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南充浩 オフィシャルブログ

閑散期だからといって機械を止めるわけにいかなかった今治タオル産地

2012年7月3日 未分類 0

 タオルというアイテムに関しては業界紙の中でも「繊維ニュース」と「タオルリポート」がズバ抜けている。

ダイヤモンドオンラインに今治タオル復活の記事が掲載されていた。

http://diamond.jp/articles/-/20961

筆者などよりはるかに有名な財部誠一さんがお書きになっているのだが、知る限りにおいては半分正解・半分取り違えではないかと感じる。

「繊維ニュース」「タオルリポート」の2紙からの聞きかじりの知識で恐縮なのだが、今治タオルは元来、色柄のケバケバしいジャカードタオル製造を得意としていた。
「サン・ローラン」とか「ピエール・カルダン」とか「セリーヌ」などの欧州高級ブランドのライセンスタオルを主に製造していた。バブル崩壊直後までお歳暮やお中元で頻繁に頂いたあの変な柄のタオルセットを思い浮かべていただければ良いだろう。

無地でふんわりとした風合いのタオルは、むしろ、もうひとつのタオル産地である大阪・泉州が得意とするところだった。タオルを織り上げたあとで生地の糊を洗い流すので「後晒しタオル」と呼ばれている。

現在、国内タオル市場で主体となっている「後晒しタオル」は元来、泉州タオルの得意分野である。
派手な色柄だけで目を惹きつけるブランドライセンスのジャカードタオルの需要が激減したことから今治産地は「後晒し」へと主力商品を変えるのだが、先の記事にはそのあたりのくだりが無い。

先の記事では中国からの輸入を制限するセーフガードが発動されなかったことが今治産地のイノベーションにつながったと書いてあるのだが、何だか微妙にニュアンスが異なるように感じる。

文中にあるようにタオル産地がセーフガード発動を陳情したのが、2001年~2003年ごろである。
今治以外の泉州産地も陳情を行っていた。たしか、先染めシャツ生地の西脇産地も国会への陳情ツアーを行っていたはずである。

しかし、記事では触れられていないが、この当時、すでに今治産地からも泉州産地からも、西脇産地からもすでに中国に自社工場・合弁工場を設立している企業が何社もあった。
当然、彼らはセーフガード発動は望まない。産地といえども一枚岩ではなかった。

陳情するグループがある一方で、産地内からはひっそりと発動反対の声を挙げるグループがある。
政府が認めないのは必然だろう。
財部氏が欄外ににおわせるような自由競争の思想に基づくものではない。

この記事中でも「UCHINO」(なぜアルファベット表記なのか分からない。内野と書くべきだと思う)が96年から上海に自社工場を設立していたことがサラリと触れられている。
こういう企業が各産地に、他にも何社もあったということである。

経済誌の記事はキレイ事を並べすぎると感じることがある。
今回の記事もその並びではないか。熱意と努力と創意工夫で企業が再生するという筋書きである。
「努力」「友情」「勝利」という少年ジャンプの漫画と同じ黄金の方程式だ。
もちろんそういう側面はあっただろう。しかし、人間の生活はそんなキレイ事ばかりではない。

私見だが、今治タオルが変化したのは、残存各社の規模がそれなりに大きく休業や廃業がやりにくかったことがあるのではないかと考えている。
「タオルリポート」を起こした尊敬する先輩記者は常々「泉州産地には規模の小さい工場が多いから、閑散期は工場の機械を止めてしまって畑を耕している。今治はそこそこの規模の工場が多いから簡単に工場の機械を止めるわけにはいかない」と語っておられた。

極端な例えだが、家族だけで動かしている工場なら、閑散期は機械を止めて畑を耕していれば生活はできるが、従業員を抱えた工場ならそうはいかない。従業員に働いてもらうために安定的に機械を動かす必要がある。
今治がある程度のイノベーションに成功したのは、そういう生々しい事情があったと感じられてならない。

タオルは専門外なので、的外れな部分や足りない部分も数多くあると思うが、
もし、目に余るようならご指摘いただきたい。

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