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南充浩 オフィシャルブログ

自粛禍

2011年4月8日 未分類 1

 関西のとある小さな町に住んでいるのだが、毎年4月末にこの町の住人による運動会が催されてきた。まったく楽しくもなんともないので、雨が降って中止になることを毎年願っていた。
しかし、これを楽しみにしているおっちゃんやおばちゃんも一定数量以上存在する。
このおっちゃんやおばちゃんの嗜好を否定しようとは思わない。楽しみにしている人がいても当然である。
今年はそれが「震災を考慮して」中止することとなった。

この決定は首を傾げたくなる。今、東京都の花見自粛問題が注目を集めている。
「こんな時期に酒を飲んで花見はいかがなものか?」と石原都知事が言ったとか言わないとか。
ただ、いろいろと調べていると、自粛の真意としては「電力不足の中、灯りを付けて夜桜を楽しむことは控えましょう」と言うことだとも聞いている。
また、警備のための警官の人数が確保できないこと、簡易トイレが被災地に送られているため用意できないこと、また救急車の台数や病院のスペースなども被災者に備えて確保しておきたいこと、なども「花見自粛」の裏側にあると言われている。

ならばちゃんとそれを説明すればここまで「花見自粛」が物議を醸すことにはならなかったと思うのだが。

話を戻すと、関西の小さな町の運動会を果たして自粛する必要があるのだろうか?
警備の警官、仮設トイレ、救急車と病院すべて被災地に近い東京都のことだから自粛の要因となるのだが、関西の小さな町の住民運動会程度ではまったく関係ないように思う。
警備の警官もいないし、トイレだって運動場に常設のがある。病院のスペースは被災地から遠い関西では空けていても仕方がない。

この運動会では、経済全体から見れば少額の飲食代金が動く。弁当やお茶、ジュースが配られる。その弁当類はいずれも町内の業者やスーパーで購入されているもので、全部合計すれば十万円単位にはなるのだろうか。運動会の自粛を早々と決めたことによって、それらの需要はゼロになってしまったということになる。
町内の業者やスーパーにとっては痛い減収だろう。

関西の小さな町の運動会まで自粛することは「自粛禍」と言っても良い。
復興のための経済を活発化する意味でも被災地から離れている西日本のイベントは続行されることが望ましい。

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 comment
  • okadatx より: 2011/04/09(土) 10:22 AM

    どうもいろんなところで、意味の無い自粛というのが・・・・
    これも日本人の特色なんでしょうか?
    それとも大衆心理で、皆がやってるから 世間の風潮がそうだからとか
    ファッションも、皆が着てるから 私も着てないと流行遅れになる
    まあそれが悪いとは言い切れないけど
    意味の無い自粛は意味がない(笑
    tanaka 

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