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南充浩 オフィシャルブログ

制服メーカー、サンリット産業はどこで選択を誤ったのか?

2019年12月24日 企業研究 0

実際の市場規模の推移は別として、ワークマンへの注目を契機として、最近ほどワーキングユニフォームという商品が脚光を浴びたことはなかっただろうと思う。

多くのメディアとファッソン業界人はワークマン一辺倒だが、好調なのはなにもワークマンだけではない。

メーカーとしてはバートルが伸びている。もともとクロカメ被服という社名の地味なワーキングユニフォームメーカーだったが、代替わりを契機に社名をバートルに変え、製造している商品デザインも今風に変えたところ、来期はついに売上高100億円を突破する勢いである。

またスポーツウェアブランドもアシックス、プーマ、ディアドラなどが安全靴でワーキング業界に参入し始めているし、創業以来なにかと当方を頼ってくれている「ブルーモンスタークロージング(BMC)」ブランドを企画製造販売しているブリッツワークスもカジュアルからワーキングウェア業界に参入し、両方合計で卸売り先が400店舗を越えるまでに増えている。

 

そんなワーキングが盛り上がりを見せているユニフォーム業界において、今年10月にサンリット産業というかつての大手制服メーカーが倒産した。負債総額は33億円だったという。

衣料品業界全体からすると非常に地味なニュースだが、当方は驚いた。なぜなら、この会社は2000年頃、ワーキングに限らず地味なユニフォーム業界にあって、革新的な経営としてメディアに頻繁に登場していたからだ。

たしか、サンデープロジェクトというテレビ番組にも創業社長は何度か登場していたし、この創業社長は大阪商工会議所の副会頭も務めていた。

2000年代半ばまでは、ユニフォーム業界ではそれほどの著名企業だった。

 

繊維ニュースという業界新聞があるが、ここがワーキングも含めたユニフォーム業界にはめちゃくちゃ強い。多分、メディアとしてはナンバーワンではないかと思う。そこが2000年前後は頻繁にサンリット産業を特集していた。

 

だから、サンリット産業の倒産の報道を見たときにはちょっと驚いてしまった。もちろん、当方のサンリット産業への知識は2005年ごろで止まっている。その後、どういう経緯を経たのかは知らない。

それがこの記事を読んで倒産した経緯に納得できた。

 

「サンリット産業 先代の積極投資が経営の重荷に
2代目はユニホーム市場の縮小に耐え切れず」

https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19nv/120500136/121100022/

 

90年代に入ってからも俊二会長は経営手腕を次々と発揮していく。マーケット分析に長け、最新テクノロジーへの投資にも余念がなかったという。

その一例として、カスタム制服の多品種少量生産に対応する新規事業に参入。コンピューターでデザインをして、製造までできる「F&Tスタジオ」という部門を91年に創設した。「バブル期に、大阪市内の一等地にある本社を担保に融資を受け、多額の投資をしたといわれる」(業界紙の記者)。

また01年には、体のサイズをセンサーで計測して、オーダーメードの制服を製造できる「SUBO」を共同開発により実用化する。人手を使わずにサイズを測定し、注文に対応する仕組みを、どのメーカーよりも先取りして実現した。

 

という先進テクノロジーの取り込みぶりである。これらがいずれも90年代から2001年にかけての取り組みだから、2019年のそこら辺のアホなアパレルブランドよりよほどIT化が進んでいる。

某ネット通販会社のサイズ計測のナンタラスーツに熱狂していた騒ぎ屋が多かったが、すでにサンリット産業は01年に計測システムを導入しているという先進ぶりである。まあ、それは制服のみへの適応だったが。

 

しかし、この先進性とそこへの投資がアダになっていく。

92年に売上高78億円でピークに達したあとは、徐々に売上高が減り続けていたそうだ。

 

サンリット産業の蹉跌は、官公庁への制服の納入に力を入れ始めたことにあるらしい。

 

しかし、官公庁の仕事は受注額が大きい代わりに、発注元の担当者の異動による仕様変更などが頻繁に起こり、手間がかかる。こうした要求に対応するためか、サンリット産業は一時、国内に6つの自社工場を抱えていた。

あるユニフォームメーカーの代表は、「官公庁からの受注は、自社の与信が高まる一方で、利益は薄い慈善的な事業という面がある。量は稼げるがコストがかかり、受注が増えても利益を伸ばしにくい市場だ」という。

 

担当者の異動で仕様が変更されるのは何も制服に限ったことではない。官公庁に携わるあらゆるビジネスは担当者の異動でその都度一新されてしまう。これはまあ、百貨店にも似たような部分はある。担当者が異動すれば取引先も変わることがままある。ということは百貨店は官公庁体質だということだろうか(笑)。

そしてここからは縮小の一途をたどる。

 

08年に二代目社長が就任したが、代表権を一人で持つようになったのは14年からのことだそうだ。

そして気の毒なことに二代目社長が就任した08年当時はすでに売上高がかなり減っており、2017年には10億円を割り込むまでに低下している。

92年のピーク時からすると10分の1程度にまで縮小してしまっていることになる。

見出しには「2代目はユニホーム市場の縮小に耐え切れず」と書かれてあるが、2代目社長が耐えきれなかったのは市場の縮小ではなく、自社の売上高激減であり、すでに就任した時点でかなり規模が縮小していた。ここから盛り返すのは凡人経営者では無理だろう。

 

先進性とそこへの積極投資というのはビジネスの教科書に掲載されてもおかしくないほどの成功事例だが、売り先の選択を誤ることによって会社はつぶれてしまった。経営戦略というのはそれほどに難しいということである。目先の確実な利益が必ず好結果を生み続けるわけではない。そのあたりは人間では洞察できないが、「絶対」ということはあり得ないということを頭の片隅に置いておく必要はあるだろう。その心構えがあるのとないのとでは大違いになる。

 

 

 

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