MENU

南充浩 オフィシャルブログ

大型倒産はあったが91年までは右肩上がりで成長してきたアパレル業界

2019年1月22日 回顧 0

アパレル市場規模がピーク時には15兆何千億円かあったということはよくしられている。今はだいたい9兆円強で毎年推移している。
で、この15兆何千億円かあったピーク時というのは1991年のことである。
先日、ご紹介したこのNOTEをもう一度引用する。
 

アパレル業で私が知ってる事 余談。ZOZOについての雑感。というか百貨店の凋落時のお話
https://note.mu/alex_t_m/n/n6d7951618cf7

 
この中にこんな一節がある。
 

それまでアパレル業界って不況を食らった経験がある人がほとんどいなかったみたいで、適切な対応を取れる人がいなかったんですよ。
 

バブル崩壊後のことを指している。
バブル崩壊は91年とか92年とか言われていて、当方は大学生だった。この著者もどうやら同年代くらいで大学生か就職直後くらいのことのようである。
91年にアパレル市場規模はピークだとされていて、それはちょうどバブル頂点もしくはバブル崩壊直後のこととなっている。
91年以前の市場統計はなかなか見つけられないから類推するしかないが、我が国のアパレル市場は景気の動向によって多少左右されたが、91年までは右肩上がりだったと考えられる。ちょうど80年代半ばごろからDC(デザイナーズキャラクター)ブランドブームが起きた。
当方は当時、中学生か高校生で、洋服には一切興味がなかったが、ニュースでは「〇〇ブランドのバーゲン開始に何百人が行列を作った」なんて報道されていた。数年前の「iPhone新作発売」みたいな感じだ。
そんなニュースを横目で眺めながら、当方は淡々と夕方にアニメを見て夕飯を食べて風呂に入って寝るという生活を繰り返していた。
 
 
91年以前にアパレルの大型倒産はなかったのかというとそうではない。有名なところだとヴァンヂャケットが1978年に破産宣告を受けている。早い話が倒産したということである。
負債総額は500億円だったと伝えられている。
78年というと当方はまだ8歳なのでこのニュースの記憶はないが、もし、今同じようなことが起きたとしたら「アパレル業界激震」とか「アパレルさらに凋落」なんて記事が連日書かれるだろうと思う。
しかし、推測でしかないが当時は「アパレル凋落」とか「アパレル衰退」という論調はなかったか少なかったのではないかと思う。
これ以外にもリップスターが経営不振に陥り、85年にジャヴァに吸収されているし、日本ハーフも倒産している。
当時、有名だったアパレルブランドも決して全社が無傷だったわけではない。
 
 
91年とか92年にはまだ学生だった当方からすると、実際の景気の深刻さはわかっておらず、戦後それまで何度かあった不景気と同様で5年か長くても10年くらいすれば持ち直すのではないかと思っていた。周りにいた大人たちの本心は今となってはわからないが、話していた言葉を思い返すと、多くの大人も当方とほぼ同様だったと考えている。
91年までのアパレル市場は有名企業が倒産しても、右肩上がりで業界全体は成長してきたといえ、その頃にすでに働いていたアパレル業界人の多くは、先のNOTEで書かれているように「深刻な不況を食らったことがなかった」と推測できる。ヴァンやリップスター、日本ハーフなどの経営破綻はあっただろうが、それは個々の企業の問題としてとらえられていたのではないかと思う。
もちろん、経営破綻した会社に在籍した人は深刻な体験をしただろうが、それとても同業他社に移籍すれば何とかなっただろうし、同業他社には今よりもはるかに移籍しやすかったのではないかと思う。なぜなら、業界全体は右肩上がりだから、顔見知りの営業マンの1人や2人を受け入れることに躊躇する必要もなかっただろう。
だとすると、91年だか92年だかにバブルが弾けたときに、これほど不況が長引くとは多くの業界人は考えなかっただろうし、長期間の不況に対して適切な処置がとれなかったというのも無理のないことだといえる。とはいえ、バブル崩壊から間を置かず、繊研新聞を除く繊維業界新聞は経営が悪化しており、不況の兆候は今から思うとあったといえる。
このバブル崩壊以降、有名アパレルの倒産・経営破綻が相次ぐ。
 
 
バブル期のDCブーム全盛期、大阪の地下街、なんばシティの人気はすさまじかった。地下二階のメンズフロアはビギやメルローズ、ゴルチエ、ニコルクラブなどのブランドがひしめきあっており、バーゲン初日には何百人もの行列ができた。90年代後半もまだその余韻はあった。
しかし、このブログでも以前に触れたが2年か3年前に改装され、地下二階からその手のブランドは一掃されてしまった。新しく地下二階に入店したのはユニクロ、ドラッグストア、シルバニアファミリー専門店、和雑貨店、手芸用品店などである。
DCブランドどころかユニクロ以外は洋服店ですらない。そして唯一導入された洋服はユニクロである。
 
デベロッパー側の判断が絶対的に正しかったのかどうか検証するすべはないが、このデベロッパー側の判断が時代の気分、消費者のニーズを表しているのではないかと思う。
もちろん、消費者のニーズを完全に表しているとはいわないが、少なくともデベロッパー側はこれが消費者のニーズだと考えているということである。そうでなくてはそんなリーシングをしない。
 
さてバブル崩壊から今年で27年が経過するが、アパレル業界は深刻な不況に適切に対処できるようになっただろうか?個人的には一部を除いてはそうできているようには思えない。90年代後半には「百貨店に出店すれば大丈夫」みたいな風潮があったし、それ以降も「SPAを展開すれば大丈夫」「ネット通販なら大丈夫」というようにそのときどきの「流行り物ツール」に飛びついては失敗することを繰り返している。アパレル業界には「特定のツールを使えば売れる」といまだに思っている人が多い。それも上層部に。
今度は「AI」である。「AIで需要予測すれば大丈夫」なんて平気で口走っている業界人も多いが、AIが「赤いケーブル編みセーター」と需要予測して、全ブランドが一斉にそれを発売したらどうなるのだろうか。いくつかのブランドは売れるが、その他大勢のブランドは売れずに過剰在庫を抱えることになる。結局のところPOSに過剰依存した失敗を繰り返すことになる。
「特定のツールを使えばアホでも売れる」なんてことはこの世の中には存在しない。ネット通販だってやり方が下手くそなら売れない。ネット通販で売れてないブランドなんて腐るほどあるよね(笑)。
POSだってデータの分析がダメなら効果を発揮しない。重要なことは「ツールを導入する」ことではなく、「どう使うか」を工夫することである。
 
今後、劇的に国内アパレル市場規模が増える可能性はほぼないから、より一層の工夫が必要になることは言うまでもない。「特定の流行り物ツール」を導入すれば売れたような幸せな時代は二度と戻ってこない。
 

久しぶりにNOTEの有料記事を更新しました~
「アパレルの簡単な潰し方」
https://note.mu/minami_mitsuhiro/n/n479cc88c67bf
 
 
【告知】2月7日に東京で有料のトークイベントを開催します
https://eventon.jp/15877/

 
 
93年のこんな本もどうぞ~

この記事をSNSでシェア

Message

CAPTCHA


南充浩 オフィシャルブログ

南充浩 オフィシャルブログ