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南充浩 オフィシャルブログ

業界メディアが軽んじられるわけ

2014年2月10日 未分類 0

 予想外に長い間、業界紙や業界誌、業界メディアで活動をしてきたが、どうにも理解に苦しむことがある。
それは業界団体や業界の有力企業が業界メディアに対して、自己に不利と思われることを書かせなくしたり、メディア側が自己規制してしまうことである。

不利なことといっても、ウィキリークスやサイゾーのような暴露記事ではない。

たとえば減収減益の決算内容だとか、経営破綻・経営再建問題だとか、企業体の売買であったり、ブランドの撤退などのことである。

アパレル業界を例にとる。
アパレル企業は企業規模の割には著名な企業が多い。
企業規模やブランド規模は小さいのに有名デザイナーと契約したとか、タレントがブランドプロデュースをしたとかそういうことで世間的な注目を集めている。

その際、そのブランドや企業の成り行きは売上高がそれほど大きくなくても消費者の注目を集めるし、業界メディア以外のメディアの関心も惹きつける。

ブランドや企業体というのは常に順風満帆ではないから、何年かおきに必ず危機的状況が訪れる。
そうなると、そういうブランドや企業体は売り上げ規模が小さい割には、経営問題が一般メディアで取沙汰されるようになる。「○○ブランド経営危機」とか「○○ブランドが経営破綻]」とかそういう感じの見出しが一般紙やテレビのニュースで躍ることとなる。

しかし、えてして業界メディアはそれを先んじて取り上げようとはしない。
一般メディアで取り上げた後に、やおら重い腰を上げて報道するという印象が強い。

先日、小さなアパレル企画事務所を運営する方と雑談する機会があったが、
「有名アパレル企業の経営問題は業界紙より先に一般紙が取り上げ、業界紙はそれの後追い報道している印象がある」とおっしゃっており、まさに同意である。
企業側の圧力なのか、業界メディアの遠慮なのかわからないが、こういう姿勢でいることによって、業界メディアはさらに軽く見られるようになる。

新聞も雑誌も全般的に購読料よりも広告料で成り立っている。
業界メディアだけではなく、一般メディアもすべてそうである。
業界メディア側は「スポンサーの悪いことは書きにくい」という。しかし、そのスポンサーとやらが業界メディアに広告料を払っているかというとあやしい。
高度経済成長期やバブル期は軒並み払っていたかもしれないが、バブル崩壊後、とくにアパレル企業は業界メディアへの広告料を減らしてきた。

広告営業や購読営業もした経験上でいうと、多くのアパレル企業は「うちは一般消費者に向けてPRしたいから業界紙には広告を出さない」「業界紙なんて読まない」と主張した。この風潮は現在でも変わらない。

そんな扱いを受ける業界メディアが何を遠慮しているのかと不思議でならない。

遠慮していて広告料や購読部数が増えるならそれも理解できるが、どの業界メディアも広告料も購読部数も年々減っている。

以前、繊維業界ではない業界誌にも勤務したことがある。
その業界のトップ企業はかつて上場していた。上場していたということは決算は公開されている。
バブル期には好調だったトップ企業だが、2000年代に突入してからは毎年減収減益を繰り返していた。
で、その業界には業界誌が複数あったのだが、そのトップ企業の決算を報じている誌面はなかった。
そのうちにそのトップ企業は買収され上場を廃止したのだが、その買収の報道もかなり遅れて掲載された。
業界誌が掲載しなかった理由はまさに「スポンサーへの遠慮」だった。

しかしこのトップ企業の決算内容、買収の経緯、日経新聞に逐一報道されている。
ウィキペディアによると日経新聞の朝刊の発行部数は288万部である。業界誌はおそらく数千部だろう。
たかが数千部のメディアが口をつぐんだところで、288万部のメディアが報じているのだからまるっきり意味がない。
遠慮した業界誌側の思考回路は理解不能だし、もし、仮にトップ企業が何らかの圧力をかけたのだとしたら、この企業の経営陣の思考も少々おかしい。

似たような話といえば、5年ほど前に、某地方自治体が地方ブランド創設に取り組んだ。
伝統産業といえば包丁鍛冶の地域で、繊維産業といえば注染を主体とする染色工場や染色の一つ手前の過程の精錬がある地域である。
こういう地域がなぜかファッションブランドを育成したり、和食をもってニューヨークに進出したいという話だった。
ニューヨークで意味の良くわからない大がかりなパーティーを開いたり展示会を開いたりして試行錯誤した結果、地域が押す特産品は包丁に落ち着くという結果になった。
もともとある包丁に落ち着くならわざわざニューヨークでパーティーなどする必要もなかったし、その試行錯誤の過程はほとんど無駄じゃなかったかと思う。

筆者はそういう試行錯誤が始まる前の最初の地域ブランド化の記者会見に出席した。
会見から2年後くらいだっただろうか、案の定、住民からこの取り組みが無駄であるという訴えがなされた。
当然、テレビ局はそのニュースを大々的に流した。
筆者もそのことを踏まえて感想をブログで書いたのだが、ある人物から「こんなことをブログで書かれては困る」という謎の電話をいただいた。
「しかし、すでにテレビ局が大々的に放送していますよね?テレビのニュースに比べると閲覧者数が100万分の1ほどの筆者のブログを下げたところで何か状況は好転するんですか?」と尋ねたが、「とにかく困る」という理論性を一切欠いた答えが返ってくるのみだった。

テレビ局各社がニュースを流し、それぞれのサイトにも顛末が活字でアップされている状況下において、筆者程度の閲覧者数しかないブログのエントリーを下げさせたところで、何の効果があるのだろうか?まったく理解に苦しむ。

たとえばNHKのテレビニュースで流れた案件をこのブログで言及しなかったとしても何の効果もない。
そういうことである。

閑話休題

遠慮をしたことによってかえって業界誌はメディアとして業界で軽んじられるようになる。そのことを業界メディアは忘れている。
それはそうだろう。業界トップ企業の公開された決算内容や買収を報ぜずして何が業界メディアだろうか。
その点に関しては一般紙やテレビ局の後塵を拝しているのである。
業界企業から「読まない」「広告料を支払う意味がない」と判断されるのも当然といえる。

繊維・アパレル業界もこの業界のことは決して笑えない。
似たような事案はこれまでにいくつもあったし、現在もある。

そういう「遠慮」や「圧力」によって業界が何か良くなったのだろうか?
筆者が見るところ、苦戦している業界は記者になった17年前と何一つ変わっていないように見える。
いや、変わっていないというのは訂正せねばならない。17年前よりもさらに苦境に立たされている。

そして業界メディアの経営も厳しさを増している。それは日本繊維新聞、センイジャアナルの倒産を見ても明からではないか。そういう配慮や遠慮、企業や団体からの圧力は業界メディアの経営になんら好影響を及ぼさなかったという実例ではないか。

一般紙やテレビのニュースで盛んに取り上げられている事案に対して、本来業界をもっとも知るはずのウェブも含めた業界メディアが無言のままでは、逆にその企業なり業界なりの闇があるということを広く印象付けてしまうことになる。

過剰な遠慮や配慮は業界メディア自身の媒体力、媒体としての価値を下げており、業界企業から媒体が軽んじられる一因ともなっている。

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