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南充浩 オフィシャルブログ

衣料品製造の中間業者は今後も増え続けるだろう

2020年7月3日 製造加工業 1

近々、某レディースアパレルの廃業が正式に発表されるはずである。

このレディースアパレルはそんなに売り上げ規模は大きくはないが、運営しているブランドの知名度はそこそこに高い。

廃業を決定した理由は、新型コロナによる店舗休業だったが、新型コロナ以前から売上高を落としていたし、ちょっとした炎上もあった。環境が悪くなっていたところを新型コロナが背中を押した形だといえる。

ただし、廃業できるということはそれなりに資金はあるということで、資金がない場合は倒産ということになる。

正式発表を待ちたいと思う。

 

で、このレディースアパレルが廃業すれば、またぞろ、製造関係の中間業者が増えることになるのではないかと思う。

アパレルが潰れるごとに製造関係の中間業者はこの20年間増え続けてきた。

 

いわゆるOEM業者、ODM業者、振り屋という類である。

ではどうして増えるのかということについて考えてみよう。

 

90年代半ば以降の業界の雰囲気しか当方にはわからないが、恐らく80年代だったら、倒産したアパレルからまた別のアパレルを立ち上げるということが多かったのではないかと思う。

洋服の市場規模は増え続けていたし、何よりもDCブランドブームで、全般的には洋服ブランドは隆盛を極めていた。勤務していたアパレルが倒産すれば、その社員は「じゃあ、俺たちで別のブランドを立ち上げよう」ということになりやすかったのだと思う。

 

しかし、バブル崩壊以降、DCブランドブームのころまでのようなアパレルビジネスは成り立ちにくくなってきた。DCブランドに限らず、ジーンズやカジュアルブランドも同様である。

バブル崩壊前までは、ジーンズブランドが潰れるとまた、その残党が別のジーンズブランドを立ち上げるということが繰り返されていた。主要販路であるジーンズカジュアル専門店も好調だったから、そこへ卸すことも難しくはなかった。

これまでやってきた業務内容の延長線上で、何とかなった。

 

バブル崩壊以降は様子が変わってしまった。90年代をリアルタイムで過ごしてきた当方の感想を言うと、バブル崩壊直後は急に不景気になったわけでもない。まだまだ余韻があった。それこそ、5年後にはまた景気は回復すると思っていた大人も少なくなかった。

様子が変わったのは97年だったと記憶している。北海道拓殖銀行や山一証券という大手金融機関が続々と倒産してしまった。これはただ事ではないという風になったし、このころから「不良債権」なる言葉が巷で頻繁に耳にするようになった。

そして一気に不況感が強まった。

その後、2000年頃までにダイエー、マイカルという大手スーパーが倒産し、そごうという百貨店が経営破綻した。これでさらに不景気感が強まり、就職氷河期が決定的になった。

 

このころになると、アパレルはかつてのやり方では売上高が伸びにくくなってきた。そしてユニクロブームの到来である。90年代後半はまだまだ「安物屋」と見られていたユニクロだったが、業界人が思っていたような一時的なブームではなかった。

アパレルはかつてのやり方では規模を伸ばしにくくなってしまったから、倒産したアパレルの残党はアパレルを立ち上げるようなことはあまりしなくなった。アパレルブランドを上手く展開するのが困難に思えたからだろう。

 

だったら、ということで倒産したアパレルの残党は、裏方に回ることにして、OEM業者・ODM業者・振り屋を立ち上げるようになった。

この傾向は2000年代に入って一層強まった。

その頃になると倒産したアパレルの残党だけではなく、著名なアパレルを退職独立した人たちもOEM業を立ち上げることが増えた。

いずれも、生産背景をある程度知っている人ということが前提だが、自分が培った生産背景を活かして、現在好調なブランドのOEM生産を受注するというビジネススタイルである。

 

実際に当方が現在面識のあるOEM業者や振り屋的な人で、三陽商会出身とかワールド出身、TSI出身という人は珍しくない。

 

じゃあそういう業者の人たちはビジネス的に成功しているのか?と問われると、これまた過当競争で厳しい環境にある人が多いという印象だ。

さらに言えば、彼らが仕事を受注したいと思えるような好調なアパレルは数が少ない。その少ない数の好調アパレルに向かって増え続けるOEM業者がワンサカと押し寄せる構図である。

好調アパレルからすると、OEM業者は選び放題であり、値段も叩き放題である。

 

うちの提示した値段を呑めないのなら、その値段でもやりたいという業者はほかにもいるんだよ

 

極端に言えばそういうことである。

 

もちろん、そんなパワーゲームばかりではないが、わかりやすく説明するとそういうことになる。

 

そして、この手のOEM業者・振り屋的な中間業者は、アパレル出身者ばかりではない。生地メーカー出身者とか商社出身者も多く参入している。

生地工場出身の中間業者である山本晴邦さんはこんなツイートをしている。

 

 

アパレル出身の中間業者、生地工場出身の中間業者、生地問屋出身の中間業者、商社出身の中間業者、縫製工場出身の中間業者、と言う具合に一口に中間業者と言っても、その出自も機能もまちまちで、繊維産業、衣料品業界がビジネス的に苦戦すればするほど各方面から独立した中間業者が増え続けるといえる。

 

 

まあ、そんなわけで、近々廃業が正式に発表されるだろう某レディースアパレルからも幾多の中間業者が生まれることになるだろうし、新型コロナショックが引き金となって経営破綻した、これから経営破綻するアパレルからも中間業者は生まれ続けることになるだろう。

過当競争はますます強まるだろうから、中間業者として勝ち抜くのはさらに厳しい状況になるだろう。

そして、国内から衣料品製造に関する中間業者がなくなることはないと考えらる。

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 comment
  • 読者 より: 2020/07/04(土) 7:40 AM

    つ、ついにアース社が!?(ゴクリ…)

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