内のアパレル企業の営業利益率は通常1~5%程度)ラグジュアリーブランドや高額ブランドこそが廃棄できたわけで、儲かっていないブランドのほとんどは、二束三文で買いたたかれてもバッタ屋や在庫処分店へ払い下げている。
わかりにくければ、我々が大型家電製品を購入した際に、壊れた古い家電製品を廃棄するのに3000円とか5000円の料金が必要なことを思い浮かべてもらうと感覚的に理解できるのではないかと思う。
ちなみに某人気ブランドを抱える某アパレルは、一昨年、30万枚を某在庫処分店に払い下げたという話もある。決して売れ残りを捨ててはいない。(タイムセール好きのあの会社ね)
あと、意外にZARAの不良在庫もバッタ屋に流れてくることも珍しくない。
そして、製造を全部やめて古着だけでOKということは到底実現不可能だが、実際にもし実現したとするなら、先ほど挙げた工程はすべて倒産か廃業しなくてはならなくなる。
お分かりだろうか?
洋服が作られないのなら、紡績も撚糸も生地作りも染色も縫製も必要ない。全部潰れてしまう。
そして、それは国内のみならず海外も同様で、工場の規模が大きい海外こそダメージは甚大になるだろう。
このツイートの人の平素の考え方がどうなのかは知らないし、めんどくさそうな人だから知ろうとも思わないが、知っている範囲のこの手の「環境ガー」みたいな人は、反面、「モノヅクリを守れ」とか「日本の製造加工業を守れ」なんていう主張をしていることが多い。
ハッキリ言って「新規の洋服製造は全部中止」と「モノヅクリを守れ」は絶対に両立できない。最大の矛盾である。
さらにいうなら、今春新型コロナによる大規模店舗休業によって、バングラデシュや東南アジアへの洋服製造のオーダーが中止になったりキャンセルになったりした。
その際、バングラデシュでは400万人の雇用が衣類製造で生み出されていると報道された。
洋服の生産が中止になるとこの400万人の生活が一挙に壊れるわけである。
そして、この人たちは一斉に「バングラデシュの雇用を守れ」と声を上げたが、これも両立不可能である。400万人の雇用を守るためにはチマチマと10枚や20枚を受注生産したところで到底間に合わない。
何万枚、何十万枚という大量生産が必要なのである。
お分かりだろうか。

そして、さらに忘れられているのが、副資材の問題である。

ボタン

ファスナー

芯地

ホック

ミシン糸

などなどである。

 

これらの副資材はいずれも大量生産されてメーカーや問屋が備蓄している。

だから、短納期オーダー服なんていうものが実現可能なのである。短納期オーダーでなくとも、個人がミシンでいろいろと服や生地雑貨を製造できるのもこれらが常に備蓄されているからである。

新しい服が生産されないとなると、これらの副資材もほとんどが倒産・廃業せざるを得ない。

 

古着にやたらと期待している人も多いが、もしかするとメルカリの転売とか、ラグタグの店頭に並んでいる「綺麗な古着」をイメージしているのだろうか?

だが、実際の古着、特に海外で集められる古着というのは、汚れていたりニオイが酷かったりするものが多いという。

そういえば、昨年、東南アジアから古着を集めてきて卸したり、小売りをしたりしているという業者の商品を見せてもらったことがあるが、かなり酷い状態の物も多かった。

古着すべてがラグタグの店頭に並んでいるような綺麗な物ではないし、逆にそういう物は非常に稀である。

 

古着ですべてが賄えるというのも空理空論でしかない。

 

売れ残りがなるべく出ないようにするには、イデオロギーまみれの空理空論ではなく、マーチャンダイジングの精度を各社が向上させるしかない。売り切れるだけの数量・売り切れるような商品企画・売り切れるような見せ方をどれだけ精度を高くできるかである。そして、売れ残った少量の商品はためらわずに店頭で値下げして叩き売るということである。

センチメンタルなだけの感情論は必要ない。

 

 

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