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南充浩 オフィシャルブログ

「椅子が少なくてプレーヤーが多い椅子取りゲーム」という様相のアパレルOEM業界

2023年7月27日 製造加工業 1

2000年代半ばごろまでは、アパレル企業から独立した人がまた小規模なアパレル企業を設立することが多かった。最大公約数的に言うと、大手の〇〇アパレルから独立してまたアパレルを設立したというタイプである。設立したアパレルがそれなりに中堅規模にまで育つということも珍しくなかった。

2000年代前半からその傾向はでていたものの、2000年代半ば以降になるとアパレルから独立した人がOEM屋・ODM屋になることが増えた。

2000年代半ば以降に知り合った小規模・個人経営のOEM屋・ODM屋はたいがいがアパレルからの独立組だった。この頃になるとワールドやらイトキンやらの大手アパレル出身者もオリジナルアパレルブランドを設立するよりもOEM屋・ODM屋になることが多かった。

 

で、この2023年までの記憶を振り返ると、この18年間で倒産・廃業してしまったアパレル独立OEM屋・ODM屋が当方の知り合いでも相当数いる。

中には業界に見切りをつけて不動産や飲食などの他業種の企業に再就職した人々もそれなりにいる。

継続は力なり。 | ulcloworks

先日、昔から顔馴染みの生地問屋の営業様と雑談をしている中で「最近昔から知ってる人の名前しか出てこなくなったよね」とおっしゃっていた。

これは川中~川上の話。

製造側にいる人たちには、各社若手も入ってきたり、ちょっと名前が出て独立したり、または異業種からの参入もあまりないけどそういう人たちもいたり。

という状況を当方もずっと体感してきた。

 

企業活動が継続できるか倒産・廃業に追い込まれるかは、運の良し悪しも大いに左右するところはあるが、それでも経営者が自分の意思で引退するまで企業活動を続けられていることはやはりそれなりの何かの力があるといえる。

まさしく継続は力なりなのである。

新規参入組が目新しいことをぶち上げ、それにメディアがスクラムを組んで乗っかった結果、あっという間にスターダムにのし上がったOEM屋(以下、ODM屋も含む)が突然消え去ることも多々あった。もちろん、そのOEM屋だけが何から何まで悪いということはない。運もあっただろうし内的・外的要因もあっただろう。最近でいえばホープインターナショナルなんてその代表例だといえる。そのほかにもアレとかアレとか・・・・。

 

2010年代後半になると、縫製工場や染色加工場、生地工場なんかも最早本業だけでは立ち行かないとばかりにOEM屋に参入し始めてその動きは今も続いている。これはSNSの普及によってブランド側と工場がダイレクトでつながりやすくなったこともそれを助長したといえるが、OEM屋の軒数は増えるばかりである。

 

お客様でもある程度大きいところは限られているので、椅子取りゲームよろしく

 

とあるが、まさにその通りで、生産ロットが大きく好調なブランドはほんの一握りで、あとは好調だけど小ロットなブランドか不調ブランドしかない。どうやってその少数の生産ロットが大きく好調なブランドと手を握れるかがOEM屋の生き残り策であるため、必然的に「椅子が少なくプレーヤーの多い椅子取りゲーム」とならざるを得ない。まあ、アパレル向けのWEB屋も似たような状況といえるが。

本文から図を謹んで拝借するが、川上・川中・川下の企業数バランスはこんな感じで、川中業者の数が川下に比して異様に多いと感じる。川上は年々減少する一方である。

入口と出口に対して常に中間がオーバーフロー気味なので、慢性的歪みを正すかのような激しい競争状態にあり、中間業者の皆々様におかれましては、日々ライバルと差別化していく『何かしら』を模索され帰結するところが概ねコスト面で一旦は覇権を取るみたいなのを繰り返している感じである。

某社の誰それが安く作れるとなればその人のシェアが増え、そいつをひっくり返すことができるやつが現れればそいつが王座につくみたいな。で、消耗戦の結果、利益構造がおかしくなってバーン。品質低下や納期問題、それに伴う製造側との人間関係等々、何かしらビッグトラブルを抱えて消えてくみたいな。

とあるが、まさにそんな感じである。そういえば三年前まで日の出の勢いだったあのOEM屋はどうなったの?みたいなことがこの業界では珍しくない。

逆に何度失敗しても立ち上がり細々と一人で食いつないでいるOEM屋もいて、成功はできないけど決して死なないというその特殊スキルに驚かされることもまた珍しくない。

 

つらつらと書いてきたが、デザイナーズブランドはいざしらず、新規にアパレル企業を立ち上げるという事例は近年極度に減り、OEM屋を立ち上げることが標準仕様となったというのが時代の流れを感じさせるが、OEM屋も過当競争で厳しい生存競争が毎日行われている。

そんなわけで、優れた才覚やビジョンを持っている業者でも淘汰されることもある状況下で生き残り続けている業者ということは、幸運も含めてそれ相応の何かを持っているということになる。

これから、繊維業界を目指す若い人、幸か不幸か繊維業界に入ってしまった若い人は、そんな目で今生き残っている業者を見つめてみてはどうだろうか。

 

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 comment
  • 南ミツヒロ的合理主義者 より: 2023/07/27(木) 12:37 PM

    >成功はできないが、決して死なない

    このぐらいが理想ですよ

    今や実用性無視のファッション度100%の服なんざ
    ぜったいに売れません

    裏かえすと、アパレルといえど、実態は実用性を相当
    加味した耐久消費財としての服を売っているに過ぎない

    「大成功は100%あり得ないけど
     きちんと働けば、
     死なない程度にならくっていける」

    この程度がふつーです。上記の世界では

    そして収益化まで3年5年かかったこのブログのようにw
    じみ~に堅実に儲かるまでには起業後3~5年かかるのが
    本来当たり前なんです

    実感としては、手取25万ぐらいが10年続けば
    大したもんだというより、理想的じゃないですか?

    もっとも3年5年継続して手取20万取れる見込みが
    たつまでに、最低でも3年はかかると思います

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