儲からない産業が廃れるのは当然
2019年3月12日 産地 0
基本的に我が国は、古い文物を残す習性に長けていると思う。
正倉院には、中華では絶滅してしまった阮咸琵琶が保存されているし、中華発祥で、かの地ではなくなってしまった雅楽も今だに存続している。
現在、洋装向けの生地製造・加工業、縫製業では高齢化と後継者不足から、今後、倒産・廃業が相次ぎ、一部技術の継承が途絶える可能性が高い。
当方も日本人であるから、当然、そのことをもったいないなと思うし、何とか継承できないものかと思うが、同時に必要のなくなった技術は廃れても当然だとも思う。
人間は相矛盾する事柄を同時に獲得することはできないから、どちらか一つを手放すには覚悟が必要となる。
個人的には、経済的に立ち行かないなら、技術継承は諦める覚悟を持つべきだと思う。
ちょっと、過去の当ブログから引用する。
約2年前のエントリーである。
書式の違うブログを移設したので、今よりは読みにくいと思うがご容赦を。
「幻の葛細工」が消えた意外な理由
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakaatsuo/20161028-00063774/
元の記事はこちらだ。
滋賀県甲賀地方の水口には「水口細工」という葛細工があった。
江戸期、明治期を通して一大産業で、戦後もそれなりの需要があったのだが昭和40年代に突然姿を消してしまい、その製法すらわからなくなってしまったのだという。
元記事にはこんなふうに紹介されている。
幕末には年間7万点以上の生産が行われたというほど、水口の一大産業となっていたのである。
また明治になると海外輸出が企てられ、欧米で大層な人気を呼んだ。当時の新聞にはアメリカやヨーロッパ、オーストラリアなどから、一度に数万点もの注文が入った記録もあり、町挙げて生産に取り組んだという。そのため生産の会社化も行われたほどだ。
商品も、帽子やキャンディボックス、イースターエッグ箱など洋風化させてバラエティに富み、色も鮮やかな品も作られるようになるなど、時流に合わせた商品開発も盛んだった。戦後もそれは引き継がれた。
とのことで、伝統産業によくありがちな商品のアップデートを怠ったわけではない。
十年一日どころか百年一日で、作る商品を変えない伝統産業は今でも数多くあるが、こちらは時流に合わせた商材も開発し、それが戦後にまで引き継がれている。
どこぞの頑迷固陋な生地産地よりよほど柔軟といえる。
だが、昭和40年代に突然消えてしまった。何が原因なのだろうか。
しかし昭和40年代になると、いきなり姿を消し、その製作方法までも謎になってしまった。材料も加工法もわからなくなったのだ。
伝統工芸と言っても、需要がなくなれば消えざるを得ない。しかし水口細工は、戦後も人気で輸出商品だった。だが、肝心の職人たちが姿を消すのである。材料を調達したり繊維を取り出す加工、そして自在な形に編み上げた人々が生産を止めてしまったのだ。
実は高度経済成長期に入ると、水口町周辺に多くの機械や電気の部品工場が進出した。そこへ水口細工の職人がこぞって転職したからだ。その背景に、水口細工づくりの工賃が安く、しかも注文に波があって職人の収入が安定しなかったことがある。その点、工場勤務は給料もそれなりによく、多くは月給制だった。
逆に水口細工そのものは、職人が激減したため注文に応えられなくなり、得意先を失う。土産物、贈答品等の需要はなければないで納まってしまう。
そうなると消滅は早い。しかも、あまりに日常の産業だったことや工程が分業制だったこともあり、製作技法はどこにも記録されていなかった。
とのことで、人々が給料の高い仕事に移るのは極めて当然のことである。
経済成長した現在の中華人民共和国で、生地工場や縫製工場の工員になる人が減っているといわれているが、それも当たり前で、楽にたくさん稼げる仕事があるなら、よほどの人を除いてはそちらに移る。わざわざ低賃金で苦労したいというマゾヒストはどの国にもそんなに多くは存在しない。我が国ももちろん同様である。
ここで気づくのは、作り手が(工賃や待遇で)報われなければ作り続けられないという当たり前のことだ。とくにほかに移る仕事がある場合は早い。どんなに人気の商品でも、作り手が逃げ出したら生産は滞るし、注文に応えられなければ代替品に取って代わられる。
これも極めて当然の結論でしかない。戦後直後までなら「葛細工」も「必要不可欠品」だっただろうが、戦後、さまざまな新素材が開発されれば、葛細工でなくても別に構わない。プラスチックのケースでも構わないし、プラスチックの板を編んだ籠でも構わない。低価格な代替品がいくらでも存在するようになったから、水口細工が突然消えても多くの日本人はまったく困らなかった。
例えば、草鞋の製法は今でも伝わっているが、産業としては成り立たないし、需要もほとんどゼロである。クッション性に優れた靴がさまざま開発されているご時世で、わざわざクッション性ゼロの草鞋を履いて生活している人なんていない。サンダルですらクッション性が高められている。
機能性や何かの点で劣った商品が使われなくなるのは当たり前でしかない。それでも残すならそれは資料的・博物館的に残すだけのことである。
現在、失われつつある繊維の技術も惜しくはあるが、それを残すのは資料的な意味合いしかないのではないかと思う。それは過去の文物すべてが今に引き継がれていないことから見ても、歴史的にはありふれたことだ。
繊維の技術だけを特別視しなくてはならない理由は何もない。
技術を残せと主張している工場や技術者がいるとするなら、自らをアップデートし「儲かる仕事」に変える必要がある。それができなければ、途絶えることは残念ではあるが、仕方のないことだと思う。
こんな本もどうぞ~