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南充浩 オフィシャルブログ

「SPA」化の普及と仕入れ型専門店の減少で苦境に陥った現金問屋

2023年12月7日 企業研究 0

大阪・本町の現金問屋であるプロルート丸光が経営破綻したわけだが、これは他の残存している現金問屋各社にとっても決して対岸の火事ではないだろう。

プロルート丸光の経営破綻を含めて厳しさを増す現金問屋という業態

30年前のピーク時に530億円内外あった売上高は直近では40億円程度にまで縮小していたと報道されている。30年間かけて12分の1未満にまで縮小してしまったということで、今回経営破綻していなかったとしてもジリ貧状態が継続していたに過ぎないだろうと考えれる。

粉飾決算による前社長の逮捕も起きたし、ちょうどコロナ禍が始まって間もないころにプロルート丸光の株価が異常に高騰した時期があった。常々、株価をチェックしていたがそれまではだいたい200円台~400円台をうろうろしていたのだが、その時期だけ株価が異様に高騰を続け800円台後半にまで到達したのである。いかにも不自然な値上がりだった。

その後、一度も株価が800円台にまで回復することはなく、粉飾決算による今年10月の前社長逮捕を受けて株価は10円台~20円台の間で推移するほど低迷を極めてついに来年1月に上場廃止になる。

あの株価高騰もプロルート丸光の嘘発表によるものだったということである。

 

信用交換所や帝国データバンクによると、プロルート丸光の苦境のきっかけは97年のヤオハンの倒産によるものだったと報道されているが、仮にヤオハン倒産という要素が無かったとしてもプロルート丸光の売上高縮小は止めることができなかったのではないかと思っている。

理由は、衣料品小売店の変化である。

 

90年代後半までは地方の専門店やブティック、専門店チェーン、大手総合スーパー、あと一部の百貨店平場なんかはプロルート丸光に限らず、現金問屋からの仕入れを主体にしていた。

実際に当方が就職した量販店系専門店チェーン店もプロルート丸光から定期的に仕入れている商品が必ずあった。ついでにいうと、当時、サーフブランド「ハンテン」のTシャツ、トレーナー類はプロルート丸光からの仕入れであり、ファッション雑誌にハンテンが掲載された際の問い合わせ先は「プロルート丸光」になっていた。

恐らく、プロルート丸光がライセンス生産していたのだろう。

そういえば、90年代後半以降、ハンテンというブランドの存在感はとみに薄れている。2020年夏にジーユーとのコラボ商品が発売されたが、大量に売れ残って大幅値下げされていたことを記憶している。そしてその後またあまり見かけなくなった。2020年のコラボ商品も当方からすると10数年ぶりに日の目を見た感じである。

当方の就職した店舗にプロルート丸光から納品されていた時期がちょうど売上高がピーク時だったころである。

 

90年代後半になると、ワールドのオゾックの大ヒットに端を発したSPAブランドブームが起きることになる。その後、ユニクロのフリース大ブームを経て、低価格ゾーンから百貨店ゾーンまでSPAブランドというものがすっかりと定着してしまった。

一口に「SPA」と言っても様々な商品調達法があるので、一概に「製造小売り」とは呼べないことは各識者が指摘されているところである。

自社工場もしくは契約工場で製造しているもの、商社を含めたOEM・ODM屋に丸投げしているもの、広州市場や東大門市場で買ってきただけのもの、などである。

とはいえ、一応全ては「自社ブランド製品」という形で販売するわけなので、現金問屋から仕入れるという形態ではなくなってしまう。

なぜなら、問屋に並んでいる時点で「他社にも卸しますよ」と言っているわけだから、そんなものは「SPA」ではない。言ってみればユニクロや無印良品の商品は他社店舗で販売されているようなものである。

 

そして、次に仕入れ型小規模専門店・ブティックの淘汰である。

特に70年代~90年代前半までのような老舗の専門店やブティックはオーナーの老齢化もあって90年代後半以降年々姿を消している。そうなると、現金問屋から仕入れるという軒数は減ってしまうわけだから現金問屋の売上高は必然的に低下する。

もちろん、プロルート丸光を含む現金問屋も手をこまねいていたわけではない。

粉飾決算容疑で前社長ら逮捕 プロルート丸光が会社更生法適用を申請

ビューティ事業やD2C事業に参入するなど活路を探っていたが、コロナ禍で大打撃を受けた。

とある。

たしか、大西も「セルフ大西」時代にオリジナルのアパレルブランドを立ち上げていたがすぐに頓挫した記憶がある。

化粧品は消耗品なので衣料品とは異なり、必ず買い替え需要が定期的に発生する。とはいえ、ブランド力もなく、価格競争力もなく、機能性もないという化粧品はそうそうには売れない。何せ化粧品も競合多数である。

また一時期イシキタカイ系で持て囃されたD2Cだが、結局のところ陳腐化してしまった上に売上高規模が10億円を越えるようなD2C衣料品ブランドは育つ確率が極めて低いため、末期の41億円の売上高を支えられなかっただろうと考えられる。焼け石に水状態だったのではないか。

そしてこれはプロルート丸光だけではなく、他の残存する現金問屋についても同じことが言える。

「SPA」化の広がりと、仕入れ型専門店の減少というダブルパンチによって、現金問屋という業態そのものの基盤が揺らいだという話である。

今後も残存する現金問屋はあるだろうが、業績規模の再拡大は難しいと考えた方が良いのではないか。

 

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