
利用者が少なく不採算になった商業施設が撤退するのは当たり前
2023年3月3日 企業研究 18
以前にも書いたことの繰り返しになるのだが、関西生まれ関西育ち関西在住の当方にとって、パルコというファッションビルには全く親しみが無く思い入れが無い。
理由はかつて大阪市内にあったパルコがめちゃくちゃショボかったからだ。
大阪のパルコは、今のH&M心斎橋店(かつてのユニクロ(一時期シーインが期間限定店を開催していた場所)の通路を挟んだ対面)である。
H&M単一ブランドとしてはそこそこのフロアの広さがあると感じるが、ファッションビルとしてテナントを入れるとなると、せいぜい5店舗くらいしか入らないため90年代半ば以降の巨大ファッションビルを見慣れるようになった人たちにはショボいと感じられた。当方もその一人である。
そして、パルコはロフトに変わった。
このロフトもフロア面積は変わらないからやっぱり小ぢんまりとした印象しかなく、あまり賑わわなかった。その後、H&Mへ変わったというわけである。
もう一つ、近隣のアメリカ村内にパルコデュエとかいう平屋だったか2層構造だったかの小型路面店があったが、2000年代にあっさり無くなり、コロナ前までは跡地を名も知れぬ古着屋が使っていた。
関西人にとってはパルコというのはその程度の印象しかない。
滋賀県の大津にもあったが、せいぜい京都市民がたまに使うくらい(滋賀県の大津はJRで京都駅から2駅)程度で、神戸市民、大阪市民、奈良市民、和歌山市民にとってはかなり遠いのでほとんど使わなかった。
関西に本格的でまともなパルコができたのは2020年11月オープンの旧大丸北館跡地の心斎橋パルコまで待たなければならないが、期間の短さからいうと、ルクアやルクアイーレ、グランフロント大阪よりも後発なので、親しみはまだまだ薄いままと言わねばならない。
そんな当方を含めた関西人からすると、津田沼パルコの閉店に関する報道はいささか過剰で大げさすぎると感じられてならない。
こんな2回に分けてまで報道する必要があるのだろうか?パルコに対して薄情な当方からするとその必要性が全く感じられない。
抒情詩みたいな後者の記事は引用に値する部分がないので、省略するとして、まだ事実関係をある程度は伝えている前者の記事から、津田沼パルコの実情について考えてみたい。
津田沼パルコは1977年7月に開業。店舗面積こそ4万8000㎡と「パルコ」の中でも最大規模の面積を持つ一方で、取扱高は93億円(22年2月期)にとどまっていた。
とある。直近での年間取扱高(館内の物販・飲食の売上高総額)が93億円なら明らかに不採算だと考えられるため、閉店撤退は当然の判断だろうといえる。店舗面積4万8000㎡がどれほどか想像できにくい人がおられるかもしれないが、伊勢丹新宿本店とほぼ同じくらいだと分かれば想像しやすいのではないか。
むろん、パルコ側もそれなりに売上高を回復する工夫はしていただろう。しかし、見出しで伝えるように「地元と結びつき深く」が本当だったとしたら、地元と深く結びついているにもかかわらず売上高減少に歯止めがかからず93億円まで低下したというなら、地元民から不要だと判断されてしまったということになる。地元民から不要とされた商業施設など消えるのは当たり前だろう。
最終日ということもあって、多くの人が訪れた。電車で10分ほどの北習志野エリアに住むという50代の女性は「20代のころは津田沼付近で働いていたこともあってよく来ていた」と話す。すぐ近所に住んでいて親と小学生の男児とともに来ていた40代の女性は「高校生の頃はよく『ヒステリックグラマー』なんかを買いに来ていた。いまは子どもが本が好きなので、毎週のように本屋に買いに来ていた。なくなるなんて寂しい」。2人とも船橋で出身で、いまは習志野市で一緒に暮らしているという20代のカップルは、韓国料理の「ジャンモ」に毎月のように2人で食べに来ていたという。
という地元民の声もよくよく読んで考えてみれば疑問点が多い。
まず。50代女性だが20代の頃は付近で働いていてよく来ていたとあり、本当はその後にも最近の利用コメントがあるのかもしれないが、この一節のみだけしか語らなかったとすると、かれこれ30年前後は利用していないことになる。
また、次の40代女性だが今は毎週子供を連れて本屋に来て本を買っているというが、高校生の頃(25年くらい前)はヒステリックグラマーの服を買っていたというのだから、自身の購入単価が激減していることが容易にうかがえる。本は数百円からせいぜい3000円程度、ヒステリックグラマーの服は万円単位である。そりゃ、津田沼パルコの取扱高も激減するだろう。
