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南充浩 オフィシャルブログ

強みが弱みに転じる時

2019年12月23日 企業研究 1

若い世代の人は、バブルが崩壊してすぐさま不景気感が強まったと思っておられる人も少なくないと思うが、実際のところはバブル崩壊直後の92年とか93年はそこまで不景気感は強くなかった。

これは当方がその当時22歳とか23歳なので、企業の上層部の雰囲気を知らないから、そう思うだけかもしれないが、親や親戚、アルバイト先なんかの反応を見ていてもそこまで不景気感満載ではなかった。

急速に危機感が強まったのは97年の山一證券と北海道拓殖銀行の倒産からで、そこから世間一般的にも不景気感が強く漂うようになった。

このあと、ダイエー、マイカルの倒産、そごうの経営破綻などが続いた。2000年頃のことだ。

 

先日、そごう破綻の経緯をまとめた記事があって、改めてためになった。

 

そごうの栄枯盛衰に見る絶対強者に生じる綻び
堅牢なビジネスモデルが逆に企業を危うくする

https://toyokeizai.net/articles/-/319453

 

2000年当時、すでに繊維業界紙の記者になっていた当方だが、正直なところ、そごう破綻の原因は会見に出席しても他紙の記事を読んでもよく理解できなかった。

もちろん、負債が多すぎたとか利益が減ったとかそういう目先の理由は理解していたが、その遠因は理解できなかった。

当方にとっては見ず知らずの水島会長とやらが独裁していたとか、そんな話は知っていたが、ワンマン経営者なんて他社にも掃いて捨てるほどいるから、ワンマン経営者という存在自体が悪というわけではないことは、常識的に考えればわかる。

そごうはどうして巨額の負債を抱えるに至ったのか、この記事にはそれがまとめられており、そこが参考になった。

 

行き詰まった水島社長は、そのときに千葉そごうを独立法人化して出店するという奇策を思いつきます。
地域密着の法人が出店することによって、現地の雇用も増やし、そして本店に与えるリスクも軽減できる一石二鳥の施策。水島氏はその人脈を生かして出資者を集め、独立法人化した千葉そごうをスタートさせました。この戦略は大きく当たり、千葉そごうは1967年の出店から毎年想定以上の売り上げを積み上げ、短期間で出店コストを回収します。

この「百貨店のチェーン化」とも言うべき独立法人化に可能性を見出した水島社長は、その後も松山(71年)、柏(73年)、広島(74年)、札幌(78年)、木更津(78年)、黒崎(79年)、船橋(81年)というように日本全国で出店を加速します。

 

とのことで、現在では多くのチェーン店は一部の例外を除いて、本社が直接管理しているか、フランチャイズ運営かである。

特にこの20年間で成長したチェーン店では、地方店が独立会社であるということはあまり聞いたことがない。

しかし、そごうは各地に支店を持っていたが、これがすべて独立法人化だったということである。

独立法人にすれば本社の様々な負担は減るが、各支店は独立しており、チェック機能が働かない。言ってみれば、各店は個々で好きなことができてしまう。もちろん財務面でも。

 

例えば、千葉そごうが軌道に乗ると、今度は千葉そごうが出資して、柏そごうを設立。さらに柏そごうと千葉そごうが共同で札幌そごうなどに出資するという形です。地価が上がっていれば、担保によって銀行から新たな資金を調達することができ、そうして新しい店舗を広げていったのです。

しかし、このサイクルはいくつかの重大な問題をはらんでいます。

1つ目は、そごうの独立法人同士が支え合う複雑な形になっていたため、経営の内情がブラックボックスになること。これに水島社長のカリスマ性が合わさって、誰もグループ全体の経営状況を把握できない状況になりました。
資金の貸し手である銀行も、そして当の水島社長ですら、正確な全体像を把握していなかったといわれています。各社ともに独立法人であったために、人的交流もなく、数字の基準もバラバラな状態が放置されていました。恐ろしい規模のどんぶり勘定が許されてしまっていたのです。

 

とのことで、この辺りは地価が右肩上がりだった時代ならではのスキームだといえる。

個々の店舗の自由度は高く、好調時にはそれも強みだったのだろうが、バブルが弾けてしまうと、まとまりのなさとどんぶり勘定が一気に弱みとして噴出してしまう。

また地価の減少による負債の増大というのも後段に書かれてある。

地価が上昇し続けている局面ではこの出店方法は強かったが、地価が下がり続けると負債は増大する。強みと弱みはいつも表裏一体なのである。

とくに「誰もグループ全体の経営状況を把握できない状況」というのは、今から思えば潰れても当然だといえる。

 

この記事の趣旨は「堅牢なビジネスモデルが逆に企業を危うくする」で、強みは時として弱みに転じるということが言いたかったのだろうと思うが、決して「堅牢」ではないよなとも思う。

しかし、勝ちパターンがいつの間にか負けパターンに転じているというのは本当に数多くある。アパレル業界も同様で、「トレンド追随主義」「他社の売れ筋模倣主義」が今の店頭同質化の一因となっている。

店頭が同質化すれば、価格競争は起こりやすい。定価を安くする企業も現れるし、売れないから徹底値下げする企業も現れる。

しかし、バブル崩壊までや、2005年頃まではこの方式でもそこそこに服は売れた。

なぜなら、109ブームや神戸エレガンスブームなどの時には、この追随主義と売れ筋模倣主義がそれなりに効果があったからだ。この2つのブームに限らず、レーヨンジーンズブーム、ビンテージジーンズブームだって商品が違っただけで各社がやっていたことは同じだった。

 

今となってはこの方式が逆にアパレルブランドの商品消化率を下げているし、価格競争を激化させている。

かつての勝ちパターンは本当に今でも通用するのかどうかを経営者は常に考えなくてはならない。それができていないアパレル企業が多く、苦しんでいる大手アパレルのほとんどはそれだといえる。

 

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 comment
  • 夜の男 より: 2019/12/25(水) 9:24 PM

    初めまして、内容を拝見しました。

    >勝ちパターンがいつの間にか負けパターンに転じている

    先日の有馬記念で、ファン投票並びに単勝式馬券断トツのトップに推された「アーモンドアイ」が9着に大敗した場面を思い出しました。
    これに重なるのが、現在の断トツアパレル「ユニクロ」の急降下があるのではないかと考えました。

    まず、プレジデントのサイトにあった書評記事
    「ユニクロが恐れる次に絶対来る”激安ブランド” 」
    https://president.jp/articles/-/30065?page=2

    記事ではイギリスの「プライマーク」に触れられていますが、詳細は不明です。
    しかし、「プライマーク」を検索すると、「ユニクロ」同様他社などとのコラボ商品を数多く出しており、日本に進出した場合は強敵になる可能性はありましょう。

    もう1点、日経サイトに
    「僕はユニクロじゃない」藤原ヒロシ、ブルガリと組む
    https://style.nikkei.com/article/DGXMZO45884910Q9A610C1000000?channel=DF260920172950&page=3

    >僕はユニクロを1回も買ったことがないし、着たこともありません。興味がない。自分の中ではユニクロはもう一生買わないようにしようと決めたんですね。

    こういう記事を見ると、「ユニクロ」が「アーモンドアイ」の如く、突如急降下する事態も念頭に置かないといけないと思います。

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