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南充浩 オフィシャルブログ

人間が存在する限り「トレンド」は絶対になくならない

2018年10月31日 トレンド 0

現在、我々は洋服を着て生活しているが、洋服には流行(トレンド)がある。
流行のサイクルはさまざまで短期間のものもあれば長期間のものもある。東京23区内だけといったような局地的なものもあれば、全国に広がるものもある。当然、たくさんの枚数が売れるものもあるし、業界人が騒いだわりにはそんなに枚数が売れずに終わるものもある。
トレンドがあるから、衣料品は買い替え・買い足しが起こり、それなりの市場規模としてビジネスが成り立っている。
これに対して「反トレンド」を唱える人もおり、それがノームコアと結びついたが、笑えることにその「ノームコア」自体が「それなりの規模のトレンド」になってしまったのだから笑えない。
ノームコアの定義や解釈は幾通りかあるが、個人的にはそんなめんどくさいものには、まったく興味がないので触れない。
反トレンドみたいな人は、

トレンドはビジネス的に作り出されており、だからそんなものに左右されるのは心理的におもしろくない

というような主張だが、ビジネス的に作り出されている側面はあるにせよ、必ずしも衣料品業界や個々のブランドが作り出して完全にコントロールできているわけでもない。そんなことができるのだったら国内の衣料品市場は9兆円にまで縮んでいないだろうし、売れ残り商品をバーゲンで投げ売ることもないだろう。
なぜなら、トレンドを業界が作り出して、それによって消費者が業界の期待通りに動けば、衣料品消費は伸びるはずだし、売れ残り商品が発生するはずもない。
これは国内市場だけではなく各国市場ともに同じだろう。そんなことができるのだったらH&MもGAPも苦戦に陥っていない。
「トレンド支配論」は政治・経済分野で言われるような「陰謀論」に近いのではないかと感じられる。
洋服にはトレンドなんて必要ないとか、トレンドなんて気にする必要がないという言説に対しては、正直なところ疑問しかない。
ではかつての中国のように人民服的な制服を着用して生活することが彼らの理想なのかということになる。
しかし仮にそうだったとしても、人間は必ず他人との差異を求めずにはいられない動物である。たとえ、洋服以外の衣服でもトレンドは存在するし、歴史的にもトレンドは存在してきた。
以前にも書いたが、ローマ帝国時代は現在の洋服とはまったく異なる「トーガ」という衣服を身に着けていた。シーツを体に巻き付けて歩いているような感じである。
あんなものどれもこれも同じじゃないかと思うのだが、当時の人々はそうではなかったらしい。
塩野七生さんの「ローマ人の物語」にはトーガにもおしゃれな巻き付け方があったし、その時々で巻き付け方の流行もあったと書かれている。ユリウス・カエサルは頭はハゲかけていたが、トーガでローマ世界のファッションリーダーだったとも書かれてある。

 
 
 
また、洋服以外の現在の衣服でも人々はその差異を作って楽しんでいる。
日本製の「白い布」が中東の民族衣装用で大人気の理由

中東においてイスラム教の男性が身に着ける民族衣装「ガンドゥーラ」。それに使われる布をトーブというが、このトーブのうち、中・高級品のシェアはある日本企業がシェアの3割以上を押さえているという。

小松マテーレ(旧社名・小松精練)という企業が供給している。
トーブは必ず白色なのだが、その白が何百種類もある。一口に白と言っても、青っぽい白もあれば黄色っぽい白もある。

布の色は「白限定」だという点だ。
ガンドゥーラの中には何を着てもいいが、出歩くときは必ずガンドゥーラを着なくてはならない。そのため、男性たちは「白い布」の微妙な差異でおしゃれを楽しんでいるというのである。そのため、先に示した微妙な白い生地の違いも、敏感にわかるというわけである。

とのことで、日本人から見るとどれも同じような白い衣装にしか見えないわけだが、現地の人たちからすると白の微妙な差異にこだわっているようだ。まさしくローマ時代のトーガファッションと似たような感覚ではないかと思う。
日本の和装だって、トレンドはあるし、江戸時代だってトレンドは存在した。ちょんまげの月代の剃り方だってトレンドがあった。
これらの事実から考えると、たとえ洋服が廃止されて別の衣服に変わったところで、トレンドは絶対になくならないし、何百年経過したってトレンドは存在するということになる。
トレンド不要論・トレンド廃止論はまったく机上の空論でしかない。
もっとも、近年の国内衣料品市場を見ていると、トレンドが緩やかに感じる。2005年頃までの方が、トレンドの支配力は大きかったし、右へ倣え感も強かった。
97年当時に「アムラー」で盛り上がったような圧倒的な支配力は今の衣料品業界にはない。石原さとみさんが着用した服が売れやすいと言っても、「アムラー」みたいな名前は付けられないし、そういう人を多数見かけることはない。
これまでならあるトレンドが発生すると、それに反する商品は店頭からほぼなくなったし、メーカーも作らなくなった。
2005年頃のレディースジーンズはブーツカットしかなかったし、OLはほとんどがブーツカットジーンズかブーツカットパンツを穿いていた。
2008年からはスキニージーンズに変わった。このころに96年当時みたいなダボダボのビンテージジーンズを穿いているような人はいなかった。
これほどにトレンドは圧倒的だった。
しかし、今はどうか。ワイドパンツ・ビッグシルエットが普及したといっても、相変わらずスキニージーンズを穿いている人は相当数存在する。
また、東京23区ではエフォートレスファッションが流行したといっても、心斎橋筋商店街にはそんな服装をしている女性はいない。
2015年以降、トレンドは分散的で多様化しているように当方には見える。この状況で「トレンド悪玉論」を唱えたところで、そうではないファッションテイストが多数並立しているから、一体何の効果があるのかよくわからない。
それよりも各テイスト別に「他人から良く見える着こなし術」でも唱えた方がよほど支持を増やせるのではないかと思う。
いずれにせよ、単なる白い布ですら差異を作って楽しむのが人間という動物なので、この世からトレンドがなくなることは永遠にあり得ないということだけははっきりとしている。
 
 

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