ボブソンの民事再生手続きが廃止に
2012年5月1日 未分類 0
やっぱりなあ。
ジーンズ専業メーカーのボブソンが民事再生手続き廃止決定を受けた。
昨年5月2日に民事再生法を申請してから約1年が経過している。
1年間も処置が決定しなかったのは異例ではないだろうか。
4月に入って、業界紙記者から「ボブソンの支援先が決定したと小耳にはさみましたが、具体的な企業名が聞こえてこない」との情報を聞いたが、結局、決まっていなかったということだろうか。
これに先立って台湾企業がボブソンの買収を打診してきたとの情報を聞いたことがあるが、こちらはまとまらずに破談になったようだ。
ジーンズ業界で言われていることなのだが「ボブソン、ビッグジョン、ブルーウェイの3社は台湾では日本国内よりもプレミアム感のあるステイタスブランドとして知られている」という。
これは台湾現地の販売を担当している会社の長年にわたる努力の結果であろう。
個人的には台湾企業に買収されるのがもっとも理にかなっていると考えていたのだが、どうやらそうはならなかった。
ボブソンは、ビッグジョンを起業した尾崎小太郎氏の実弟である尾崎利春氏が創業したジーンズ専業メーカーである。筆者が小学生低学年時代の1970年代は、一世を風靡していた記憶がある。
かなりおぼろげではあるが。
その後、90年代前半にはレーヨン素材の「04(ゼロヨン)ジーンズ」というまったく新しい商品を開発し、爆発的に売れた。95年ごろは筆者も販売員として「04ジーンズ」を一日に何本も販売した。
ちなみに「04(ゼロ・ヨン)」とは「レイ・ヨン」と読め、レーヨンジーンズという意味を隠し持っている。
04ジーンズの流行によって、各社もソフトジーンズの開発を行う。その流れの中にテンセルジーンズも誕生することになり、今に至る。
90年代後半になってソフトジーンズブームは終了し、テンセルジーンズの大森企画は経営破綻してしまう。
このブーム終了後からボブソンの迷走ぶりが顕著になったといえる。
90年代後半に筆者が担当記者となった時点で、04ジーンズの開発者は退職されていた。
先輩記者によるとなかなかのアイデアマンでボブソンのヒットメーカーだったと聞いているが、面識はない。
おまけに現在まで業界で巡り合うことができていない。
それに続いて経営陣のお家騒動もあった。
尾崎奨(すすむ)社長が突如解任されてしまい、専務だった尾崎和夫氏が社長に昇格した。
先輩記者からは尾崎奨氏が「婿養子」だったことが影響したとかしないとか聞いたのだが、真相は公表されていない。
尾崎和夫社長は、ボブソンを営業譲渡した後、子供服部門と縫製工場部門をピーチフォートという企業にまとめ、同社の社長として在任している。
04ジーンズ以降、ボブソンには大ヒット商品がない。
しかし、アイデア商品を提案するというDNAは健在で次々と新製品を生み出す。
2011年秋冬に各社が発表した保温ジーンズの先鞭を付けたのもボブソンである。たしか2000年ごろにはすでに発売していた。
残念なことに、当時は「保温???ヘッ。何それ?」という風潮だったのでそれほど注目はされなかったのだが、早すぎた提案だったということだろう。
またヘンテコリンな商品も開発している。いや、開発担当者は真面目に考えたのだろう。
カラージーンズだが、紫外線に当たった部分が変色するという商品である。紫外線がさえぎられると色は元に戻る。たしかに面白いのだが、あまりこの機能の意味が見出せない。
野外から室内に入ってきたとき「お前のパンツ、色変わってるやんけ~??!!!」というサプライズは提供できるのだろうがそれだけである。しかもこれは1度しか使えない。
記憶が頼りなのであやふやなのだが、たしか「カメレオンジーンズ」と名付けられていたような・・・・・・・・・。
こんなヘンテコリンな商品を生み出しつつ、アイデア商品の開発を続けていたボブソンだったが、売上高は年々減少していた。
2005年5月期には128億円あった売上高が、2010年2月期には決算期変更の変則決算によるとはいえ、10億円にまで低下している。
12ヶ月換算しても20億円にはとても届かない。子供服部門と縫製工場をピーチフォートとして切り離してしまったためとはいえ、実に10分の1にまで低下してしまっている。
売上高の低下の理由は、激安ジーンズでも低価格ジーンズでもない。
1000円以下の激安ジーンズが登場したのは2009年秋のことであり、ボブソンはそれまでにすでに売上高は低下し続けていた。
また3900円の低価格ジーンズが影響したというのも一面的な見方である。ボブソンは15年以上前から量販店向けに3900円商品を製造している。ボブソンだけではないビッグジョン、エドウインも同じだ。
自分たちが製造しておいて、低価格ジーンズに売上高を浸食されたも何もない。
ちょっと長くなってきたので、続きは明日にしたい。