プロルート丸光の経営破綻を含めて厳しさを増す現金問屋という業態
2023年12月6日 経営破綻 2
衣料品前売現金問屋のプロルート丸光が経営破綻した。
会社更生法を申請したので、まだ倒産ではない。支援してくれるスポンサーが見つかれば経営陣が交代となって企業は存続できるが、スポンサーが見つからなければ破産整理されて本当に倒産することになる。
とはいえ、来年1月6日で上場廃止となる。
各メディアが報道しているが、社の歴史などはやっぱり信用交換所と帝国データバンクが詳しいと感じる。
当社は、1900年(明治33年)創業、51年(昭和26年)3月に法人改組された老舗の総合衣料品前売現金問屋。衣料品を中心として、靴、かばん、宝飾品、服飾雑貨、寝具・インテリア用品など幅広い商品を取り扱っていた。セルフサービス方式による店頭販売を基本とし、業界で初めてキャッシュレスタイプの小売店用仕入れカードシステムを開発。年売上高が500億円を突破した87年には首都圏に進出し、翌88年に株式を店頭登録。ピーク時の92年3月期には年売上高約529億円を計上した。
とある。
ちなみに信用交換所では
株式会社プロルート丸光 – 信用交換所 (sinyo.co.jp)
大阪地区を代表する衣料品前売問屋の1社。婦人服をはじめ各種衣料品、寝具、服飾雑貨、インテリア用品などを扱い、全国の量販店や中小専門店を対象とした会員制卸を手がけ、1988年11月には株式の店頭公開を果たし、ピークとなる1993/3期に年商530億2300万円を計上した。
とあり、ピーク時が1年異なり売上高も1億円異なる。
まあ、30年も前のことなのでその辺りはあやふやなのかもしれない。
WWDによると
23年3月期の連結業績は売上高41億円、最終赤字13億円まで悪化した。
とのことなので、ピーク時から比べると10分の1未満に低下しており、08年3月期(08年3月期には連結売上高が370億円)と比べても9分の1未満になっている。企業は売上高の大きさではないと言われることが増えたが、これだけ売上高が低下すれば資金繰りは厳しくなる。
そういえば2010年代後半には当時の本社ビルを売って、テナントとして移転したが、これも資金繰りの苦しさからだろうと想像できる。
老舗といえるプロルート丸光だが、その衰運は97年くらいから始まっていたようで、信用交換所も帝国データバンクも一致している。
より詳細な信用交換所の記事を引用紹介したい。
1997年には当時の筆頭株主であったヤオハングループが破たん、翌1998年には子会社ライト貿易㈱において融通手形取引が発覚、同社を特別清算したことに伴い100億円弱の赤字を計上し、経営不安説が聞かれていた。以降、社長交代や第三者割当増資を実施するなどして再建を進めていた
とある。
徐々に企業業績が傾いて行った理由は
その後も、アパレル業界全体の不振に加え、SPA業者の台頭、販売のECシフトが進むなか、当社の売上高は減少傾向をたどり、2019年3月期には100億円を下回る水準まで低下。(帝国データバンク)
取引先である地方小売店の衰退から2012年頃より売上低下に歯止めがかからず、赤字期が頻発するようになっていた。このため免税店や中国向け越境ECなど新規事業を開始する一方、旧本社不動産売却、人員削減などのリストラを進めるものの、業績回復への貢献が見られないでいた(信用交換所)
とあり、いわゆる仕入れ型衣料品専門店の衰退、SPAブランドの成長、アパレル業界全体の苦戦の3つが主な原因と考えて間違いないだろう。
そもそも、前売現金問屋というのは本来はBtoBの商売で、問屋として小売店に商品を卸売りしていたわけである。しかし、2000年代以降、いわゆる仕入れ型専門店は全国的に数を減らし、自社オリジナル企画商品を販売するSPA型ブランドが巨大化してくると、卸売り問屋の存在意義と売上高は低下するのは当然といえる。しかも通常の問屋とは異なり、現金問屋はミニマムロットはほとんど設定されず、極端な言い方をすると、小規模な専門店が現金引換えで「1枚から」購入できるという仕組みが強みだった。
しかし、仕入れ型専門店が衰退してしまえばそんな強みは意味が無くなる。
今回の衰退の要因は経営破綻したプロルート丸光のみならず、残存している現金問屋各社共通の要因である。
まだネット通販黎明期の2000年代前半、知り合いの小規模ブランド経営者から
「知り合いの小規模業者の〇〇がネット通販というのを始めて、期初に数量を仕入れる資金が無いので、毎日本町の現金問屋に1枚ずつ買いに行って、それをアップロードしている」
という話を聞いたことがある。
小規模・零細小売店にとっては現金問屋というのはこういう使い方ができるから便利だったのだが、肝心の小規模・零細小売店が減ってしまえば何の意味も無くなる。
こうしたことに危機感を募らせたのが当時の赤ちゃん本舗で、本来は現金問屋だったが、消費者に会員登録をしてもらうことで消費者向け小売店(当時の名目上は現金問屋のままで)となって今に至っているわけで、他の現金問屋も現在ではほぼ同様のシステムになっており、コロナ前後まで現金問屋のファンビ寺内に勤務していた知人によると、ファンビ寺内もそういう仕組みになっており、毎年正月の初売りは近隣の中高年女性が押しかけていたそうである。
各社の事情やスタッフ・メンバーの違いがあるので一概に比較することはできないが、一早く小売店化した赤ちゃん本舗はイトーヨーカドーグループに買収され存続しているが、他の現金問屋はなかなか厳しい状態が続いている。
先んずれば人を制すというのはあながち間違いではなかったという部分もあるといえる。
各業界には先行きにほとんど希望の持てない業種や業態が必ずあるが、現金問屋というのはそれの最たる例ではないかと感じる。残存している現金問屋もほぼ同様の厳しさの中にある。
comment
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偽ずんだもん より: 2023/12/07(木) 10:07 PM
地方小売店なので2000年代前半は良く横山町の現金問屋に行ってましたね。
そして実店舗が段々とキツくなって楽天等でネット販売も始めました
ネットも良かったのは2010年位までで、以降は競合増加に手数料やポイントや送料等の諸経費増加で見切りをつけて辞めてしまいました。
今も仕入れ商品中心でネット服屋で残っている所は大変じゃないですかね。
あんまり儲からないでしょう。
新聞の折り込みチラシに今回経営破綻した企業のものが時々ありました。雑多な商品ラインナップの印象で、どうしてもここで買わなければと思わせるものではありませんでした。
大阪・本町の卸といえばこの時期になると、母親と「正月は新しい下着着なアカン」と萬栄にいったものですが、今でもあるのかしら?話がそれましたが、今回の企業も時代に即した変化が必要ということなんですねぇ。クロコダイルの会社も、この辺りだったと思いますが、今では違う場所のようですし。幸い古い繊維の感謝は土地を持ってるので、それを売れば当面はなんとかなりそうですけれども。