物作りの指示さえしないという謎のオリジナルブランドの出現
2019年10月1日 トレンド 0
今の20代の人は物心ついた時から携帯電話があるという生活を送っていると思う。
当方が携帯電話を持ち始めたのは98年とか99年だったと思う。当時使っていたのはPHSだった。どうしてPHSだったかというと携帯電話より料金が安かったからだ。
料金が安いPHSが廃れて携帯電話が主流を占めたのは本当に理解できなかった。当時はそれくらい携帯電話が目新しく、多少の料金の安さよりは、新規性とか発展性を求める人が多かったのではないかと思う。
PHSが廃れてきたので2003年か2004年に携帯電話に変えた。
Eメールが職場に導入されたのは1999年のことだった。
翌年の2000年にインターネットなるものが導入された。
デジカメが職場に導入されたのも2000年前後だ。
49歳の当方にとっては、携帯電話もEメールもインターネットもデジカメも比較的新しい道具なのである。
まあ、しかし、そちら方面の技術の進歩は目覚ましいものがあって、インターネットのおかげでいろいろと新しい商流ができた。
今、インスタグラムやツイッターなどでフォロワーを多数抱えている人をインフルエンサーと呼ぶ。ちなみにインフルエンザと語源は同じである。
このインフルエンサーはフォロワーが多いから、フォロワーに物を売れば、スモールビジネスとしては成り立つ。
だからインフルエンサーが洋服ブランドを雨後の筍のごとく立ち上げている。ただし、当方は彼ら・彼女らにまったく興味がない。
SNSが普及する前は、読者モデル通称「読モ」がこの役割を担っていた。
読者なのかモデルなのかはっきりしろよと思ってしまうネーミングなのだが、まあ、読者代表モデルという風に考えればわかりやすいのではないかと思う。
ただし、当方は彼女らにもまったく興味がなかった。
インフルエンサーの隆盛で、最近は読モという言葉すら聞かなくなった。読モたちは今どうしているのだろうか。
読モがそろそろハウスマヌカン並みの懐かしい言葉になりつつあるのではないかと思う。
さて、インフルエンサーブランドがちょくちょくと韓国の東大門市場や中国の広州市場で買ってきた商品そのままで、タグだけ付け替えて「オリジナルブランドです」として販売しているのがバレて叩かれるケースが出てきた。
最近だとあんまりよく知らない人だが、K(仮名)という女性インフルエンサーが叩かれていて、画像を見るとたしかに韓国ブランドをそのまま使っている。
SNSの隆盛で、D2Cという売り方?のブランドが現れた。
単なるインターネット通販だと思うのだが、名称を変えることでなんだか新しさを感じる人が多いのはまことに馬鹿馬鹿しいことだと思う。
もともとのD2Cブランドというのは、小資本のオリジナルブランドが、コスト削減のために実店舗出店ではなく、インターネット通販を始めたことにある。
実店舗を1店舗出店するには、場所や大きさ、内装・外装の凝り具合などによって価格は大きく左右されるが、どんなに少なく見積もっても500万円くらいは要るだろう。
二人組の若者がやろうと思うとかなり借金をせねば難しい。おまけに商品製作費や交通費、維持費などがそこにプラスオンされるから1000万円くらいないとスタートすらできないだろう。
しかし、インターネット通販なら店舗準備代500万円の何分の1かで開設できる。
だから、インターネット通販から始めるというのは理にかなっていた。
これまで下請けに甘んじていた縫製工場や織布工場がオリジナルブランド販売に乗り出せる下地にもなった。
しかし、蓋を開けてみれば、インフルエンサーのお手軽ブランドがD2Cを名乗って、混沌としてきている。
インフルエンサーブランドの多くは、先ほども書いたように韓国・東大門市場や中国・広州市場で買ってきた商品のタグを付け替えただけというものが珍しくない。
ダイレクトトゥコンシューマーがD2Cのはずだが、まったくダイレクトではない。単なる中間業者である。
