口では残念と言いながら?
2010年11月26日 未分類 1
日本繊維新聞が経営破綻してからもうすぐ1カ月になろうとしている。
この間、日本繊維新聞の破綻についてブログや紙面で言及された方があまりにも少なすぎ、首を傾げるばかりである。
知る範囲ではシナジープランニングの坂口昌章さんと、イッセイミヤケ前社長の太田伸之さんのお二方しかいない。ツイッター上ではもう少し多くの方の意見も目にしたのだが。
太田伸之さんのブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/tribeca512/diary/201011120000/
太田さんは、日本繊維新聞の倒産を非常に残念がっておられ、繊研新聞1紙体制になることを危惧しておられる。(実は繊維ニュースも健在なのだが、忘れ去られている)
おっしゃることはその通りなのだが、ここで疑問もある。
太田さんにというよりも「日本繊維新聞破綻は残念」というコメントを出された繊維・アパレル企業に対してである。
残念と思われるのであれば、なぜ今まで日本繊維新聞の購読や広告出稿を止めてこられたのか。と思う。
購読部数が減り、広告出稿量が減れば早晩新聞は破綻する。新聞に限らず現行のビジネスモデルの出版業はもれなく破綻する。
もちろん、購読する価値も広告出稿する価値もないと、その媒体について判断されたのだろう。それなら「残念ですね」というようなコメントを出すのはいかがなものかと思う。
だってちっとも「残念」と思ってないことが丸わかりだからだ。
「紙面がなくなることは残念ですが、これも時代の流れでしょう」程度のコメントが一番しっくりくる。
ちょっと話が飛躍するが、
百貨店の閉館、遊園地の閉園にも同じことが言える。
「地元の駅前シンボルだった百貨店がなくなるのはさみしいです」「子供のころ行った遊園地が閉園するのはかなしいです」というコメントがよくテレビや新聞で報道されるが、そこまで愛着があるなら何故もっと頻繁に通ってあげなかったのかと思う。
結局、口では「さみしいです」と言いながらも本人たちはそれらの施設にまったく興味を持っていなかったのだろう。
「ああ、ついに」という感慨や郷愁はあっても「さみしいです、残念です」というような偽善的なコメントはもう止めにしないか。
今日の記事読んでて 「そうそう!」 と
>だってちっとも「残念」と思ってないことが丸わかりだからだ。
>結局、口では「さみしいです」と言いながらも本人たちはそれらの施設にまったく興味を持っていなかったのだろう。
全く同感です。
今回の件に限らず こういうケースでは偽善的というか優等生的というか差し支えないコメントがほとんどですね。
こちらのブログのように本音コメントが欲しいです。