綿信仰と洗い加工の発達
2013年3月18日 未分類 0
日本のデニム生地は高感度という評価がある。
しかし、海外で日本のデニム生地の評価が高まったのは90年代からのことで、非常にここ最近の話である。
先日来よりジーンズの歴史を改めて調べていると、デニム生地の国産化に成功したのは1970年代である。
63年ごろに国産ジーンズ第1号の「キャントン」が開発されているが、デニム生地はアメリカからの輸入だった。
若い人たちにとって90年代というのは昔のことなのだろうが、40歳を越えたオッサンからするとつい昨日のことのようである。
最近の雑誌などを読んでいると、デニム生地はあたかも日本の伝統産業のような書き方をされていることがあるが、何のことはない70年代から登場した新参者である。
ちなみに有名なアメリカのデニム生地メーカー、コーンミルズ社は2003年に一度倒産している。
それほどにアメリカにおけるデニム生地製造は斜陽産業だということになる。
以前にも書いたように、繊維流通研究会発行の「ジーンズハンドブック」を読み直していると、面白い箇所があった。
戦時中の統制下では物資節約のために、スフ(ステープルファイバー)や人絹(レーヨン)などの合成繊維が30%配合された織物しかなかった。
だから、戦後はその反動で「綿100%」や「ウール100%」素材への渇望とあこがれがあった。
とのことである。
50歳代以上の男性には根強い「綿信仰」がある。
普及の順で見ると、形態安定ワイシャツ、吸水速乾素材配合のポロシャツやTシャツがあり、続いて機能性肌着が登場した。
後発の機能性肌着はさておき、形態安定加工ワイシャツや吸水ポロシャツに拒否反応を示す50代以上の男性は多い。
形態安定加工ワイシャツにも吸水ポロシャツにも通常ポリエステルが配合されている。
形態安定加工ワイシャツに対しては「通気性が悪く暑い」という評価をよく耳にする。
また、吸水ポロシャツに対しては「夏は普通にしていても汗をかくのでわざわざ吸水速乾する必要がない」という声も聞いたことがある。
筆者は自分で形態安定加工ワイシャツを着てみたが、それほど通気性が悪かったという印象はない。
また汗っかきなので吸水速乾ポロシャツはありがたい機能だった。
一般消費者ではなく、アパレル業界に籍を置く方々からの意見なので、この年代の「綿信仰」は想像以上である。
暑い寒いというのは体感なので、個々人が違う感じ方をするのも当然だ。多くの人が暖かいと評価するヒートテックだが筆者はそれほど暖かいとは感じない。
最近、この「綿信仰」は戦後の綿100%へのあこがれをそのまま引きずっているのではないかと、ふと思った。
ジーンズに洗い加工を施してから販売するようになったのも、日本が最初だ。
日本に終戦後もたらされたジーンズは米軍からの中古衣料だった。
中古ジーンズということは、すでに穿きこんでクタクタになっている。
日本人が最初に親しんだジーンズはクタクタの中古ジーンズである。
その後、アメリカから新品のジーンズが輸入されるようになるが、ある意味で大雑把な当時のアメリカ人はジーンズに洗い加工を施してから販売するなどというような面倒なことはしない。
当然、糊が着いたままのノンウォッシュで販売する。
中古ジーンズに親しんでいた日本人にはそれは「固くて穿きづらい」と感じられた。そこで日本人は洗い加工で糊を落としてからジーンズを販売することにした。これが洗い加工業の原点であり、日本で洗い加工が発達した理由である。
綿信仰と洗い加工の発達の両方に共通するのは、戦後という原体験である。
この2つが根強い理由は原体験に基づいているからではないだろうか。
「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものである。