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南充浩 オフィシャルブログ

売上高215億円にまで縮小したファイブフォックス

2024年5月23日 企業研究 2

先日、ファイブフォックスの上田会長が亡くなられたことが発表された。

それを踏まえて、かなりの長文ではあるがファイブフォックスの足跡をまとめた記事が掲載されている。内容は非常によくまとめられており、資料としての価値も大きいと感じるのでご紹介したい。

【追悼 上田稔夫さん】 怒涛の業態開発&超高効率経営で紡いだ「コムサ神話」

当方個人はまったく面識がない。またファイブフォックスという会社は全盛期でもメディアに掲載されることが少なかった。

業界紙記者時代に取材交渉を何度か行った経験から言わせてもらうと、業界メディアも含めてメディアに企業情報を発表することを極度に嫌っていたと感じられた。

現在もその姿勢はあまり変わっていないと思われるため、今回のこの記事は非常に価値があるといえる。

導入部分にもこんな一節がある。

当の上田氏本人は取材を受けるのは基本的には年に1回の決算発表時のみ(それも2000年代半ばまでのこと)で、

と。

元々、企業情報を公開することには消極的だったが、2000年代半ば以降は年に1度の発表もなくなったという理由はファイブフォックスの業績が振るわなくなり始めたためだろう。

 

業績面では、1998年10月期が最高のパフォーマンスだったと記憶している。のちにグループ売上高2000億円を達成することになるが、98年10月期の売上高は1135億円(前期比11.4%増)で経常利益が147億円(同32.8%増)、経常利益率はなんと13.0%。粗利益率は64.8%、プロパー消化率が75%、商品回転数が年間24回と驚異的な数字を叩き出した。

 

とある。恐らくはファイブフォックス単体として最高業績が98年10月期ということだろう。のちにグループ全体の売上高が2000億円に到達しているから、どちらをピークとして考えるのかは意見の分かれるところだろう。

当方くらいの年代の人なら、90年代半ばから2000年代後半にかけて「コムサ」や「コムサイムズ」などのブランドを買っていたという人は多いだろう。また「PPFM」とか「ペイトンプレイス」などのブランドを買っていた人も多いだろう。当方は「ボナ・ジョルナータ」の服を何枚か買っていて(もちろん値下げ品)今も自宅に残っている。

 

 

90年代後半にユニクロのフリースブームが起きると、これに対抗するかのように低価格ファミリー向けブランド「コムサイムズ」をショッピングセンターやファッションビルに大量出店した。

ただ、2000年代後半以降、ファイブフォックスという企業も「コムサ」というブランドもすっかり存在感を失っており、2010年代、2020年代と月日を重ねるごとに存在感の薄さは加速していると感じる。

それに比例して、時折発表される売上高も低下の一途をたどってきた。

先日、マイナビに22年8月期の売上高が掲載されていたが、その少なさに驚かざるを得なかった。

(株)ファイブフォックス【コムサプラチナ/ルミノーゾコムサ/コムサメン/コムサフィユ/コムサイズム/コムサスタイル/ONIGIRI他】の2025年度会社概要 | マイナビ2026 (mynavi.jp)

22年8月期売上高は308億円9500万円である。

単体業績が最高潮だった98年と比べると約4分の1にまで縮小しており、存在感の薄さも納得できるものだった。

 

 

 

非上場企業なので定期的な開示の義務はないから、この22年8月期以降の業績は当方の知る限りにおいては開示されている資料は無かった。

しかし、今回の追悼記事では

東京商工リサーチの調べによると、2023年8月期の売上高は215億円。コロナ前の19年8月期の450億円からさらに大きく落ち込んでいるのは、オンラインストアやデジタル施策の遅れも要因だろう。

とある。

22年から23年のわずか1年間で約90億円も減収していることになる。実に前年比30%減である。

ご存知のように2020年春以降はコロナ禍による停滞が全企業にあった。しかし、23年5月以降はコロナ自粛が全面解禁となっており、本来であれば売上高は増えるはずである。悪くても前年維持くらいだろう。

そういう環境下にもかかわらず大幅減収しているのだから、企業経営としてもブランドとしてもかなり危うい水準にあると考えられる。

ファイブフォックスから独立したフランドルが先日買収されたが、売上高は69億円にまで低下していたことを合わせて考えると、ファイブフォックス的なブランドの凋落が顕著といえる。

 

 

現在の公式サイトで、店舗一覧を見てみると、ザックリ流しただけでも200店舗近い店舗数がある。内訳もこれまたザックリと見てみると、体感的に7割くらいは百貨店、ファッションビル、イオンモール、ららぽーと合わせて残り3割を占めるという感じである。(数えられる人は数えてください)

