「単なる手段」を「目的」だと履き違えたゾゾスーツ狂騒曲
2018年5月2日 ネット通販 0
連休の合間なので、昨日に続いてゾゾスーツについて。
ゾゾスーツ自体は計測するための道具であり手段に過ぎないが、ゾゾスーツへの支持・話題性の高さは、この「手段」が評価されたためといえる。「目的」を果たすにはゾゾスーツである必要性すらない。
とくに旧ゾゾスーツは、スーツ自体に近未来性があり、「手段」自体が高評価された。もしくは、多くの支持者が錯覚を起こした。
本来、計測したいのなら、別にあれである必要性はさらさらなく、家族に巻き尺で測ってもらったって数値が正確ならなんら問題はない。
量産化の目途もたっていないのに、旧ゾゾスーツの発注を開始したのは明らかにスタートトゥデイの勇み足でしかない。
当方はスタートトゥデイが嫌いだから、送料200円ですら支払うのが嫌で、旧ゾゾスーツも新ゾゾスーツも申し込んでいないし、これからも申し込まない。ついでにゾゾで服は買わない。同じ値段なら他のモールかそのブランドの直営ECで買う。
特に2000円を越える商品ならAmazonで買えば送料無料だし、アダストリアのドットエスティなら4000円以上で送料無料だし、ユニクロ・GUなら5000円以上で送料無料だ。ついでにいうと、店舗受け取りにするとユニクロ・GUは5000円未満でも送料無料になる。
何万円買おうが送料200円が必要なゾゾタウンでは絶対に買わない。もちろん何万円分も服を買うカネは当方は持ち合わせていないが。
それはさておき。
旧ゾゾスーツを勇み足で受注開始をし、何の断りもなく量産を撤回したからには、いくら無料(送料200円)とはいえ、注文者が不満を漏らすのは極めて当たり前といえる。
この反応に対して、Lineからスタートトゥデイに移籍した某役員がツイッターで、
「ゾゾスーツは計測する道具に過ぎず、メジャーや定規と同じ。定規やメジャーのデザインにそんなにこだわる必要があるのか?」
というような意味のことをツイートしていたが、部外者が言うならまだしも、スタートトゥデイの中の人間がこれを言ってしまうのはどうかと思う。
スタートトゥデイと旧ゾゾスーツが支持されたのは、「単なる道具」が「目的」だと優良誤認された結果だからだ。
その優良誤認の恩恵を最大限に被った会社の人間が何を言っているのかとあきれるほかない。
決して「計測した結果」が評価されたのではなく、「計測する手段」が過剰評価されたに過ぎないといえる。本来なら、自動巻き尺でもエキナカ計測システムでもなんでもよかったのである。
今回は消費者を巻き込んでの大優良誤認大会になってしまったが、アパレル界隈・繊維業界界隈ではこういう「手段」と「目的」の履き違えはよくある。
今だと差し詰め、猫も杓子もネット通販・EC比率向上だろうか。
20年前だとクイックレスポンス対応(QR対応)だったし、52週MDだったし、SPA化だったし、10年前ならライフスタイル提案型ショップだった。
そのいずれもが、本来は「物を売るための道具にすぎない」にもかかわらず、そこに対応することが業界全体の「目的」だと誤認された。
物さえ売れれば別にQR対応も52週MDもSPA化もライフスタイル提案型ショップもネット通販も必要ない。
そういう根本的な原則を各社・各ブランドは見誤って、そういうシステム構築を目的化した結果が今のアパレル不振である。
コンサルタントの河合拓さんが、今回のゾゾスーツ騒動について触れておられる。
https://comemo.io/entries/7255
騒いでいる人の騒いでいる理由が不明。となりで火事が起きるとかけだしわっせと騒ぐ騒ぎ屋さん達。実は、SNSなどで大騒ぎしている人は、ZOZOで買うのはスーツで無く服だということを忘れているのではと思います。服を見たこともない、着たこともないのに、未来的なボディースーツのデザインだけをみて、ユニクロもこれで打撃を受ける。ZOZOは世界制覇をする、など、テクノロジーに騒いでいるのです。
巷で言われる、目的と手段の逆転ですね。おそらく、売られているのが、デニムとTシャツだということさえ知らないのではないでしょうか。PBを売るためにこのスーツを開発したのに、騒いでいる人はスーツについて騒いでいる。全く理解できない話しです。
