「数字のマジック」の踊らされるな
2020年3月25日 考察 1
今回はちょっと趣向を変えて、数字のマジックについて考えてみたいと思う。
「○○がバカ売れした!」なんていう体感だけでは、政策は決められない。それがどれだけ売れたのかを数字として弾き出さないと意味がない。
しかし、この「数字」も曲者で、いかようにも印象操作が可能なので、気を付けねばならない。
特に煽り体質のメディアとか詐欺コンサルなんかは「数字」を恣意的に使って印象操作をする。
例えば、こんな疑問を抱いたことはないだろうか?
衣料品の国産比率は3%未満(現在、2・7%前後のはず)なのに、店頭ではけっこう日本製の服が並んでいる。
と。
もちろん、中国製やバングラデシュ製、アセアン製に比べれば少ないが、滅多に見られない幻の製品というわけでもない。
ライトオンに行けば、日本製のエドウインのジーンズが壁面に積み上げられている。
まず、この国産比率3%というところだが何を基準とした3%なのかというと、数量ベースである。
枚数として3%で、97%の枚数は海外生産だということになる。100枚中3枚が国産だということになって、比率としてはたしかに少ない。
さらにいえば、日本の縫製工場は毎年何軒か確実に倒産・廃業しているから、減る要素はあっても増える要素はない。
だが、分母となる衣料品の総数量が増えれば、どうだろうか。
年間の衣料品の国内流通総数はだいたい37億点くらいだと統計で出されている。ピーク時には41億点~42億点くらいあったとされているが、3年くらい前から少し減った。
37億点だとしても、20年前に比べると約二倍(正確には1・8倍くらい)になっているから、高止まりしているといえる。
そうすると、仮に37億点だとして、その3%が国産ということになれば、単純に計算すると1億枚以上は国産品だということになる。
1億枚が国内で作られているわけだから、そりゃ、そこそこに「日本製衣料」を見かけるということになる。
数量ベースで国産衣料品比率が下がった理由は1つにはメディアで言われるように縫製工場の倒産・廃業が増えたということになるが、別の理由としては
1、衣料品の国内流通総数量が増えた
2、増えた総数量のほとんどが海外生産によるもの
という2つが考えられる。
分母が大きくなり、その分母のほとんどが海外生産だから、相対的に国産衣料品比率は下がる。仮に国内生産数量が横ばいだったとしても%は下がる。
おわかりだろうか?国産衣料品が危機に瀕しているという事実を否定したいわけではないが、「3%」という数字だけを鵜呑みにするのも危険だということである。
1億枚という数量は決して少ない数字ではない。また分母の増減によっても比率は変わってくる。
ちなみに金額ベースで見た場合、国産衣料品比率は25%弱あるといわれ、縫製工賃の低さが叫ばれる中、それでも国産衣料品はアジア製に比べて高値で取引されているということになる。
またこんな報道もよくあるし、それを似非コンサルが流用する場合もある。
売上高10億円くらいの小規模アパレルが、売上高を2億円伸ばすと「20%増」ということになる。アパレル業界において2桁%の増収は珍しいからこれはニュースになりやすい。
メディアはそろって「20%増と好調」と絶対に書く。
しかし、金額ベースで見ると、10億円が12億円になった程度で、実はさほど増えてはいない。
一方、ユニクロは国内売上高が1%伸びたとしても「伸び悩み」「停滞」と書かれて、アホな投資家や経営者はそれに釣られてしまう。
しかし、ユニクロの国内売上高は8700億円あるので、1%の増収としても87億円である。今時、年間87億円も増収できるアパレルブランドはほとんどない。
分母が大きくなればなるほど伸び率は鈍化しやすい。
分母が小さければ小さいほど少し増えただけでも伸び率は急激になる。また前年実績が悪ければ悪いほど、少し業績が回復した程度に過ぎなくても伸び率だけは高くなる。
よく、2010年の我が国のGDPの伸び率が高くて民主党政権の唯一の免罪符のように語る自称識者がいるが、2009年はリーマン・ショックでGDPが激減しており、それが翌年少し回復したのだから伸び率が高くなるのは当たり前である。
我が国のコロナショックは3月に入ってから本格化したが、そのコロナの報道とて疑問の連続である。
ちょっとこのブログの本来の趣旨からは外れるがこんな記事が掲載されたので見てみよう。
https://diamond.jp/articles/-/232629
3月12日、「アメリカで新型コロナウイルス対策の陣頭指揮を執る専門家が、ウイルス感染による死亡率について『インフルエンザの10倍』とする分析結果を明らかにしました」というニュースが、テレビやネットでがんがん流された。
この分析は、季節性インフルエンザの致死率が0.1%なのに対して、新型コロナウイルスの致死率は1%(WHOはおよそ3%としているが、感染していても、無症状であるために検査を受けていない人が多数いるであろうことに鑑みた数字)であるという推定に基づいて算出されたものなのだが、「この発言をどう捉えたらいいのか」という解説は一切ないままだったから、多くの視聴者は、ただひたすら「コロナは怖い。インフルエンザの10倍も死ぬんだ」と恐怖心を新たにしただけだったのではないだろうか。
とある。
致死率1%というのと、致死率10倍というのではどちらが危機感を無駄に煽るだろうか?
致死率1%と聞くと、割合としてはそれほど高くないことは即座に理解できるが、10倍と聞くとどうだろうか?凄まじい致死率だと多くの人は感じる。
0・1%が1%に増えても「10倍」である。たしかに10倍は事実だが、0・1%と1%の比較(どちらも低い)であるということがわかればパニックになることはない。
今回は趣旨に外れたことも書いたが「数字のマジック」はどの分野でも至るところで見られるから、受け取り側は冷静になって一旦自分の頭で計算してみることが必要だということである。
10%増とか10倍とかそういう「数字のマジック」に踊らされては物事の実態は見えなくなる。
そんなエドウインの7000円の日本製ジーンズをどうぞ~
当たり前の話ですが,アパレル業界に限らず,経済を語りたいなら数字に強くグラフが正しく読めないとダメですよね。
しかし経験上どうやら僕を含めて世の中大多数の人間は数字に弱いように思われる。しかもいわゆるエコノミストやコンサルのたぐいはむしろ数字やグラフの解釈を捻じ曲げてものを言う人の方がほとんどである。言葉の正しくない使い方を敢えてすれば「はじめに結論ありき」で,「不景気なのは,服が売れないのは消費税のせいだ」などと。
これに社会学者が「わたしたちにはもうお洒落は必要ない。お洒落嫌いの時代」などと妄言を吐いてさらに話をややこしくしたりする。典型的な「すっぱい葡萄の論理」。「ダサいな,お前w」 と嗤われても平然としていられるような人間が世の中どこにどれほどいると言うのだろう? 典型的な ”すっぱい葡萄の論理” で「 まったくもう,勘弁してくれ」ですね。