最後の20代カップルだが、毎月韓国料理を食べに来ていたというが、恐らく二人合わせてで1万円は越えないだろう(恐らくは二人合計で数千円)。しかも月に1度しかない。そりゃ取扱高も激減するわけである。
通常、記事でも映像でもコメントとして使用するということは、最も印象的だということなので(毒にも薬にもならないコメントは採用されにくい)、他のコメントはこの3者未満だったと考えられる。となると、いかに利用されていない、もしくは客単価が低かったか、ということだと推測することができる。
これらを総合的に分析してみても津田沼パルコの近年の廃れぶりと苦境しか想像することができない。
この津田沼店の閉店がパルコにとって初めての閉店というなら感傷的に一部メディアがなることはまだ理解できる。しかし、この津田沼店に先駆けて2016年に千葉店、2017年に大津店を閉店している。2019年には宇都宮パルコ、2020年には熊本パルコが閉店している。さらに2024年には新所沢パルコ、2025年には松本パルコの閉店も決定している。
津田沼店だけをことさら抒情詩的に報道する意味が関西人たる当方にとっては皆目理解不能である。
そして、すでに2017年にはパルコは地方店より大都心店への資本集中を発表している。
パルコ、小型店舗数3倍に 大都市に集中展開 – 日本経済新聞 (nikkei.com)
2017年3月の記事である。
パルコに限らず、今後、地方都市や田舎の不採算ファッションビルはその地の百貨店同様にどんどん閉鎖されてゆくことになるだろう。
閉店の度に意味の分からないセンチメンタル丸出しのコメントを出すくらいなら、ファンの消費者は頻繁に買い支えるべきではないか。それ無しでは施設側も出店テナント側も維持することは最早不可能な状態にある。
仕事のご依頼はこちらからお願いします~↓
comment
-
-
sakeparadise より: 2023/03/03(金) 1:10 PM
レリアンの商売が継続している理由を解説して欲しい→不思議でならないので
-
南ミツヒロ的合理主義者 より: 2023/03/03(金) 1:18 PM
え~、恐っそろしい事に
「PARCOが華々しい頃の記憶がある世代」は
既に定年済の年金生活者です派手な広告で注目を集めるのが上手かったピークは
バブル期ではなくバブル前の83年頃そして87年頃からはおとなりの西武ともども
派手な告知にもとづくセールに対する
反応が悪くなっていました(と堤さんは回想してました)83年がピークで、今は40年後の2023年
当時20歳だった若者でも60歳!!
社会人だった25歳は65歳!!60過ぎてPARCOで買い物する人は1万人ちゅうゼロです
そして若者全員イオンモールに行った事がありますが
PARCOに行った事があるのは20人に1人いるかどうか・・・「底地込みの不動産を持たない小売業・テナント業で
永続できる企業は1つもない」これを見事に実証してくれたPARCOでありました・・・
-
南ミツヒロ的合理主義者 より: 2023/03/03(金) 1:36 PM
こじゃれ業界紙の記者しょくんは
あさひにも読売にもコーダン社にもマガジゾハウス
にも入れない能力の持ち主wという人がいっぱいいますそういう層が大すきな筆頭は
PARCOでしょうなぁイオンはもちろん西武でも伊勢丹でもない
もちろんルミネでもららぽ~とでもないです文化なかほりがしないとねwww
そしてこの層は間違いなくイナカもんです
某レコード会社のえらい人がいってたなぁ
「スタイリストに都内出身者はいない」同じく「業界人しか読まない業界紙の記者に
都内出身者はいない」と断言しておきましょうw -
読者 より: 2023/03/03(金) 2:19 PM
自分は津田沼行ったことないのでアレだけど、
パルコは東京な感じなので南さんの印象は偏見じゃんwとかオモタww
逆に関西がそんなにしょぼいのかと驚いたので地域で印象って全然異なるんだと思った。
自分は逆に阪急が昔、数寄屋橋や有楽町の印象あったのでショボい感じ。
梅田や宝塚を見てその高級ぶりに驚く。地域外だと個人の感覚ってそんなもんよねえ。津田沼の年商?扱い高にも驚いた。外商ない店頭の売上で100億はデカいなぁと。
坪効悪いから赤字でダメだったんだろうけどそうとう凄い館だったのかしらん。扱いが過剰なのはWWDだけなのではw
ニュースもやったんだろうけどあんまり目立たなかったので百貨店より扱い小さかった印象。
