脱賃加工を目指してみては?
2013年5月20日 未分類 0
先日、実家が賃加工の織布工場を営んでいる方にお会いした。
賃加工とは、要するに下請け工場という意味で、大手の織布工場や商社などからの指示通りの生地を製造している。
賃加工のメリットは
1、商品企画をあれこれ考えなくても済む
2、原料となる糸を自腹で仕入れる必要がない。糸は受注先から支給される
である。
このためリスクは限りなくゼロに近い。
最大のリスクは納入先がなくなることである。
契約を切られる場合もあるだろうし、納入先が倒産・廃業することもある。
で、その方は実家の賃加工業に未来を感じず、新たに自分で製品事業などに取り組み始めている。
その取り組み自体は良いのだが、どうせならそれを実家の新規事業として取り組んではどうだろうか。
それから実家の織布工場を現在の賃加工100%の状態から少しずつ「手張り」に移行させることに取り組んではどうだろうか?
「手張り」とは、その工場が自社リスクで原料を仕入れて生地を開発することである。
しかし、言うは易く行うは難しである。
現実問題として賃加工から手張りへ移行できた織布工場はあまりない。
賃加工業者は下請け気分が抜けずに失敗することが多いからだ。
そんなことを考えていたら、福山市にある篠原テキスタイルを思い出した。
ここ数年で耳にする機会が増えた篠原テキスタイルだが、10年くらい前までは賃加工100%の織布工場だったという。
現在はレーヨンデニム、テンセルデニムを得意とする生地メーカーとして名高い。
先日、社長さんにお話を伺った。
筆者が業界紙記者をしていた10年前までは名前を耳にしたこともなかった。
そのわけを尋ねると、100%賃加工だったからだ。
それをどのように「手張り」へと切り替えたのか?
それまで仕事をくれていた産元や織布工場の相次ぐ倒産・廃業がきっかけだったという。
その中の1社は筆者が10年前までときどき取材に伺っていた菅原織物だった。
そういえば筆者が退職した後に倒産されたことを耳にしている。
それらから生地を仕入れていたお客が困って篠原テキスタイルに相談に来られたそうだ。
倒産・廃業した納入先からも自社が抱えていたお客を紹介されたこともたびたびあったという。
社長さんはお見かけしたところ50代後半から60代前半である。
手張りに切り替え始めたのはここ7~8年前だというから、社長さんは当時50代だったということになる。
そのお年からよくぞ新しいことに挑戦されたものだと感心してしまう。
筆者のような自堕落な人間はその年齢なら「あと7年くらいで定年だからそれまで何とかやりすごそう」と考える。
いくら必要性に迫られたとはいえ、新しい業態へ切り替えるというような面倒くさいことをやろうとは到底思わない。
さて、篠原テキスタイルが手張り化に成功した要因の一つには、運が良かったこともある。
倒産した先のお客が相談に来たこと、倒産・廃業した納入先がお客を紹介してくれたことである。
これはなかなかにありがたい話だ。
けれどもそういう状況になっても賃加工に染まりきっていた工場はなかなか手張りへと踏み出すことは難しい。
何十年と続いた習慣を人間はそれほど容易に断ち切れないからだ。
それでも挑戦したことが、現在、成功に結び付きつつあるのではないかと思う。
話を元に戻すと、先日お会いした方も、ご実家の織布工場を賃加工から手張りへと切り替える取り組みをされてはどうだろうか?
現在手掛けようとしておられる製品ビジネスとの相乗効果も期待できる。
オリジナルの織布と製品と両方を手掛けられる工場は強い。成功すれば生き残りも十分に可能だろう。
数少ないとはいえ、手張り化に成功している織布工場も現実にあるのだから。