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南充浩 オフィシャルブログ

「パルコ」に対する認識の違い

2012年10月1日 未分類 0

 少し、旧聞になるがJフロントリテイリングがパルコの株式65%を取得した。
J社が乗り出す前には、森トラストやイオンも買収に名乗りを挙げており、さながらパルコ争奪戦の様相だった。

関西圏で生まれ育ち今年42歳になる筆者には、なぜそれほどパルコに価値があるのかさっぱりわからなかった。
業界の先輩に尋ねると「80年代のパルコの文化発信力はすごかったんだよ」という答えが返ってくるばかりで、その「すごさ」が具体的に分からなかった。

先日、「HAKATA PARIS NEWYORK」でパルコ買収のことが採り上げられており、はじめてその当時の「すごさ」を具体的に実感した次第である。

http://blog.goo.ne.jp/souhaits225/e/091a9b680b87cbcd637e9868c22fc25d

しかし、筆者は今のパルコに買収するほどの意味があるとは思わない。なぜなら、パルコのブランド価値は、80年代、DCブランドを軸とした先端ファッションをリーシングした商業ビルとしての先駆者、そして劇場運営や出版物刊行など、堤清二&西武セゾングループのクリエイティブ戦略の栄光と遺物でもっているに過ぎないからだ。

 確かに田中一光や石岡瑛子、浅葉克己、山口はるみや糸井重里など、希代のクリエーターを起用して渋谷の若者文化を発信、牽引し、単なる商業施設では味わうことのできない付加価値を創造した功績は大きい。

とある。

なるほど~。((=゜エ゜=))

80年代というと70年生まれの筆者が10歳から20歳になるまでの10年間である。
筆者が小学校4年生から大学1年生という時代である。
先に挙げられたクリエイター達は、筆者にとってテレビ番組の中だけでぼんやりと見ているだけの対象でしかなかったし、働き始めたころには90年代に突入しており、西武グループもすっかり凋落していた。

アンテナの低い子供時代を送った筆者は、80年代の栄光は記憶にまったく残っていない。

さらに付け加えると、関西圏はパルコの盛名はちっとも届いておらず、心斎橋パルコ、アメリカ村のパルコデュエともにあまり注目されない小型商業施設だった。
関西で生まれ育った人間にとって「パルコ」といわれてもあまり鮮明なイメージはない。

さて、Jフロントリテイリングがパルコを買収し、その相乗効果がどれほどあるのかということになると、あまりあるとは思えない。
パルコとの相乗効果を主張しておられる方は「栄光の80年代」をリアルタイムに過ごされた方で、現在のパルコがその当時と同じネームバリューを持っているとは到底思えない。
相乗効果がゼロとは思えないが、「栄光の80年代」には及びもつかないだろう。
それでも東京都心では一定の効果がありそうだが、その他の地方ではどうだろうか?

関西は先に示したような土地柄なので、まったく効果がないだろう。
それよりも大丸百貨店の知名度の方がよほどネームバリューが高い。

パルコ争奪戦にあまり興味を持てなかった理由は筆者が関西に生まれ育ったことと、幼少期のアンテナの低さによるものである。もっとも今もアンテナは低いままだが。

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