とのことで、これは本当にゾゾスーツに限らず、日本の消費者・アパレル業界が常にこれまでおかし続けてきた「手段の目的化」と同じであり、スタートトゥデイへの消費者の支持も優良誤認の賜物であると当方は見ている。
さらにいうなら、旧ゾゾスーツ発表時に掲げた「ミリ単位の精度」も優良誤認を意図的に招くキャッチフレーズだったといえる。
一口に衣料品といっても、ミリ単位の精度を必要とされる商品と、まったく必要とされない商品がある。
生地の話でいうと、編み物(ニット、ジャージ)やストレッチ素材が入った織物は何センチ単位で伸縮するので、ミリ単位の精度なんて全く不要だ。
例えば、セーターやTシャツは普通に3センチくらいは伸縮性がある。だからサイズが少し小さくても着られるし、引っ張って伸ばし続ければ、伸びた状態にもなる。
自社企画ブランド「ゾゾ」でTシャツを販売しておきながら、「ミリ単位の精度」なんて言ってる時点で意味がおかしい。
ストレッチ素材が入った織物(布帛)も同じで3センチくらいは伸び縮みするから「ミリ単位の精度」なんて不要である。
身幅よりも着丈の長短には気を使う部分もあるが、あえて短めに着る・あえて長めに着るという着方もあるため、センチ単位の精度は必要になってもミリ単位の精度なんてものはまったく必要ではない。
以前にこのブログでも書いたが、縫製段階ですでに1~5ミリ程度の誤差は常に生じているのである。
もちろん、ミリ単位は大げさに過ぎても、1センチ単位での精度を求められる服もある。
例えば、メンズのワイシャツ、ビジネススーツ、メンズ・レディースの靴などである。
メンズのワイシャツの首回り・袖丈は1センチの違いで着こなしが大きく変わる。
首回り39センチではピチピチだが、40・5センチならジャストサイズ、41センチだと不格好ということは普通にある。
袖丈も同じで、あまりに長すぎるとおかしいし、短すぎてもおかしい。手首のラインの上下1~2センチくらいが誤差の範囲内だ。それを越えると不格好になる。
靴はもっとも精度が求められる。
表示サイズで5ミリ小さければ、足を入れることさえできない。
ゾゾスーツであってもなくても、これらの商品をECで売るためには計測システムが必要になるが、Tシャツやセーター、トレーナー類ではまったく必要ではない。
最後になるが、河合さんが提言しておられるが、「サイズ」にこだわりすぎる今の風潮も服にとってはおかしな状況であるといえる。
しかし、世の中はサイズの話題ばかりがフィーチャーされている。また、カスタム・オーダーの話しをすると、必ず暗黙的に論点が(なぜか)サイズの話になっている。
スタートトゥデイは「サイズを計測してカッコイイ着こなし感のサイズの黄金比を算出する」とぶち上げているが、その「黄金比」とやらはだれが決めるのか?
例えば、オーダースーツ屋は各部位のサイズを計測するが、その各部位のサイズを単純につなぎ合わせるというようなことはしない。
それを直線で結ぶのか、それとも曲線で結ぶのかを職人が決める。
大手アパレルならデザイナーやパタンナーが決める。
そこには数学的な数値だけではなく、それこそ美的センスも必要になる。(この言葉は嫌いだが)
かつてのエディ・スリマンのディオールオムはピチピチがカッコいいとされ、現在のヴェトモンはダボダボがカッコいいとされている。そのシルエットを提案したのはデザイナーのセンスであり、デザイナーの独断と偏見による決定である。
そして世間はそのどちらもを「カッコイイ」と見ており、画一的な基準は存在しない。
じゃあ、スタートトゥデイは誰が、「そのシルエットがカッコいい」と決めるのだろうか?
前澤友作社長がそこまでのセンスを発揮して独断と偏見でシルエットの基準を決めるのだろうか?個人的には彼が決めたのなら、その基準はちょっと受け入れがたい。一体、どれくらいの人が彼が決めた基準を甘受するのだろうか。当方はそれほど多くないと見ているがどうだろうか。
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