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南充浩 オフィシャルブログ

都心百貨店が家電量販店へ変わるのは20年前から続いているという話

2023年10月4日 百貨店 0

先日、各百貨店の歴史をまとめたYouTubeチャンネルをたまたま見つけてしまって、アップされた動画をほとんど見た。百貨店以外に食ネタもあったがそちらはスルーした。(笑)

興味のある方はどうぞ ⇓

 

ごやみん【GOYAMIN】 – YouTube

 

髙島屋がダイエーに乗っ取られかけた話とか、岡田茂の三越事件とか、松坂屋創業家の御家騒動なんかも結構詳しく語られている。

主に「閉店した百貨店」を特集されている動画が多いが、それらを拝見していて、閉店した百貨店の跡地に家電量販店が入店するケースが多いということに改めて気付かされた。特に2000年のそごうの経営破綻と2003年の西武百貨店の経営破綻以降は、撤退した百貨店跡地に家電量販店、中でもビックカメラかヨドバシカメラが出店するケースが多い。

 

関西の例でいうと、JR京都駅の近隣にヨドバシカメラ京都店がある。しかし、ここは当方が若かったころは近鉄百貨店京都店だった。もっと昔は丸物(まるぶつ)百貨店京都店だったという。近鉄京都店が閉店後、しばらくしてから今のヨドバシカメラ京都店に変わった。これはリアルタイムで覚えている。

ビックカメラ新宿店は三越新宿店の跡地である。三越と伊勢丹が合併して三越伊勢丹になった後に閉店となり、跡地はビックカメラに変わったわけである。これも報道をリアルタイムで見ていた。

 

そこでふと思い出したのが、今回世間を賑わせたヨドバシカメラによる西武池袋問題である。メディアは大々的に報道し、有象無象の識者からも様々な指摘があったが、現実的には百貨店が家電量販店に変わるということ自体はさして珍しい話ではない。20年前から頻発していた事柄である。

今回過剰に注目されたのは、全国百貨店店舗売上高第3位の西武池袋店だったことがまず挙げられる。そして、これまでは閉店後の百貨店を家電量販店化したものばかりだったが、現在営業中の西武池袋店だったという点が異なるからだろう。他の家電量販店化した百貨店店舗とはこの2点が異なる。

逆に言えば、この2点さえ除けば、大型家電量販店が百貨店跡地に出店するのは20年前から続いているありふれた事象でしかない。

 

2001年にそごう有楽町店が閉店した後、ここはビックカメラ有楽町店に代わっている。

そのほかにも、そごう札幌店跡地はビックカメラ札幌店に、三越横浜店はヨドバシカメラ横浜店に、三越吉祥寺店はヨドバシカメラ吉祥寺店に代わっている。

今回の西武池袋店にヨドバシカメラが出店することへの反対意見の中に「もうすでに池袋にはビックカメラ、ヤマダ電機があるからこれ以上家電量販店は要らない」というものがあったが、ここで出てくるヤマダ電機池袋店は元々は三越池袋店で、閉店後にヤマダ電機が出店しただけのことである。

ヤマダ電機が良くて、ヨドバシカメラはダメだという理由は当方には理解不能である。

先ほど挙げたごやみんさんのYouTubeチャンネルでは、甲府の山交百貨店は閉店後にヨドバシカメラ甲府店に代わったことも言及されている。

 

このように、百貨店の閉店後は大型家電量販店に変わってしまうということは、掃いて捨てるほどある事例だということがわかるだろう。その流れから考えると、西武池袋がヨドバシカメラ池袋店に変わったとしてもさほど驚くことではないといえる。

 

それにしても、大都市都心やターミナル駅近隣(直結の場合も)に百貨店を出店するというのは、先ほど挙げたYouTubeチャンネルを見ていても分かるが、一部の例外を除いて80年代で終了している。90年代以降はファッションビルか家電量販店の出店に切り替わっている。

例外としては97年にオープンしたJR京都伊勢丹、2000年オープンのJR名古屋タカシマヤ、2011年オープンのJR大阪三越伊勢丹、2011年オープンの博多阪急くらいだろう。その中でもJR大阪三越伊勢丹はたったの4年間で閉店してしまって2015年からはファッションビル「ルクアイーレ」に変わっている。

 

西武池袋のヨドバシカメラ問題は行政も巻き込んだため、かなりセンセーショナルな報道が多く、百貨店が家電量販店に変えられてしまうという凋落ぶりをマス層に印象付けることとなったのではないかと当方は感じるのだが、時系列的に各百貨店の動向を眺めてみると、20年前から普通にある事象の1つに過ぎないことがわかる。

これは推測だが、ヨドバシカメラ側もここまで否定的な反応があるとは予想していなかったのではないだろうか。なぜなら、ヨドバシカメラ側からすると20年前からやってきたこととほとんど同じだからだ。

 

都心百貨店は「好立地商売」という側面があるが、その好立地でさえ活かせていない店舗がこれまでに多くあって閉店したということになる。例えば、松坂屋銀座店は銀座という好立地にありながら、閉店間際の最晩年には売上高が120億円しかなかった。そして閉店後にファッションビル「ギンザシックス」としてリニューアルオープンすると売上高は600億円に激増した。

この一例を見ても、百貨店という暖簾だけでは最早支持されない時代になったということがわかるだろう。

 

このように歴史を振り返ってみると、都心百貨店が家電量販店へ変わってしまうということは決して珍しい事例でもなく、直近に限った傾向でもなく、20年前から続いているということが認識できるはずである。

 

では今後はどうなるかというと、当方はこの傾向が継続すると見ている。そごう西武のように経営母体が脆弱な百貨店や経営母体がしっかりしていても不採算な店舗はどんどん閉店となり、それらが都心店の場合は家電量販店かファッションビルに変わるだろう。

最終的には、売上高ランキング上位30店~50店の優良百貨店店舗だけが残るという結末を迎えるのではないかと思っている。

 

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