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南充浩 オフィシャルブログ

繊維の製造加工業者が陥りやすい「尖った物」を開発し続ける無限ループ

2023年6月13日 素材 1

繊維の製造加工業者とは比較的面識のある方だと自負しているが、製造加工業者の言うところの「良い物」が、必ずしも製品化したときに効果を発揮するとも限らないし、消費者に評価されるとも限らないということはもっと業界の川上から川下まで認識した方が良いと思っている。

その辺りのことを改めてまとめているのが、いつもの山本晴邦さんのこのブログである。

誰得。 | ulcloworks

 

表題だけでは全く意味が分からないのはいつものことである。

ただ、山本さんは当方よりもよほど川上にも明るいし、川下の言うところの「センス」も理解しておられるので、ここで改めて書かれていることを業界の人間は読んだ方がいいと思う。

 

繊維の世界における各社独自開発の技術や素材は、提案を受ける度に身体中の穴からなんか汁が出るくらい興奮するし、素晴らしいと思う。

ところが、世にない開発は、案外自分だけがそう思っていて、実はもう既にあって、そして知られていないということはつまり、需要がなかったから存在がなくなっている場合がある。

なので、ごく少数のソレが好きな人たちに向けてしっかり訴求した上で、それくらいの経済効果で充足し、少し他の要素でも付き合いが増えたらいいなくらいなら、きっと効果としては最高の着地だと思う。

 

とある。

まあ、もう少し口をはさむと、当方も製造加工業者から時々「こんなん出来ました」とか「この生地の風合いを見てください」とか言われることがある。たしかに生地ベース、加工そのもの、としては面白いし興味深い。しかし、それを衣料品なり雑貨なりに製品化したときにはあまり意味が無いことが多い。いや、それ普通の天竺Tシャツと変わらないですよね?とかそんな感じである。

記事本文中に

 

悪気ないんすよ。マジで。作ってる本人たち及び僕はそれが『良いもの』であることは知っているし、出来上がった物を嬉々として見せてくれる姿も、僕は大好きだ。わーって盛り上がって「それヤバいっすね!まじスゲー」とかなって、「スワッチいる?」って言われても「いや大丈夫っす」ってなっちゃうことが多い。

 

という一節があるのだが、山本さんほどではないにしろ、当方にも似たような経験は何回かある。生地や加工だけを見せられているときには「これスゴいっすね」という感じで盛り上がる。当方もそれなりに盛り上がる。しかし「スワッチ要る?」と言われれば「いや・・・」だし、製品に落とし込めるかというと「その生地なり加工なりを製品に使う意味ってあるんですか?」ということになる。25年間何度も目にした光景である。産地素材展が年に何度か定期的に開催されるが、その産地素材展の会場ブースで腐るほど目にして来た。

というか当方の狭い経験の中でいうなら、各産地素材展のほとんどはこういうやりとりが多いと認識している。

 

それはどうして起きるのか?というと

 

特にストーリー性もないけど、原材料の希少性や工業設備の特殊性の掛け合わせて生み出された素材とかは、ヤバいんだけど、ヤバい。値段だけ雪だるま式に高くなった割に、見た目とか質感は、一般的なソレの値段との乖離を納得させるほどのインパクトがないというのが今までの経験上のイメージ。いや物自体を否定するわけじゃなくて、その差を、言うほど感じれる人がそんなにいないんじゃね?っていう感覚。

 

ここに原因があるのではないかと思う。

こういう開発を当方も否定する気は毛頭ない。そういう開発の積み重ねが必要だし、それが技術開発だからだ。だが、〇〇素材を云々してからナントカ加工を施して再度ナンタラして手が込んでて工賃が積み重なってクソ高くなったその素材が、通常の市場に流通している定番生地なんかとどう違うのかというと、よくわからないという場合が多々ある。逆に洗濯などの取り扱いがめんどくさくなりすぎて「製品には使えない」という場合も珍しくない。

凄いということは理解できるが、じゃあそれを使えば「凄い製品」になるかというとそうはならない。

よくマーケットインとかプロダクトアウトとか言うけど、そういう小難しい話以前に、信念のない『良いもの』の定義が原料スペックやマシンスペックなら、それは誰にとって『良いもの』なのだろうか。

たぶん、そういうところ。

である。

この辺りが国内の製造加工業者の欠点である場合が多い。たしかに「生地単体」「加工単体」だけで見れば「凄い」し「手が込んでいる」し「付加価値もある」が、製品化したときにはそれが反映されにくいことが多いし、またそれを評価できる消費者というのはあくまでも少数派であることがほとんどであるというのが当方の体感である。実際に当方も「単体」での凄さは理解できるが、それを使った製品が欲しいかと問われると「いや大丈夫っす」という場合が少なくない。

記事中でいうなら

いや物自体を否定するわけじゃなくて、その差を、言うほど感じれる人がそんなにいないんじゃね?っていう感覚。

という感じである。付け加えるなら「その商品に特殊な洗濯方法などで手間をかける価値を感じる消費者って少ないんじゃね?」である。

おそらくそんなに身近じゃない人たちに向けて、ビジネスライクに商談進めて、相手がたまたま技術とか原料に興味がある人で、商談も盛り上がってスワッチもピックされたけど実採用されない場合って、モノの評価は高いけど、商品としては使えない判断をサイレントでされてるから、提案側からするとなぜ採用されてないかわからない状態が続いて、でも商談評価は高かったから、それが良いものだと信じて、更に尖った開発を続けてしまうループ、あると思います。

という一節があるが、まさにその通りではないかと思う。

生地産地に行くと「商談でこの生地は〇〇アパレルに評価が高かったから確実にそのうち売れると思う」と語る生地業者は結構いるが、じゃあ、その生地がどれほど受注されたのかというとゼロだったりほんの何メートルかだったりする。要するにアパレル側としては「使いにくい」と判断しているわけ(その判断が絶対に正しいかどうかは別)だが、生地業者からすると「望みはある」と捉えてもっと訳の分からない「凄い」生地を開発し続けるループは昔から今まで数多く存在するし、今もそのループを巡っている業者は数多くある。

 

クラウドファンディングだ、D2Cだ、が普及して生地工場や染色加工場などがオリジナルブランドを作ることが容易になっているし、売ることも容易になっている。

当方の旧知の工場でもオリジナルブランドを立ち上げた工場は少なくない。だが、いわゆる「儲かっている」状況になった工場ブランドは数少ない。それは山本さんが指摘するような部分が噛み合っていないからではないのか。そのあたりをもう一度顧みてもらいたいと思う。

 

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 comment
  • とおりすがりのオッサン より: 2023/06/13(火) 11:56 AM

    3Mのポスト・イットなんかだと、最初に「接着力の強い糊」を開発してたら「よくつくけれど、簡単に剥がれてしまう糊」が出来ちゃって(1968年)、それを聞いていた別の研究員が用途をひらめき(1974年)、貼ってはがせるメモ用紙の試作品が出来たけど通常の10倍の価格とかで需要がないとお蔵入りになりそうになって、社内の秘書に配ったら評判になり、1977年に4大都市でテスト販売したけど評判は上がらず、他の企業の秘書にサンプルを送ってみたら続々と注文が来て、1980年にようやく全米販売になったそうです。(糊の開発から12年後)
    日本でも最初は売れず、60万袋もサンプルを配ったとか。
    https://www.3mcompany.jp/3M/ja_JP/medical-jp/story/postit/

    新しい商品を売るのは難しいもんですね(^_^;)

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