光なくして影は存在できない
2014年7月23日 未分類 0
大量生産・大量販売へのアンチテーゼとしてほとんど一点物に近い独立系デザイナーズブランドが静かに注目を集めているという。
デザインのテイストはおよそマスには受け入れられない。
大量生産・大量販売というとすぐに「ユニクロ」と名指しする人は多いが、何のことはない。
普通のアパレルはすべからく大量生産・大量販売である。
オンワード樫山、ワールド、エドウイン、すべて大量生産・大量販売が基本である。
誤解しないでもらいたいが、筆者は決して一点物に近いようなブランドに存在価値がないと言っているわけではない。存在価値はある。
そういう一点物に近い小規模デザイナーと国内生地メーカーがもっと密に組むのはどうか?という議論が先日あった。
これも反対はしない。
話題作りとしてはデザイナー側、生地メーカー側ともにプラスになることが多い。
しかし、生地工場の生産ラインをそういうデザイナーズブランドが支えきれるかというとこれは疑問を呈さざるをえない。
生地工場はある程度の大量生産が基本である。
最近では「1反からでも別注生地を織る」という機屋もチラホラとあらわれているが、そういう機屋でも1反の別注生地ばかりの注文だとあえなく会社は破綻してしまう。
どこかからある程度まとまった量の受注を得る必要があり、量産なしに機屋を経営することはほとんど不可能だろう。
1反別注を受けても良いが、それは量産があってこそできる取り組みである。
これは仮定の話だが、そういう一点物に近い小規模デザイナーズブランドにブームが訪れたとして、小規模デザイナーズブランドの数が今の何倍にも増えれば生地メーカーは潤うのだろうか?
筆者は到底潤うとは思えない。
なぜなら、彼らの1ブランドあたりの生産規模はどんなにブームになろうともそれほど増えないと考えられるからである。
OEM生産では1型100枚がだいたいどのアイテムも目安になるミニマムロットだが、100枚製造したところで必要となる生地はどれほどかというと、洋服1枚当たりの用尺が平均2メートルとすると、100枚だと200メートルの生地が必要となる。
生地1反の長さは50メートルだから200メートルだと4反である。
1反でだいたい25枚の洋服が製造できる。
生地1反での別注を欲しがるブランドが多いということは、彼らは25枚しか販売能力がないということになる。
で、一点物に近いブランドというのは1型25枚以下の生産しかしていないということにもなる。
そういう彼らのみで織布工場が支えられるとは到底思えない。
彼らに対する販売のみで生計を織布工場が生計を立てるとなると、個人が手織りするような生産体制でないと無理だろう。
手織りだから価格は高くなる。たとえば1メートル1万円くらいの生地になってしまうだろう。
2メートルで2万円の生地を使って縫製した洋服は最低でも販売価格は5万円を越える。
そんな洋服がブームを呼ぶだろうか?
現実的に1点物に近い小規模デザイナーが生地メーカーと組めるような状況になるためには、生地メーカーにそれなりの量産オーダーが入り続けていることが前提にならざるを得ない。
そうなると、大量生産・大量販売の通常のアパレルブランドがある程度の好調を持続し続けなくてはならない。
小規模デザイナーが自由にモノづくりをするためには、大量生産アパレルの好調が必要なのではないか。
生地の量産ができるからこそ、生地メーカーにもゆとりができ、そういうデザイナーズブランドとの取り組みが可能になるのではないだろうか。
いささか逆説的だが、量産アパレルの存在なくしては小規模デザイナーズブランドは成り立たないのではないかと感じるが、みなさんはどうお考えだろうか?