意思のない製造加工業まで守られるべきではない
2015年8月19日 未分類 0
一昨日くらいだが、このブログの累計訪問者数が250万人を越えた。
開始したのが2010年10月だったので、5年弱の累積である。
昨年10月8日ごろに200万人を突破したので、10か月強で50万人の人が訪問してくださったことになり、12か月だと60万人ということになる。
なんともありがたいことである。
バナー広告を出稿したい工場、企業、ブランドがおられたらぜひともご連絡ください。(笑)
それはさておき。
最近では繊維産地も含めて地方の製造加工業が自社製品開発に乗り出している。
もしくは乗り出そうとするのがトレンドとなっているといった方が正確だろうか。
もちろん繊維以外の製造加工業も同じ状況である。
それを地元の商工会議所や行政がお膳立てするケースもずいぶんとある。
しかし、結論から言ってしまえば、お膳立てにただ乗りしようとするような製造加工業者が成功することは絶対にない。
反対に自社製品開発にある程度成功している企業は、そういうお膳立てなしで自発的に動いたところがほとんどである。
先日、知り合いのデザイン会社から聞いた話だが、行政系のマッチングに呼ばれてある産地の会合に出席したところ、その中の1社が「で、オタクはうちをどんな風にしてくれるの?」と尋ねたそうだ。
いやはや、レベルの低さに呆れ果てて言葉も出ないのだが、デザイン会社は「うちが貴社をどうこうするのではなく、貴社がどうなりたいかという問題ですよ」と答えておいたとのことだが、ここに集約されている。
自社製品、自社ブランドを開発したいのなら、せめて「自社がどうなりたいか」という希望なり願望なり、ふわっとした(笑)イメージなりを持っていないとどうしようもない。
行政やデザイン会社やプロデューサーがその会社を変えるのではない。
会社が変わるのを手助けするに過ぎない。
そのことが分かっていない製造加工業者が多すぎるのではないか。
筆者も繊維産地の会議に出席したことも何度かあるのだが、ここまで低レベルな発言は出てこなかったが、「とりあえずお任せしますから、良い様にしてくださいよ」という無責任な発言は何度もあった。
一口に「良い様に」というけれども「良い様に」の捉え方はすべての人間で異なる。
100人いれば100通りの「良い様に」が存在する。
筆者の考える「良い様に」と、産地のA社が考える「良い様に」は全く異なる。
B社、C社の考える「良い様に」も当然異なる。
では、どの基準に合わせろというのか。
その基準が示されないままだから産地の取り組みの多くは失敗に終わる。
「お任せしますから」と言った割には、そのあとで結果が出ないことには必ず文句を言う。
お任せしたんだったら、その結果も呑み込むべきである。
お任せの結果が呑めないのであれば、どういう風にしたいのか事前に意思表示しなくてはならない。
デザイン会社もプロデューサーも行政もテレパシー能力者ではない。
産地のおっさんの考えていることなど意思表示なしに読み取れるはずもない。
あとで反省会などをしてみると「本当はこうしてほしかった」とか「こういう方向性を考えていた」というような意見が出るが、そんなものは後の祭りである。
タイムスリップなんてできないのだから、今更言われてもどうしようもない。
このあたりは筆者の体験だが、先の企業は本当に変わりたいとは思っていないのではないか。
とりあえず、行政に声をかけられたから「楽をして美味しい思い」ができるとでも思ったのではないか。
繊維も含めて「日本の製造加工業を守れ」という声が聞こえてくるが、こういうやる気のない製造加工業をなぜ守る必要があるのか。
しかも税金で(笑)
筆者は日本の製造加工業はやる気のある企業だけが残れば良いと考えている。
やる気のない製造加工業は淘汰されて当然であり、市場から退場すべきである。
そこに情緒とか感傷は必要ない。