D2Cを名乗っているインフルエンサー自身が中間業者になっているという状況にある。
先に述べた携帯電話、インターネット、Eメール、デジカメの普及によって、洋服作りのハードルは格段に下がった。
アパレル業界の参入障壁は元々低かった。デザイナーになるにしても何の資格も免許も要らない。名刺に「デザイナー」と書けば明日からデザイナーになれる。仕事があるかどうかは知らないが。
2002年か2003年ごろ、すでにアパレル企業の企画部門は、どこかで見かけた商品をデジカメ撮影し、それをメールに添付して工場に送って「これっぽいのを作ってください」と指示をするだけになっていた。
ちょうどその頃、児島の洗い加工場を取材していたのだが、その工場の社長に「今朝、某アパレルからこんなメールが送られてきたよ」と見せられたことがある。
そこには、どこかの店頭か展示会で撮影されたジーンズの画像が添付されていて、「こんな感じで加工してくださーい」というメッセージが添えられていた。
アパレル業界には80年代後半くらいからボツボツとOEM・ODM業者が現れ始めた。
そのころにサンエーインター(現TSI)のデザイナーをしていたという某社長は
「ある日、上司がOEM屋さんを連れてきて、今後何型かはこちらの業者さんに企画から製造まで手掛けてもらうことにする」
と言われたという。
そして、月日が経つ事に、OEM屋が手掛ける型数がどんどん増えて行って、いつの間にか、ほとんどの型数をその業者が手掛け、デザイナーは指示するだけになってしまったとその社長は振り返っていた。
アパレル不況となって、デザイナーやパタンナーがリストラされるとその人たちが続々とOEM・ODM会社を作ったため、その手の会社が業界に溢れかえることになった。
この人たちに頼めば、どんなド素人でもオリジナル商品が作れるようになり、業界の参入障壁はさらに下がった。
夜霧に消えた読モちゃんたちが簡単にオリジナルブランドを立ち上げることができたのは、これによるところが大きい。
しかし、OEM業者を使うには「こんな感じで提案してほしい」というサジェスチョンが多くの場合で必要になる。例えば「ディーゼル風のジーンズ」とか「今秋冬のグッチみたいなセーター」とかこのレベルの指示は必要になる。
そう、物作りという意味では現在のインフルエンサーD2Cブランドよりは紙一重でマシだったといえる。
どこかの市場で並んでいた商品を買ってきて、それのタグを付け替えてオリジナルブランドを名乗るというのは、インターネットの普及の賜物であり、参入障壁は無いに等しい状態になったということになる。指示すらせずにオリジナルブランドが名乗れるという状況にある。
SNSが普及しているからこそパクリがバレて叩かれるが、人間は基本的に楽をしたい動物なので、今後この流れがさらに強まることはあっても廃れることはないと考えられる。
韓国商品も中国商品も陳腐化すれば、経済成長が見込まれる東南アジア諸国やインド当たりで買い付けてきた商品のタグを付け替えることになるのではないかと個人的には見ている。
本気で作っている人や工場はそれに負けないように発信すべきだと思うが、個人的には、その巧妙な売り方・見せ方を見習うべきだと思う。
結局のところ、物作りにこだわったところで売り方・見せ方が悪ければ全く売れないし、売り方・見せ方さえ良ければ、そこらのナンタラ門市場とかナンタラ州市場で買ってきた商品のタグを付け替えただけの商品がそれなりに売れて何億円くらいのスモールビジネスなら成立してしまうというのが実態である。(こんな小手先手法が長続きするかどうかは知らないが)
物作りの指示さえしないという謎のD2Cブランド群の隆盛こそ、売り方・見せ方がいかに重要なのかということを物語っているといえる。
物作りにこだわっている人、ブランド、工場にはこの手の「なんちゃってD2Cブランド」「お手軽インフルエンサーブランド」を駆逐できるほど成功してほしいと願ってやまない。
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