やっぱり百貨店のほうが影響というかインパクトあるんでしょうな。
閉店ニュースとしては。WWDはもはや痛い業界誌になってしまった感ありますな。
昔は個性的な人が書いてて面白かったけど、今のスタッフは弱そうな感じだし読みたいと思わない。 -
キムゴンウ より: 2023/03/03(金) 3:58 PM
>60過ぎてPARCOで買い物する人は1万人ちゅうゼロです
たしかに!というか60過ぎた今 お洋服は購入しません>パルコは東京な感じなので南さんの印象は偏見じゃんwとかオモタww
それは全くそうですね でも このコラムは筆者の偏見を含めてのものなんで
それはいわない約束ですねみさき公園が閉園になったりすると必ず
「子どものころの思い出」となんかワシャワシャ集まりますよね
懐かしがり屋 回顧厨が
でも そういう人こそ どこぞやの年パスでお得に遊んだりする
町中華が閉店で淋しいと言っても 前日には餃子のチェーン店に行っていた
そういう行為は偽善とは言わないだろうけど
あの行為は好きじゃないな
私には筆者がいうように 大切ならば 日頃から使っておけよと強く思う
というが かくゆう私も心斎橋パルコのTOKIOKUMAGAIは頻繁に行ったので
懐かしくも淋しいですよ 生まれも育ちも大阪ですけどね -
あ より: 2023/03/03(金) 5:32 PM
別に住民が撤退反対運動起こしてたというわけじゃない
昔を懐かしんで集まったというだけの記事なのに
的はずれな批判
中学生レベルの作文
駄目だこりゃ -
大阪のオバチャン より: 2023/03/03(金) 9:43 PM
40代の大阪のオバチャンですが、PARCOの記憶が全くありません~
プランタンなんばや、ソニービルは覚えているのですが…また戎橋に人が戻ってきましたね!
すごい賑わいですが、洋服は売れているのでしょうか? -
でこぽん より: 2023/03/03(金) 10:16 PM
松本民です。松本パルコは長野市に対抗するための有力なステータスシンボルでした(笑)
しかし昔と違ってみんな服にお金を使わなくなり、またイオンモールも歩いて10分のとこにできたのでみんなパルコで服を買わなくなりました。けっこうあからさまに傾いたかんじあります。
まわりの人もパルコ年に一回もいかないといっています。
イオンモールで補導員さんが、「いまさっきまでパルコで見張ってたけど人がいなくて」とこぼしてたのを思い出します。 -
ハマオ より: 2023/03/03(金) 11:19 PM
自分が高校1年の6月に名古屋PARCOがオープンしました。
バブルの真っ只中その頃クリスマス前の土日なんかは
コムサが1000万1日で売上てました。
DCブランド全盛期でした。
当時二館体制でしたが今では南館やZEROゲートまであります。
岐阜に先にPARCOがあって名古屋に出来るまでは
岐阜の人は自慢してたけど岐阜はいつの間にか閉店していたな
栄は色んなブランドが撤退したな
ファストはH&Mだけが残っただけだし
GAPもハンズもミュウミュウもなくなったし
今度はロフトも撤退だし
やはり名駅かな -
まらりん より: 2023/03/04(土) 2:34 AM
自分もパルコ津田沼にはあまり思い入れはないけど、わざわざ水を差さんでも……
津田沼が地元なので、なんだか悪く言われた気分だ。> ファンの消費者は頻繁に買い支えるべき
これには同意。
-
通りすがり より: 2023/03/04(土) 1:18 PM
コンサルの割に千葉も津田沼も撤退を余儀なくされた理由が分析できてないですね。コメント残らないと思いますが。
周辺の鉄道の利用動向、施設の駐車場の駐車可能台数くらいは目を通された方がよろしいかと。
記事に登場する地元民が妙にノスタルジックなのは、パルコだからどうこうって話ではないのです。かつて日本一の売上を誇ったイトーヨーカドーは閑散とし、長崎屋・高島屋・丸井・ダイエーの撤退を味わい、また一つ消えた結果、「津田沼って何があるところ?」という問いに答えがなくなった事への戸惑いです。 -
モグジー より: 2023/03/04(土) 5:44 PM
いいじゃん。
人間合理的にのみ生きてるわけじゃなし。
最近行かなくなってたけど、無くなると分かったら寂しい、っていうのは普通の感情。
そんな当たり前のことにわざわざマウント取るような文章書いてることに、分かってないなー人間に疎いなーと思ってしまった。 -
BOCONON より: 2023/03/04(土) 5:57 PM