酷くザックリと計算すると、1店舗あたりの平均年間売上高は1億円内外という具合になっており、各店舗の売れ行きが厳しいことがうかがえる。

近頃、同年代の業界関係者からも「最近コムサのお店を見かけることが少なくなった」との声を聞くが、その理由はファッションビルやイオンモールへの出店数が減っているためだと考えられる。百貨店だけを見ているとそこそこ店舗数は多いから、生活スタイルが百貨店寄りの人はある程度は店舗だけは見かけているとも考えられる。(ファイブフォックスの店で買うかどうかは別として)

 

 

かつて大手の一画を占めていたファイブフォックスがここまで縮小してしまった理由はなんだろうか。もちろん様々な要因が考えられる。個人的には

1、DCブランドテイストが時代の潮流から完全に外れた

2、低価格ブランド「コムサイムズ」を定着させられなかった

あたりの2点が大きいのではないかと見ている。

特に2はユニクロブームに対抗するかのように急速に店舗数を拡大していったが、あくまでも買う側として見た場合、商品のデザインやテイストは異なるものの、当時のユニクロとの価格競争に完全に破れてしまったように見えた。直截に言えば、決して高価格ではなかったがユニクロよりも完全に高かった。そのうちに「低価格宣言」を撤回してしまったのだが、結果論にはなるが、これがさらに悪影響を及ぼしたのではないかと当方は考えている。

低価格ではないのなら、コムサイズムがファイブフォックス内に存在する意味が薄くなると当方は考えている。理由は、通常のコムサで十分ではないかと思える。

もちろん、価格競争で勝つことだけが良いとは思わないが、低価格で始めたのならユニクロよりも少し高くてもやりようはあったのではないかと思う。アダストリアやストライプインターの各ブランドがそれなりに成長しているわけだからファイブフォックスとてそれに倣うことはできたはずである。あくまでも理論上だが。

 

 

この記事は最後にZARAとの裏話を掲載していて興味深いので引用したい。

スペインの「ザラ(ZARA)」は1998年、「H&M」は2008年に日本に上陸したが、日本のファッションビジネスマンの中でもいち早く注目。しかも、「ZARA」のインディテックスとは日本上陸時のパートナーの大本命として合弁会社設立に向けて話し合いを重ねたこともあった。結局、出資比率のマジョリティがとれないという理由で決裂してしまったという。しかも、ビギグループがインディテックス社とザラジャパンを97年に共同で設立した際には、ビギが51%、インディテックスが49%という出資比率だったため、上田社長の憤りは大きかった。ファイブフォックスが「ZARA」を日本で展開していたら、「ZARA」は、そしてファイブフォックスや「コムサ」はどうなっていたのか、見てみたかった気もする。

とある。98年の時点で日本に上陸したZARAはビギと合弁会社を作って活動を開始したということはそこそこ知られている。その裏側でファイブフォックスとの提携も模索していたという裏話だが、出資比率でファイブフォックスにはマジョリティを取らせなかったのにビギには取らせたということになる。ファイブフォックス側が怒るのも当然だろう。

ただ、ZARAがファイブフォックスを選んだ場合の未来を見てみたかったと締められているが、これに対して当方は「たぶん今の現実とさほど違いはなかったのではないか」と思っている。

理由は、一度は現実にZARAと組んだビギだって現在はさほどの何の恩恵も受けていないのだから、ファイブフォックスが組んだとしても大した恩恵は受けられなかったのではないかと思えるからである。

 

創業者が亡くなり、コロナ自粛解禁以降も大幅減収が続いているファイブフォックスは将来的にはどこかの企業にフランドル同様に買収されるのではないかと推測している。

 

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 comment
  • 南ミツヒロ的合理主義者 より: 2024/05/23(木) 12:25 PM

    誰でも知っているネーム・多くの人が着ている服の企画元は

     ご本尊様連合、ファースト~、岐阜系・組合系

    の3種類に集約されると思います

    これらの間に挟まっていたセレクトもどき・DCもどき・
    スーパー独自ネームは、その2/3以上が自然消滅し
    残りわずか数個のネームをご本尊様が傘下にする

    コムサはPARCO地方店と共に消え去った感が強いです

    30年以上前の地方進出時に大概コムサやミスドあたりが
    パッケージになってましたっけ

    それが今ではAEONにコロス系とアダストリアという事か

  • ハマオ より: 2024/05/23(木) 8:49 PM

    新卒で入社して12年で退社しましたが
    入社前の大磯プリンスホテルでの研修は強烈な3日でした。
    今から30年位前なので上田さんも一番脂の乗っていた
    イケイケな時でしたね
    この国にコムサあり
    こんなキャチコピーもあった頃が懐かしです。
    世間では洗脳だ宗教的だと言われてましたが
    私のアパレル人生の
    基本を築いた会社でした。
    業界でも元ファイブという方はたくさん活躍されていると想いますが
    一時代が終わったと思うと寂しい限りです。

    合掌

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