先日用事があって久しぶりに高田馬場駅で降りて見まわすと,看板が中国語だらけになっていてびっくらしてしまった。(やれやれなぜあの大学は中国人に妙に人気があるのやら)。
池袋北口が中国人街化して,もともと良くない治安がさらに悪化している…と云うのは大分前から言われているけれど、
-
BOCONON より: 2023/03/04(土) 6:20 PM
最近は北口辺りにいくつも出来た “もともと中国人向けの本格中華の店” で物好きな日本人客がスキミングのカモにされていたりして,何だかシャレにならなっている模様である。
彼らがおとなしく北口近辺だけでひっそり暮らすわけもないから,今後テリトリーを広げて来るのは多分必定で,百貨店だってどうなることやら。3F行くと中国式マッサージだらけのニュー新橋ビルと言い,駅前の「不採算になった商業施設が撤退」しても,それで新陳代謝が良くなれば良いが,その後大して出店したがる店がなければ,東京あちこちの駅前が九龍城塞みたいになりゃしないか,と僕は(冗談半分乍ら)危惧するものであります。
-
南ミツヒロ的合理主義者 より: 2023/03/05(日) 10:43 PM
都内以外のPARCOの歴史が解るコメ、ありがとうございます
旧西武系では「都会の文化をイナカに輸出方式」で
ソコソコ規模が大きくなった会社でしたただし戦後発祥の会社なので、資産はほぼ無い
あるとすれば、のれん代だけ当初は「専門店の集合体」という業態でした。
しかし、いつの間にか、ただのファッションビルへ
そして競合他社にボロ負けという感じだったんでしょう・・・地方店がクローズなのは、契約形態が古すぎるケースが
多かったせいでもあります。場所は悪くないけどね地権者が複雑なせいで「なんで客ゼロの店?がここに?」
という地権者ワク出店が少なくない店舗が結構ありました津田沼PARCO入ってすぐ絶好の場所に夜11時まで開いてる
タバコOKの個人経営喫茶店という、まか不思議状態でしたそして凝った上物にしたせいで
導線最悪・坪効率悪すぎな店舗がとても多かったイナカのモールに行くと、スタバやらうどん屋やら
都会で20年前に流行ったのがひと通り揃ってるでしょう?PARCOは30年前40年前にそれをやったんです
ネームでいうとミスド・ロッテリア・服だと佐々木系けどね、みんなPARCOというネームが好きで
PARCOに行ってた訳ではありませんのでそしてアメリカ村に代表される地場の濃い文化があった
エリアでは、さほど話題にならなかったのも事実です堤さんも増田さんも「PARCOでないと買えないモノ」に
こだわっていたけど、今ではそんなモノは1つもありませんもう渋谷PARCOだけで十分でしょう
でも地代が高いから商売にならないけどねw小売でも後発組・戦後スタート組は
ホントに経費バカ高の売場しか買えないんですよ
したがって不況にとても弱い体質にならざる得ませんPARCOを買った会社も
PARCOがこんなに儲からない体質だと
内部の数値を数年見て初めて気づいたと思いますよ
イメージだけはいいけどね -
元津田沼民 より: 2023/03/07(火) 9:45 AM
津田沼のダイエーとイトーヨーカドーは売上高全国1になったこともあるくらい、昔はそれなりに注目された商圏で、その中のPARCOという事もあり、思い入れが深い人が多いのかもしれません。
-
南ミツヒロ的合理主義者 より: 2023/03/07(火) 11:44 AM
ターミナル駅以外の都内寄り首都圏の
大店法規制対象店舗出店歴は以下の通り1.昭和30年代:西友
2.昭和40年代:ヨーカドー、ダイエー
3.昭和50年代:PARCO
4.平成前半 :新興スーパーいろいろ
5.平成後半~:AEONとルミネなどこうしてまとめると、古い所ほど、あとかたも無い
kimさん曰くのように、むかしはPARCOで
ファッションというより最先端のモードレベルの
物が買えたんですけどね・・・コムサを大々的に出店させたあたりから
実は傾きはじめていたんだろうな・・・・
31年前、19歳の時に自衛隊の習志野駐屯地に半年いたことがあって(とは言っても精鋭のパラシュート隊員ではないですがw)、土日の休みには津田沼駅から東京まで行ってましたが、確か一度も津田沼パルコで買い物したことはなかったと思いますw
生粋の地元民だと違うかもしれないですが、東京(とか大都市)へ1~2時間位で行ける距離の地方だと本格的に買い物するなら東京まで行っちゃおう、ってなるんじゃないんですかね。